『Four seasons』時を超えるその一年

2022年、冬。
我々イトウ騎士団はチケット抽選の壁を超え、吹き荒ぶ寒波を踏破し、波居る雑踏ををかき分けて、巡礼の地・有明へと足を踏み入れたのであった。
その先に待つ女神様のお姿を拝謁するため、そして写真集という名の聖典を手にせんと欲さんが為に……


勝手に変な団体作るとイトウさんを困らせそうなので騎士団は解散です。はい解散解散。大人しく村にでもかえりなさい。ハイお疲れさん。

終わっちゃいましたねー、冬コミが。
お祭りの後の寂しさや余韻を感じるのも醍醐味の一つ、とはいえどこか物足りないような、次が待ち遠しいような。
そんな気持ちを抱えて書き出した怪文書。
今回もきっと長くなる気がするので、新年早々お付き合いいただければ恐悦至極に存じます。

しかしイトウさんもウトラさんもお美しかった!
夏コミでお会いした時は緊張の余りガッチガチで、ほとんど声も出ない様な状況だったから、今回は無事にお話しできてよかったです。
やっぱり緊張して考えてたこと全部吹き飛んじゃったんだけどね……
なのでずるいけどこっちに少しだけ書いちゃおう。

イトウさん、あらためて直接お会いした貴女は本当にお綺麗な方でした。お声も可愛かったですし、お姿を見た瞬間に「ああ、いつもお写真で見ているイトウさんがここにいるんだ」と内心感動が大きかったです。
そして、目が合うだけで止まりそうになってしまう思考をどうにか動かしながら喋っていたので、今更ながら変なことを言っていなかったか心配ですw
お話しできた時間は僅かなものだったけれど、その僅かな時間は今までの人生全てに勝る貴重な宝物でした。
とても楽しかったです。ありがとうございました。
またコミケの会場でお会いできることを祈って!

ウトラさん、昨年末に不調気味であることを発表されていたので、お会いするまでやや心配の方が強かったのですが、いざお会いしてみると、以前の様に明るい笑顔が素敵な可愛らしい方でした。
僕はどうにも推しに対して心配性になりやすく、何ができる訳でもないのに大騒ぎしてしまう悪い癖があるので、今回も僕の心配のしすぎだったやもしれませんねw
残念ながらお話しはほぼ出来ませんでしたが、お会いした際に、お元気そうな姿を見て安心したのは本当です。
まだ本調子ではないやもしれませんが、いつかもとの元気なウトラさんが復活する日を信じて、一歩一歩着実に踏み出して行きましょう。オタクとして、いつでも応援しております。イェイ!

とこんな感じで少しだけ書いちゃいました。(少しではなくない?)
まあ、文字越しでのコミュニケーションツールがあるのだから使わにゃ損ということで。
それではいつも通り、あいどろっぷす氏への感謝を述べてから感想を始めていこうと思う。

あいどろっぷす氏、今回も素敵なお写真を撮影されたことに対し、今この胸の内には拍手と喝采が万雷の如く鳴り響いております。
本当に、言葉で言い表せないほどに優れた写真集でした。一度読むだけでは満足できず、繰り返し四度、五度と無意識にページを捲り、読み返してはまた始まりに戻って、ようやく怪文書に着手したところです。
そんな素晴らしい写真家のあいどろっぷす氏にも、いつかコミケでご挨拶できたらと言うのが今の僕の夢です。いつの日か、直接お会いできる日を祈って。


〜氏に捧げるプチ怪文書〜

ある人は、彫刻とは石や木に埋もれた芸術を掘り返すものだという。
ある人は、絵画とは思考の中にある風景をカンバスの上に産み落とすものだという。
では写真とは。
読んで字の如く真実を映し出すものである。
だが写真家の技量や、光と影の気まぐれを操る手管によって、フレームの中には一つの世界が産声を上げる。
つまるところ、写真とは空想を現実にしてしまうことなのかもしれない。
今回もあいどろっぷす氏は空想を現実に変えた。
だからこそ僕は神に請い願う。
この奇跡の担い手に、大いなる祝福を!



