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幸せな卒業じゃないけど

卒業した。
まずは自分におめでとうございます、ありがとうございます。
同じく今年卒業する方々もおめでとうございます、礼はいらねえ。
自分にとって高校での4年間は鬱病を治す為の充電期間だったように思う。

最初は学校に通うことが苦痛で長期間欠席することが何度もありただただしんどかった、だけどここ数週間で高校が楽しいと思い始めた。
そんな矢先に卒業で悔しい。やっと、やっと面白くなってきたのに。
でもそれも一種の青春だと割り切って受け入れよう。
安定し始めた心の調子も進学後の新たな環境と今とは違う生活リズムで逆戻りしそうですがそれはもうしゃーない。

最後の日はいつもより早く登校した。かなりの風雨でおまけに寒いし卒業日和ではない。
「俺らの未来を暗示してるような天気やな」とクラスメイトが言った。
「でも止まない雨はないで」と言おうとしたがいくら何でもクサすぎると思って辞めた。
その言葉が自然と口から出そうになったのは俺の心が前向きになった証拠だろうか。

昨年まではコロナの影響で短縮形式の卒業式だったのに今年からはしっかりやるということで慣れないスーツ姿のまま長時間座らされて大変窮屈だった。
卒業証書授与の時、壇上で校長先生に「頑張ったね」「おめでとう」と声を掛けて頂いた。
あっす…あっす…と小声で呟きながら浅いお辞儀をヒョコヒョコ。
親が撮影していたビデオを見るとBGMで流れていたバッハのリズムに乗っているみたいで受けた。
厳かな場所でオーケストラにヘドバンしちゃう俺様、最高にロックっしょ?🤘😎
あと普通に歩き方とかお辞儀がヘタクソで悲しかった。

他のクラスの集合写真を撮影している待ち時間、皆がグループを作って話している中でポツンと独りで立っているクラスメイトが居た。
談笑していた輪を抜けてその子のもとに駆け寄る。
もう終わりやな~~的なことを話すと、「あの……」と何か話題を切り出しそうな雰囲気が出たのでどしたんした。
「今だから言えるけど、あなたは中学校の時に自分をイジめてきた人に顔が似てるから話しかけないで欲しかった」と言われた。
ここ最近の悲しかったこと第2位。
その日だけじゃない、俺は今まで何度もクラスにあまり馴染めていない様子だったその子に話しかけていた。でもただの自己満ありがた迷惑だった訳だな、やらない善の方が良いやないか。
夜間高校には色々な人がいる、というか色々な元不登校がいる(素行不良、鬱病、起立性調節障害、いじめ、家庭環境etc)。
体感では8割が不登校経験者で病気持ちなので、どこまでが踏み込んで良いラインなのか腹の探り合いをしながらコミュニケーションを図っていたつもりだった。
だけどその子に対しては毎回無意識に過去のトラウマを掘り起こしてたわけだ。
嫌がっているような素振りで気付くべきだった。「コミュニケーションが苦手なのカナッ?じゃあぼっきゅんがいっぱい話して仲良くなってあげようネ!」と思っていっぱい話しかけててめえはカウンセラーでもなんでもないんだから間違ってる正義感を持ち出して思いやりやってまっせ!するな。

「え、そうやったん……ほんならこんな顔やったら良い?笑」と変顔したら無視された(最近の悲しかったこと第1位)。
この返答も間違えてた気がする。人間って嫌いな奴がちょけるのがこの世で一番不愉快やろ。
最後に「4年間ありがとう」と言い合ったけど、向こうのそれは本音だったのだろうか。

教室で最後のLHRをした、先生は凄く泣いていた。
1年生から担当していたクラスが終わるっていうのはやっぱり悲しいらしい。
号泣しながら「このクラスはこんな時でも面白おかしく盛り上げてくれる楽しいクラスで……」と保護者達に伝えている。
の癖にいつも発言数が多いクラスメイト達は先生につられてしんみりしている。面白おかしく盛り上げろよ、ちょっと涙目な真剣な眼差しで先生を見るなよ、これは完全にフリやろ。
もう良い、俺が面白おかしく盛り上げてやるよ。
「よっ!!」と威勢の良い合いの手で拍手をし先生の号泣スピーチを称えた。先生が笑い崩れて皆も笑う、こういう事やお前ら!!!

欠席が続いていた時にも親身になって話してくれた担任には凄く感謝をしている、今ここに俺が居るのも先生のおかげだ。
その日はやけに皆の口数が少なかったので相対的に俺の発言数が増えた。
よく数十分前にコミュニケーションで大失敗したのにそんな大胆なことが出来るな。
卒業式だから浮かれてたのもあると思うけど今後の人生の課題が1つ見つかりました。
そういえば鬱病になる以前の俺ってこんな感じの奴でした、調子乗ってやりすぎてしまう人間でした。
その要素を見た保護者の方達に上野って嫌な陽キャやなと思われてないか心配。
皆さん、僕は嫌なイキリ陰キャです、良い陽キャを目指しています。

そうしてLHRが終わったあと、大多数の人が別れの言葉も交わさず一瞬で帰っていった。おかげで卒アルの寄せ書きページはスカスカだ。
そいつらの背中が過去は振り返らないと語っているような気がして少し憧れた。
未練がましく地縛霊のように教室に残った数人と先生で写真撮影をした。

また会うことがあればそれはそれで、会わなくてもそれはそれで、お元気で!
というセリフで締めた先生への手紙は渡した時に「宝物にするわ」と言われたけどそんな大層なものじゃないので中身を読んでからガッカリされないか心配だ。いつものnoteと同じノリで書いたので感動とかは全くない。

帰りに両親とラーメンを食べに行った。
両親に対しては育ててくれた感謝をこういう機会に伝えないといけないと思うけど凄く恥ずかしい。
勇気を出して「ありがとうな……4年間……」と凄く歯切れの悪い感謝を伝えた。
俺がそんなことを言うわけないと思っていたのか二人ともビックリした様子だった。

14歳の時、今後の人生で使う予定だったやる気や勇気を全て前借りして母親に自殺をすることを伝えた。
止めてほしかった訳ではない、本気で死のうと思っていた。
いきなり先立たつのはさすがに迷惑だろうからという歪んだ親孝行だ。
反論されるようなことがあれば「そっちが勝手に産んだんやろ」と嫌味を吐いて終わろうと思っていた。
そんなことを言う暇もなく母親は号泣しながら止めてきた。
その時にせめて両親が死ぬまでは俺も死なないでおこうと思った。
結局止められとるやないか!
そこが人生第二章の始まりだと思う。そして今に至る。

今はまだ、生きている理由が「親が生きているから」の状態だ。
だけど今後の人生を続ける中で自分で生きる理由を探したい。
それを見つけた時が人生第三章の始まりだと思う。

高校生活はそんな未来の自分の為の良い下地作りになった。
世間一般的に見れば良い4年間だったとは言えないと思うけれど、自分自身でもそう思うけど、それが逆に良いんじゃないかな。
他の方のように自分流の哲学みたいなのを持ってないタダの馬鹿だからあんまり生とか死とかについて話したくない(つーか これが限界)のでこの辺にしとくか!

卒業文集の頼りになる人ランキング1位と面白い人ランキング2位だったことを誇りに持ってこれからも進んで行きます!




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