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雑記 回想、幼少期の話

きょうは謎の回想と自分語り。日記ではないし、あんまり面白くないと思う。

友達に「なんで塾講バイトやらないの?」と聞かれて思いだしたこと。

私は子供と接するのが苦手。子供は嫌いではないし、可愛いとは思うのだが、ただただどう接すればいいのか分からない。

思えば、私はなかなか思想の強い子供だった。大人扱いされたい!と思い始める年齢が低かった。中学受験の塾を決めたのも、面談の時に塾長が私を大人扱いしてくれたから。大人から名刺を渡してもらったのははじめてで、感動したのを覚えている。ほかの塾では、母にしか名刺を渡してこなかったし、私には敬語を使わなかった。小学3年生ながら、これがすごく嫌だと思った記憶がある。だから、小さい子にはつい敬語で話してしまう。ほとんどの子供は、同じ目線でフランクに話してくれる大人を好むだろうが、私にはそれがうまく出来ない。

通っていた幼稚園は少し特殊で、はやくから勉強をさせるタイプの教育だった。英語や算数の授業らしきものがあり、課題が終わるまで遊ぶことはできなかった。これと、3歳から通っていた公文のせいで(おかげで?)小学校入学時に他の子供より少し計算がはやく、少し多くの漢字を知っていた私は、自分のことを「周りより賢い」と思いつづけて成長してきた。無駄に高いプライドも、この時に作られたのだと思う。

子供らしくないと思うが、小さい頃から「できないことをしようとすること」が嫌いだった。というか、できないと認識することが嫌で、逃げていた。運動もそうだし、創作もそう。俳句などを書く宿題がでた時も、満足のいかないものを出すのがどうしても嫌で、恥ずかしくて、いつも白紙で出していた記憶がある。どんなに周りに説得されても書かなかった。優等生だったし、他の作業的な宿題は必ず出していたので、先生にいつも不思議がられていた。最初から何かができる人なんてほとんどいないのに、格好悪い作品を作ることがどうしても嫌だった!この姿勢は今の私にも少し残っている。

小学校で、友達は多い方だったと思う。元々人と話すのが大好きだったし、真面目な子とも、変わった子とも、目立つ明るい子とも話せた。そして、我ながら性格に裏表がない。裏表がない、というと聞こえはいいが、実際はただ不器用なだけだった。態度を取り繕えない。気分も嫌いも全て顔に出るので、苦手な人とは本当に仲良くできなかった。「苦手」が相手に伝わってしまう!これは今でもそう。委員会の男子には少し苦手なのだが、本人たちから「壁を感じる」「怖い」と言われた。嫌いではないのに申し訳ない。人を苦手だと思うことが少ないし、いい所をみつければすぐに好きになれるので助かっている。

本を読むのも大好きだった。1人で帰る時は必ず、歩きながら何かを読んでいた。夏の、ページの白さに目がやられて、暗い玄関に入ったあとしばらく何も見えないあの感覚が懐かしい。むらさきと黄色の光がチラチラして、目の前に長方形の白い影が浮かぶあれです! 難しくて分厚い本を読むのがかっこいいと思っていたから、図書室ではいつも長編ファンタジーを借りていた。おかげで今でもファンタジックな発想ができるし、読書スピードは割と早い方だと思う。

幼少期の経験って、自分を形作っているな〜という話でした。疲れているので文章が暗い!ごめんなさい!