それでは本文を始めて行きましょうか!
先に言っておくと、今回は妄想過多でポエミーなのでかなりお見苦しいです。
トレーナー視点を妄想してみたり、ふと我に帰ってみたりで、おまえのスタンスはどっちやねんって感じ。誠にソーリー。
書き上げて今更だけど、今回の怪文書って感想として成立しているのかしら……
単なるオタクの妄想文とポエムの集積物でしかないような……




チクタクチクタクと時計の針は進む。
日が昇り、月と入れ替って沈み、そしてまた昇る。
月曜日が過ぎたら火曜日そして水曜日……なんてふうに月日が過ぎていく中で、ただ一つ変わらない輝きがここにある。
『Four Seasons』、心躍る響きだ。

今回、この写真集を目の前にして最初に抱いた感想は「不思議な本だ」ということ。
じっと見つめていると、まばたきをしたり、髪が風でふわりと揺れ動くような錯覚に陥る。
まるで写真の中のイトウさんが息衝いているかのようだ。
だから僕は手に取る前に、この不思議な魔法の本に挨拶をすることにした。
「はじめまして。もしよろしければ、その中に秘められた奇跡の世界の旅路を僕に案内してはくれませんか」と。
当然問いは返るはずもないけれど、紙面に描かれた美しい人は変わらず優しく微笑んでいる。
まずは敬意を示すために、もう少しだけ表紙を眺めることにしよう。

四季の始まりは春から。
だから本の始まりを担う表紙は、やはり春から始めるべきだろう。

春といえば花の季節。桜が咲いては散り、野には小さな花がそっと顔を覗かせては、長かった冬の終わりを寿ぐかの様に風に揺られている。そんな季節。

そんな春の景色の中で、何よりも美しい花がふわりと咲いていた。
果てのない蒼穹を秘めた様なコバルトブルーの瞳と髪のリボン。
溶け去った雪が唯一、己が存在を忘れ去られぬためと残したかの様な白く柔らかな肌。
しかしその白い肌には温もりを示す様に赤みが差し、冷たさを感じる要素など一つもない。
そして麗しい唇に合わせたかのように、春の桜と胸元のリボンが淡い桃色で存在を主張している。
首元を飾るネックレスも、桜の意匠を象っていてお洒落だ。
その全てが一つに纏まったこの表紙は、さながら早春の美しい面のみをより集めて織り上げた反物のように確かな存在感をもって存在していた。
だが思い思いに花開かせた桜に包まれながら、なごやかに微笑みを浮かべた姿は幻のようで、さっと強い風が吹いたならば、瞬きする間に桜吹雪に紛れて消えてしまうのではないかと思うほどに儚かった。

だから表紙を捲るときには内心祈っていた。
もう一度表紙に戻ってきたとき、その美しい姿が夢を見ていたかの様に消えていませんように、と。

表紙を捲る。
タイトルロゴと共に、四季をイメージした四つの色が混じり合うかの様に広がっている。
ウトラさんのデザイン力。すごいなぁ。
表紙にフレーム風の白線を傾けて入れていたり、写真の配置による動線作りや余白の使い方、どれも卓越したものを感じる。
サークル110のデザイン担当は可愛いだけじゃない。腕前だってピカイチなのだ。
この写真集を買った人々はそのことを再認識するに違いない。

「2人で過ごした1年の思い出」。思わず目元が緩みそうになる。たった一文が人の心を動かすことがある。
それぞれ違う道を歩んできた2人。
生きてきた時間も、過ごしてきた日々も、考え方も、視線の高ささえも違う2人。
そんな2人が手を取り合い、共に駆け抜けてきた1年間。
二人三脚、2人でひとつ。
これはトレーナーとウマ娘の1年間の思い出の結晶なのだ。
そんな想いを一文から感じた気がして、胸と涙腺がじわりと熱くなった。

さあ、追憶が始まる。
クリークとトレーナーにとっては回顧となるあの日々が、そして僕たち観客にとっての初めての光景が。

"Spring"

モノクロの風景に色づいた一片の桜の花びら。
そっと彼女の髪に乗り、小さな体で必死に飾り立てようとしている。
しあわせはきっと、こんな形。
それに気付いた2人がどちらともなく笑い出す頃には、花びらは次の誰かの元へ飛んでいくのだろう。
まだ見ぬ誰かへ、しあわせを届けるために。
けれど今はここにある。
出会ったばかりの2人のために。
新たな一歩を踏み出した、スーパークリークと、そのトレーナーのもとに。

菜の花に囲まれたクリークは陽だまりのように穏やかで優しい姿を見せている。
"OFF SHOT & TALK"で語っていたイトウさんの気持ちは間違いなく大正解だったのだろう。
菜の花畑とクリークは本当に相性がいい。
イトウさんが表現する彼女の周りを取り囲む黄色い花々は、クリークの優しさが溢れ出しているかの様にひとつの調和を生み出している。
それと同時に、彼女自身が抱える悩みにそっと寄り添い、優しく包み込んでいるかの様にも見えるのだ。
素晴らしい。ご本人のおっしゃる通りに、クリークに似合う花は多い。
それは桃色のベゴニアでもいいし、白いスノードロップでもいい。案外、赤い椿を髪に添えても映えるだろう。どんな花でも似合う。それほどにスーパークリークというキャラクターの容姿は愛らしい。
だけれど、数ある花の中から菜の花を選んだ事こそ、イトウさんがクリークに向ける愛の深さを象徴している様に思えた。
華美でもなく絢爛でもないが、温和で暖かな美しさを持つ花だ。

だからこそ、菜の花と映った一連の流れは深く心に残る。

花畑を見渡す様な後ろ姿。
どんな表情かを想像しながらも、横顔を覗き込む勇気が出せない自分がいる。
今は、1人で物思いに耽りつつ景色に浸っている彼女を邪魔したくなくて、ただゆっくりと待っている。

花に囲まれた座り姿。
ぽかぽかなのはきっと、天気のせいだけじゃない。
その笑顔が輝いているからこそ、この胸に仄かな熱が宿るんだ。
それにほら、君さえいれば薄曇りでもいい天気。
クリークと過ごす時間は、いつだってかけがえの無い物なのだから。

摘んだ花を手元に束ねて顔に近づけ、また顔を上げる。この写真を見ている今は冬で、一歩外へと踏み出せばまだ寒さを感じるこの季節。
だがこの2枚は胸の内に春の情景を描き出してくれた。
髪に日差しの熱を感じ、遠くから響く鳥の鳴き声を聞きながら、冷え切った街を溶かしていく春の風を待つ。

菜の花の向こうからこちらを覗き込み、口元にそっと指を当てる仕草。
僕がふざけて首を傾げながら、真似する様に口元に指を当てたなら、君は笑ってくれるだろうか。
君の笑顔が見たい。たとえどれだけ一緒に過ごしたとしても、その思いはずっと変わらない。


舞台を移してクリークを彩る花は菜花から河津桜へ。

そっと桜の枝へと手を伸ばす横姿を見た瞬間に、この目に映るのはクリークだけが全てだった。
美しく流れる背筋、ゆったりとした服を着ていてもわかる細い上半身、優しく枝へと触れる両手……
そして慈愛に溢れたその眼差し。
ポーズ、表情、構図、何もかもが完璧に計算され尽くしたかのような一枚だ。
完璧とは正にこれ。極致とは正にこのこと。
この一枚が視界に飛び込んできた瞬間、いつも何かしらの音を立て続けていた思考がぴったりと口を閉じ、ただただ目の前の一枚に見惚れることしかできなくなったのだ。

まってメイクすごく上手くないですか??
目元についてだけ言うと、遠間から見ると完璧なタレ目、近づいてみてみると元の目の形はわかるんだけど、そのうえで引かれたラインが深い魅力を生み出しているという加減。つまりどこから見てもメッチャ可愛い。
つまりどこに注目しても最高に整っているパーフェクトイトウさんって事です。わかりますね。

続くページ、手のひらに乗った数枚の花弁、そして髪に乗ったひとひら。
ああ、春のイタズラはこんなにも可憐で愛おしい。
章の扉ページでは見られなかったその横顔。
思慮深く、叡智を宿したその虹彩には何が映るのか。

桜に顔を寄せて微笑むクリーク。
綺麗なのは桜だけじゃ……って先に言われたぁッ!
クリークも綺麗、イトウさんも綺麗、ついでに桜も綺麗(桜はオマケかい)(それはそう)。
となれば綺麗の三色が重なり合った複層に目を見張り、ややあってから大きく感嘆の息を吐くしかありますまい。


と言うわけで恒例の妄想モード!


桜の花を手に取った彼女の、澄み渡った瞳がこちらへ向けられる。
けれどこんなに透き通っているのに、その奥にある君の想いは読めない。
いつだってクリークは神秘的だ。
穏やかな微笑み、ふわりとした立ち振る舞い、いずれもが視覚を通して"確かに存在する"という実感と温もりをくれる。
だけど、なぜか白昼夢の様にも思えてしまう時がある。

本当は君はいないんじゃないか。
本当は僕が望んだ幻なんじゃないか。

だからこそ、ふとした瞬間に触れる指先を、風に揺られて届く香りを、耳朶に染み入るその声を。
存在しないのではと思ってしまう不安な思いを打ち消すために、感覚の全てで反証する。

これは夢なんかじゃない。彼女は確かにそこにいる。




やっぱりイトウさんの写真集は楽しいですねぇ〜!
やはり二次元のキャラクターを三次元というテクスチャに根付かせるために、コスプレイヤーさんやカメラマンさんは、ある部分には手を加え、ある部分は残しつつ、または強調し、といった取捨選択を行い、そこから生まれる差異が個々人のオリジナリティになっているんだろうなと思います(詳しく知らんので妄想もいいとこですが)。

そのオリジナリティこそがイトウさんの素敵なところ。
いろんな方の、いろんな写真を見て、もちろん何れも素敵なお写真だけれども、イトウさんのお写真はご本人が目指していると語られた通りにとても自然体。
キャラクターの衣装が風景と馴染み、獣耳やエルフ耳などの人と離れた特徴を持つキャラクターでもごく自然に現実に混ざりあっている。
そして「ああ、たしかにこのキャラクターならそうするだろうな」という動き。
たぶんファンになったきっかけはそれなんだと思う。
イトウさんが目標とする所が、僕というイチ傍観者の中の理想像に完全に合致したから……なんて言うと傲慢な言い方ですよね。
だけど、その目標へと突き進む姿が見たい、その願いの果てを見届けてみたいと思ってファンになることを決めたあの日、あの時。
その選択は間違っちゃいなかったと胸を張って言える。そんな日々が少しでも長く続くことを信じたくなる。
時々、自分のような者がファンを名乗っていいのかと不安にもなるけれど、できればもうちょっとだけファンでいさせてください。


冷静になったらすごい恥ずかしいことを言っている気がしてきたので大脱線中止で話を戻しましょっか。
桜だっけ?桜だよね。そう桜、桜。

"Spring"の最後のページ、視線を動かして桜を見つめ、そっとキスをする動作を写した2枚の写真。
整った半月型の両目が閉じられ、口がそっと窄められる。
澄ました笑顔の乙女が、花に口付けする無垢な少女へと変わる瞬間。
その表情の変化が、波濤のように胸を昂らせる。
いやマジで美女のキス顔ほど尊いものってこの世になくない??このお写真は、地球丸ごとよりも価値のある瞬間を切り取ってるんですけど????

そんなふうに大騒ぎをしているうちに、春が終わった。


"Summer"

ふと思い出した瞬間の、あの夏の日々はどこか色褪せていた。白とグレーに彩られた世界で、水色のリボンだけが色を持つ。
けれど、いくつものクリークの姿を思い出していくうちに、それらは鮮明に色を取り戻してくるくると回りだす。
もう二度と忘れはしまい。
遠く過ぎ去った過去であっても、記憶の中のあの夏の日々で、白いワンピースをたなびかせながら君はいつでも待ってくれているから。

「トレーナーさん!こっちですよ〜」と呼びながら手を伸ばすクリークの姿に思わず目を細める。
中天に座した太陽より、何よりその姿が眩しくて。
白い日傘を手にした彼女はすっかり夏の装いだった。
真っ白なワンピースに麦わら帽子。
たとえ茹だるような暑さと、けたたましく続く蝉時雨に思考が鈍っていたとしても、一瞬でクリアになるような純白の君。
覗き込めば潮騒が聞こえて来るような、海色を湛えた深い青の瞳と目があった瞬間に、ようやく夏を楽しむ準備が出来上がるのだろう。
それまではただ猛烈に蒸し暑いだけだった日々。
そんな日々を変えてしまう、盛夏の宝石。

辺りに生い茂った青草と、向こうから運ばれてきた灼けたアスファルトの香りが湿り気を帯びて入り混じる。
夏の香り。
太陽が最も力を振るい、それに負けじと生命たちが張り合って賑やかさを増すこの季節。その香り。
まだ鼻腔に留まる残り香と共に、視界を再びクリークへ向ける。
向日葵を抱いてこちらを見る姿は絵画のようだった。
ふっ、と視線を外し、どこかを見つめるその微笑みは、とても遠くにある何かを見ているのだろう。
それは熱気により生じた蜃気楼が覆い隠す地平線の彼方か、あるいはもう戻らない幼少の日々か。
時間も空間も定かではない、遠い遠いどこか。
その感傷に浸る姿を、ただそっと見つめていたかった。
触れてはいけない、繊細で尊いもののような気がしたから。

「暑いけれど心地いい風」。そう言って目を細めて、気持ちよさそうに風を感じるクリークはまさに夏の乙女だった。
風をはらんで広がるレースの飾り。
ページから溢れ出した夏の熱気と清々しい風に、一瞬心が高揚する。
鹿毛の髪も揺れているような錯覚に、思わず頭を振る。
B5スクエアサイズの写真集に、なぜここまで奥行きを感じるのだろう。
それはまるで、あの幻想的な毎日が繰り返される夏の扉のように感じた。
やはりあいどろっぷす氏、写真を介した魔法使い。
どこまでも進化が止まらない。


続くページではウオオオオーーーーッ!!

ウィンクひとつで弾ける喜びが、心象の中の景色を水玉模様に塗り替える!!!
空に透かした氷菓子のような水色に、レモン色の水玉が散らばった、パステルカラーの心模様だ。

はにかむ喜色とウィンクする美貌。間違い探しをしているかのように、左右のページを交互に繰り返し見つめる。

この場合の間違いは僕の脳の処理能力!
片方しか充分に視認して認識できない僕の脳が一番間違いですね。
イトウさんのお写真が100枚貼ってあったら100枚同時に処理できる脳になりたいぜ。
これ、今年の目標です。がんばれ2023年の僕!

決意も新たに次のページ!
軽くスカートを摘みながら向日葵を向ける姿はさながら魔法少女!
魔法少女 スーパー☆クリークですか??
近年流行りのシリアス系な魔法少女じゃなくて、昔懐かしの夢と愛と希望を振り撒くタイプのやつでは?(ミンキー○モを除く)

黄色く主張する向日葵を手にした立ち姿は、風に響く風鈴を思わせるようにたおやかで、また涼やかで。
サンダルのデザインも可愛いんだぁ。
ギンガムチェックの飾り布がとってもオシャレ。
スーパークリークに良く似合う、落ち着きがありながらも少女らしいデザインしててさ。
本当にクリークが選びそうな組み合わせ。
全身を見られるカットだからこその、トータルでの完成度の高さ。そして改めて衣装の細部と全体像の比較ができるからこその発見。
こういう細部を見るたびに、イトウさんが如何にクリークのことを考え、思っているのかが伝わってくる気がして、いつも楽しい気持ちになってくる。
誰かの一途な思いは美しい。
それを見届けるというのは本当に楽しくて、たったひとりの起こした"楽しさ"の螺旋に巻き込まれるのが嬉しいあまりに、今日もファンを名乗る不審者をやっているのが僕です。

「ひまわりって、トレーナーさんの笑顔みたいです!」
いい台詞だ。
トレーナーが向日葵ならば、クリークは太陽だ。
向日葵は太陽の方向を見つめ続けると言う逸話があるのだから、トレーナーが見つめ、見守る対象は太陽なのだ。
その笑顔が麦わら帽子の向こうに隠れても、輝きは微塵も曇りはしない。
太陽の笑みを持つ少女、スーパークリーク。
「大輪の輝き」と言う言葉は君だけのものだ。

"Summer"最後の一枚。
傾き始めた太陽に照らされて幻想的に写るのは、やはりスーパークリークであり、そしてイトウさんだ。

実際に撮影された時間はわからないけれど、夕暮れだったらいいなと言う願望で感想を書いちゃおう。

西陽に照らされた髪は、一筋一筋が栗色に染め上げられて輝きながら、ふわふわと緩やかにウェーブする。
風は既に夜の前触れとなる支度を始め、どこか物足りない気持ちにうっすらとした焦燥感を感じだす夕暮れ。
その中に佇むひとりの面影が胸に焼き付いたまま、あの夏の日がまた来ることを待ち続けるのかもしれないオタクです(捏造された思い出)。

鼻の奥がすこしツンとした。
写真でなければ、時が過ぎ去っていくのを止められない無情さに涙さえ流したかもしれない。
この時が永遠に残されているというのは素晴らしすぎる。人が文明を持ったことの大いなる恩恵はここにあるのだ。
あいどろっぷす氏、あなたが神か!


"Autumn"

足音が聞こえた気がする。

小さく跳ねて切り株の上に乗ったクリークの足音が、こつん、こつんと秋の森に鳴り響く。

それは四季の半分が過ぎたことを告げる、小さな振り子時計の音のようでもあった。

足元には色の残った落ち葉が3つ。

すっかり静かになってしまった木立の隙間から、クリークが顔を出すのを想像する。
ぼうっと惚けていると、ほら、もうすぐそこに。
ぴこぴこ動く、ふたつの耳を覗かせているから。



秋の始まりは、木に背中を預けるクリーク。
目を閉じて、胸の前で手を重ねる。
瞼は赤子を抱く母の穏やかな慈愛を思わせた。
深窓の佳人を思わせる物静かな空気は、砂漠に降り注ぐ慈雨のように、深く深く網膜を通して染み込んでいく。

「鮮やかな赤に 包まれて」
添えられた言葉を読んだ瞬間に、脳裏に色鮮やかな景色が広がっていく。
鮮やかな赤、思いつくのは燃えるような唐紅のモミジの葉。
草木が別れを惜しんで書き上げた、目にも鮮やかな季節の便りが梢から送り出されていく。
そして茶、黄、色とりどりの木々の葉。
そして樹皮の色、土の色。
それぞれが混ざり合い、野山が織りなす更紗にも似たその色彩に降り立った少女は、透き通るような水色を纏っていた。

片膝をつき、ちょっぴり首を傾げる様子に頬が緩む。何度見ても、何時間見つめても変わらず見惚れるピュアな表情。
『ピュリティオブハート』に相応しい、内心の清らかさを持つクリークがまさに、今そこに、写真の中に三次元の存在として確かに居た。
胸元で縦に並べられたその指先は、秋風を奏でるハープの弦のように美しかった。

林道にて立ち止まったスーパークリーク。
空を見上げ、手を翳す姿に花鳥月夕の喜びを知る。
「ひとやすみしましょうか」の言葉に安らぎを得る菊日和の昼下がり。

そうか、菊日和か。自分で書いていて思った。
秋の日の好天を指す言葉だけれど、「菊」の字が入ったこの単語は菊花賞で初勝利を飾ったクリークにピッタリだ。
だからなのか、この風景がより一層馴染むような気もしてきた。

湧き出してきた秋思に浮足立つ気持ちを抑えてもう一度見る。
山粧いの深まった景色の中でも、一段と視界を彩るのはやはりイトウさん。
耳はトレーナーさんとの山歩きを楽しむ心を表すかのようにピンと立っていて愛らしい。
繊細さを形にしたような白くほっそりとした指先で、寒風から身を守るようにショールが寄せられているのを見て秋らしさがぐっと増してきた。

そういえばこれ、ポンポンの部分はご自分で染められてたんだっけ(Mumの巻末参照)

山よりも高く、海よりも深いイトウさんのクリーク愛。
ならばオタクとしては、写真に映り込む落ち葉より多くの言葉を使ってその愛の高潔さを讃えたい。
最近語彙力不足が露呈しているので険しい道のりだけれど、イトウさんの素晴らしさをわずかでも理解できた故の尽きぬ情動がそうさせるから。

ページを捲ると4つの場面が物語を紡ぐ。
団栗をひとつ、手に乗せてそっと見つめる手のひらがあまりにも愛おしい。
美しく丸みを帯びた指先から覗いた爪の先ですらも、ひどく尊く、大切なものに見えた。

ふたつ、みっつ、たくさん。

拾い上げるためにしゃがみ込んだせいで顔が見えなくても、確かに感じる生命の美。
寒空の下に曝け出された肩と背中の白さに賛美を送りつつも、体を冷やしてしまわないか心配になる。
ウマ娘は寒さに強いんだっけ。
それでも見た目は華奢な少女で、触れれば壊れてしまいそうな程に細い腕やウエストをした女の子。

ていうかイトウさん自身は人間の女の子!
ヒト娘でプリティーだけどダービーは観る側ですもんね!!
心配!!いやワシゃ過保護か!!と壮絶な一人ボケツッコミをしております。
やっぱり推しの健康が一番大事!
今年こそはサークル110の御三方に無病息災を!!と、新年早々に二か所ほど神社を回ってお祈りしてきたところ。あれっ、自分のことのお祈りは適当にしてる気がする……?

さて話を戻そう。

「よく子供たちとどんぐり探ししたんですよ〜」という一文が、物語に更なる命を吹き込む。
団栗を日の光にかざすように、指先で摘んで持ち上げた瞬間の角度・表情・使う手、色々と違うけれど、共通するのは愛らしさ。
年相応に振る舞う姿は、ウマ娘の作中で他の子たちに見せる姿とは全く違う、もしかしたらトレーナーさんだけが知る違った一面。
これこそがイトウさんの表現力!(と僕が勝手に思っている部分)

あるキャラクターのどんな部分を切り取るのも個人の自由!だって趣味だもの。自己満足が一番大事。
そしてイトウさんが本当に求めている方向を僕が完全に理解できる日は、悲しいことにきっとこないけれど、僕なりに見た今のイトウさんが表現している方向性が本当に好き。
そして勿論、新たな可能性を模索する探究心も。
なんせオタクですから。
イトウさんが駆け抜けていく姿を見守っていきたいファン心理ってやつなのよ〜。
思うがままに駆け抜けていってください。
本能のままに走り続けるウマ娘たちのように。
そして疲れたら休んでくださいな。
迷惑かもしれないけれど、このファンはイトウさんが活動をやめない限り、いつまでも待ち続けるのですから。
そう、それはきっとイトウさんがおばあちゃんになっても。(その頃には僕は火葬場を通過している可能性はあるけれど気合いで復活します)
とはいえそんな先のことはわからないので、言葉の後には「きっと」とか「たぶん」とかいっぱい付いちゃうんだけど。

どうにも余計な語りが多くて申し訳ない。
『HAPPY 365 DAYS』のイトウさんの文章を読んだ感動が時間を過ぎてもいまだに抜けていないせいです。
あっちもそのうち軽めの怪文書を描きたいですね。
こっちがとても長い分、本当に軽めにね。
では長くなりすぎたので次にいきましょ。

展望デッキでペットボトルのミルクティーをそっと両手で包んでるイトウさん、良〜〜〜いっ!ぞっ!
ついつい目を細めてしまうほどに、遠くて切ない追憶の一枚。ホントはそんな記憶持ってなかったけど。

あったかいよねぇ。寒い日に両手で包み込んだ、買ったばかりのホットな飲み物。
でもそれ以上にこのお写真はぽっかぽか。
ほのかな熱がじんわりと伝わってくるような、季節を感じる一枚に思わずグッときた。

ここ数年は涙腺が緩くなりがち(またの名を老化)なんですけど、イトウさんの写真集を見ると、感動を目から表現しそうになる時があるんです。
つまりウルッと。
ちなみに『12REM』の袴のお写真はマジに泣きました。
なんか心の奥深くに突き刺さって抜けなくなるものがあったんです。それが何なのかは今でもわからないけど。

また話を戻しましょう。

去りゆく夕日を見送るような、ちょっぴり寂しそうな笑顔を見て偲ぶ。
良い1日だったかなぁ。忘れられない日になったかなぁ。
できるだけたくさんの素敵な記憶を集めて、大事に大事に抱えていくんだよ。
忘れぬように胸の中の宝箱に詰め込んで、一歩、また一歩。
そうして作り上げた道に続く足跡が、いつか輝き出す時まで。

な〜〜んて言っちゃうとオジン臭いですな!
だってクリークのストーリー読み返したらすっかりエセ保護者目線になっちゃったんだもん。
そんなときにこんな切なくて美しい写真見ちゃったらついそう思っちゃうというか……
なのでこれはイトウさんの表現力の勝利。
読んだ記憶に重なるクリークの、等身大の肖像であるからなのだ。

「少し寒そうなその背中」。
いい文章。的確かつ詩的で、何より含みがある短文が写真に深みを持たせてる。

夕日に照らされたスーパークリークの後ろ姿。
ショールに包まれたその背中を見た時に、ふいに彼女をむちゃくちゃに褒めてあげたくなった。
レースは熾烈で、トレーニングは大変で、そんな日々にもみくちゃにされて。
それでも笑顔でいられる自分を見失わずに凛と立つクリークが、とってもとっても愛しかったから。
小さな背中にいろんなものを背負っている彼女を、言葉だけでも支えられたらと願うから。

秋のページが終わる時、クリークの笑顔にまた会えた。
後ろ姿を見ていたのはわずかな時間のはずなのに。
観客の僕には1ページ跨ぎの束の間の再会なのに。
何故だか長い時間を待っていたような感覚だった。

このとき、僕はイトウさんの笑顔に深い安息を覚えていた。


"Winter"

春ひとひら
日差しひらひら散り桜

夏ひとひら
雨に揺られる緑の葉

秋ひとひら
風に巻かれて舞う紅葉

冬ひとひら
肩に降り積む細雪

長かった4つの季節は、冬を最後に終わってしまう。
これまで通り抜けてきた季節を思い返して小さくため息をつく。
巡る月日はあっという間。
この写真集ももうじき終わってしまう。
だからこそ、この暖かな架空の記憶を楽しもう。
クリークと過ごした1年間のアルバムを。


降りしきった雪は町に、野に、家々に、そこかしこに降り積もって、辺り一面を銀色に変えてしまう。
凍えるような景色を見渡して、キミがまるで子供のようにはしゃぐ。
すっかり色を失った世界の中で青いスカートだけが鮮明だった。
だから世界に色を取り戻すためにページを開こう。


寒空の下でクリークが笑う。
マフラーに添えられた、その手が好きだ。
かじかんだ指先を隠すように握りしめた手が、折り畳まれた天使の羽根のように可憐だ。
「うふふ 息が白いです」という言葉と共に、髪をかき上げる、その手が良いのだ。

おかしいな、僕は別に手フェチではないはず……


ステップを踏むように雪に足跡を残していく軽やかさは、雪に反射した光と相まってとても眩しい光景だ。
"winter"が始まってまだ2枚しか見ていないのに、もうすっかり冬のクリークに夢中になっている。

フランス映画みたいな甘口の冬がきた。


ピロシキを頬張って熱そうにするクリーク、雪が全て溶けてしまうんじゃないかってほどの可愛さです!!!
淑女然として口元を抑えた次の写真では、火傷した舌を外気で覚ますようにぴょこりと舌を出してる幼げな困り眉!
耳まで下がっちゃって、そんな慌てん坊なところも愛くるしさに溢れてる。

ふーふーしてから差し出してくれるクリークの優しさがじんわりと胸に沁みた時、寒さを微塵も感じなくなるほどの喜びが湧き出してきた。
おいしいものを一緒に味わいたいという優しさ、楽しい気持ちを分かち合いたいという優しさ。
隠し味はちょっぴりの乙女ゴコロ……だったりして。
そんな事を考えたら、齧りかけのピロシキを見ながらちょっとドキドキしてしまった。

アスファルトの道の真ん中にクリークが立っている。
たった一人のランウェイを見守るのは、自然物と人口物で成り立つ静謐な風景だけ。
落葉樹は裸の枝を天へと伸ばし、常緑樹は変わらず緑のままで、道端には積もったままの雪。
そんな中に一人佇むクリークは、作られたかのように均整の取れたスタイルと、屈託のないナチュラルな雰囲気を纏っていた。
やっぱりスタイルいいんすよ、イトウさん。

次の一枚は見慣れているのに新鮮な写真だった。
イトウさんのアイコンでいつも見慣れたお写真だけど、紙面で見ると格別の感動がある。
ところで冬コミのポスターとは腕の角度が少し違うんだなって。

あっちは左手が少し下がって、抱擁を待つような感じだった。
ちょっと勢いをつけてその腕の中に飛び込んで、二人で雪の上を転げ回って笑い合う妄想が出てくるようなエモみがありますよね(クリ×トレ過激派)(トレが左でもいいぞ)(ただし規約が火を吹かない範囲でね)

そしてこの写真は喜びを解き放つように大きく手を広げていて、底抜けに明るい素敵なお写真。
掬い上げられて飛び上がった雪が、光って舞って視界に広がる。

写真集も最後の方になって思った。
どんな季節もどんな景色も、イトウさんがいるとまた一段と色付きを増して輝くんだ。
舞い散る桜吹雪も、日差しを返す海原も、色付き舞い上がる紅葉も、白銀に輝く雪景色も。
すべてイトウさんと共に映るから、何よりも綺麗に見えるんだ。
(ちなみにこの本には海の写真はなかったけど、以前投稿されていた海のお写真は今でも大好きだ)

だからこれからも、たくさんの素敵なお写真が見られるといいな。
どうか良い日々を。良い旅を。

見開きページに大きくクリークが映る。
雪の上に寝そべった情緒的な光景。
ぐっと顔が近くなり、呼吸の音すら聞こえてきそう。
大きく写った鮮やかな目で見つめられると何も言えなくなる。
「これは雪のせい? それとも…」
そう。きっと、ぜんぶ雪のせいだ。
赤くなってしまった頬も、ちょっぴりこわばってしまった体も、何もかも。
短く深呼吸をして写真を見つめる。ああ、やっぱりあなたは綺麗な人だ。


「行きましょう、トレーナーさん!」
寒さの中で呼吸が透き通るような感覚を味わっていると、ふいに掌が差し伸べられた。
浮いた片脚を見ていると、どこまでだって行けるような気がする。
だから行こう。
次の春まで一直線に駆けていこう。
どこまでもどこまでも、繰り返す季節の中を、色とりどりの思い出を作りながら走っていこう。

クリークと過ごす日々は終わらない。


という訳でもう一回冒頭から写真集読み直してきますね……(余韻台無し)

ていうかやっぱり脚長いですよねイトウさん。
美人要素のチェックリスト(なんだそれ)があるとしたら、全項目に当てはまるパーフェクト美少女よ〜!

そして精妙にして巧緻、しっかりと考え抜かれたクリークらしさが散りばめられて、オリジナルのものですら"らしさ"を感じる衣装の拘りがハーモニーを奏でる最高の一冊でございました。

そんな写真集もこれで終わり……
これにて拙者も一巻の終わり……?と思いきや次の写真集の構想があるかもしれない??

ヤッターーーーーーー!!



"OFF SHOT & TALK"を読んで +いつもの独り語り

僕はイトウさんの文章が好きだ。
今回のことで言えば、そこにはクリークへの深い愛情が溢れているし、撮影の裏話やちょっとした失敗談、撮影に至るまでの感情、経緯なんかを読むことができるのは、正直、嬉しくてたまらない。
そしてオフショットだからこそのイトウさんらしさ多め(ちょっとお茶目なところだったり、垣間見える"素"っぽい部分だったり)のお写真は、ファンとしては心躍るものである。
もちろんキャラクターに合わせた表情や仕草をしているところも大好きだから、どちらがいいという訳じゃない。
ただ、それぞれの良さが別々にあって、それぞれを味わう瞬間の喜びが確かにそこにあるから。

喜びは揮発性。湧き出たと思えばすぐに気化して身体中を満たす。かと思えばいつのまにかどこかへと流れ去ってしまう。
だから、なるべくたくさん湧かせよう。
それが明日を輝かせてくれるのだと信じて。


最後に恒例の、好きな曲の歌詞を引用するやつをやっておこう。
聴いていてイトウさんに捧げたいと思った歌詞の一節だ。

「あなたの描いた未来が、美しくあるように」

イトウさんの未来が素敵なものでありますようにっ!
という訳で今回の怪文書はこれにて終了!

以上!


荒斑泥

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