写真集『12REM』は優美に微笑む(短縮版)


ウオオオオオオ!!(壁を破って飛び込んでくる音)
新作新作新作ーーッ!!

発売日をねぇ!心待ちにしていたんですよぉ!
たぶん1万年と2千年前ぐらいからァ!


ちなみに8千年すぎた頃から『Love me?』がもう一冊欲しくなってました(浮気)
しかしそれは12月に自分へのクリスマスプレゼントとして買うので我慢するとして、ついに出ましたよぉ〜レムちゃんの写真集〜〜!

"待(ま)"ってたぜェ!!この"瞬間(とき)"をよォ!



本当にこの日を首を長くしてお待ちしておりました。
長くしすぎて首が2メートルくらいあります。少し伸びすぎたかもしれません。
そのうちケニアあたりでキリンとして暮らし始めるからよろしくな!
まずは全身網目模様になるところからだ……!

オタク特有の奇怪な生態はさておき、写真集が10月に引き続いて2ヶ月連続リリースの現状、本当に素晴らしいですよね。
冬コミがあることも考えると3ヶ月連続!
きっと凄まじい作業量になっているに違いない……

最近かなりこまめに言っているので、いい加減に鬱陶しいかもしれないけれど、体調には充分にお気をつけて頂きたいと常日頃思う。
実際の忙しさを知らないのでもしかしたら結構余裕があるかもしれないけれど、前回の『GLEEN LABORATORY』が50枚、今回の『12REM』が120枚と考えると中々のものなんじゃないだろうか。
なので文章の開始早々に言うことではないけれども、まず言いたい言葉は「大変お疲れ様でございました」。
今回も、イトウさんが費やした労力とその成果を1枚1枚噛み締めながら、大事に繰り返し見ていく。
それが一人のファンとして出来る、最大限の敬意の示し方であると信じて。

そして大変嬉しいことに、今回の撮影もあいどろっぷす氏だ。
今回も素晴らしい作品だった。前回も前々回も、僕が知る範囲でのあいどろっぷす氏の作品は全て素晴らしいと思うけれど、前回は前々回より、そして今回は前回より一段と洗練されているように感じる。
同一のキャラクターでありながら、それぞれ衣装ごとに違う雰囲気作りをするという難題を物の見事にこなして見せた力量は、もはや卓越や超越などといった言葉に収まらないと感じる。
まだまだ進化を続ける氏の作品から、今後も目が離せない。楽しみだ。


それでは早速、僕が目撃した驚くべき美の数々について述べていこうと思う。
ちなみに今回に関しては、文章を好き勝手に連ねるうちに18000字を超えてしまったので、これはまずいと急遽短縮版を作り上げた。
さすがにコミケを控えて忙しくなるであろう推しに伝える感想文、もとい怪文書であるのだから、なるべく縮めつつ自分の思いを可能な限り詰めておきたかったからだ。
なので冒頭の一部と末尾を流用したうえでなるべく手短に済ませたつもりだけれど、いつのまにやら8500字近くなってしまったので、これは半分失策だったようだ。
もちろん文中で触れていない部分や、軽く触れる程度に留まっている部分も大変素晴らしいという事はここで述べておきたい。


『バニーガール』

バニーガール。なんという魅惑の響き。
その単語がこの世に誕生したその時から、諸人を魅了してやまないその言葉。

光沢のある黒い布地は集めた視線を乱反射させ、その両足を覆う網タイツは諸人の心を捉える漁師の網だ。
付与されたメイドという属性も、純白のヘッドドレスとエプロンで全てを優しく包み込む。

そんな衣装をイトウさんが着たらどうなるか。
そりゃもうトキメキの化学反応ですよ。

イトウさんの可愛さと衣装の可愛さが混ざり合わさったところに、その可愛さでショートした感情が火花を散らして大爆発!
そうして出来上がったのがこの怪文書ってワケ。

椅子に腰掛ければ瀟洒かつ嫋やか。
麗しさに満ちたその姿に見惚れること間違いなしなんですよ。
その後に続くうさぎさんポーズなんか可愛すぎるよぉ……
こんな可愛い人類他にいなくないですか??
人類最カワの称号はイトウさんのためにある。

そしてバスタブの中から微笑む写真。
イトウさんがそこにいるだけで、バスタブは純白の玉座へと姿を変えるんです。
口元に手を当てて微笑んでも、両手を膝の上で重ねて真っ直ぐに視線を向けても、その全てに心を躍らせる何かがある。

ベッドの上で微笑む姿。
7枚目の写真がすばらしく尊い。
無垢な眼差し、永遠の少女を思わせるその全てが、白絹すらも霞んで見えるような純真さと純白さを見せてくれた。実に可憐だ。


『キャンペーンガール』

キャンペーンガールは未来の輝き。
半透明のスカートとベストに覆われた、黄色と黒の布地がライトに照らし出されて輝く。

キャンペーンガールと言うからには何かのための広告塔としての役割もあるのだろう。
もしかしたらタイムマシンを紹介し、時間の渡航者を募るために遠い先の時代から来た科学の妖精なのかもしれない。

貴女に導かれて旅立つ未来はきっとユートピアだ。
その素敵な世界へと僕を連れて行ってほしい。
時間・空間・次元を超えて、貴女と共にどこまでも。

差し伸べられた手のひらに、遥か彼方から僕を呼ぶような声が聞こえたような気がする。

この衣装では腕が印象的だ。
両腕を上げて見せればそのしなやかさが見せつけられる。
腰に手を当ててみれば、その腕が作り出す三角形に幾何学的な美が形取られる。

そして直管型のライトを抱き込もうとする腕のなんと美しきことか。
光を受ける肌は穢れなき白さと滑らかさを持ち、真珠のように透明感のある輝きを見せている。

やはりその身の全てが美しい。
光源を受けて尚も霞まぬその輝きに見惚れるのみであった。


『チャイナワンピース』

チャイナ衣装は正しく東洋の神秘だ。
袖やスカートはゆったりと玉体を覆い隠し、それと反するように絞られたウェストは引き締まった腰回りを強調する。

そんな衣装を纏って浮かべる表情の一つ一つは、太陽のめぐりを人の形に写し込んだような美しさで魅了する。

満悦の表情で瞳を閉じれば、払暁のように大いなる輝きを予感させる。
微笑んでみせれば中天を飾る真昼の太陽。
顔をやや上げて斜めに視線を送れば、夕日のように切なく。
そしてアンニュイな表情をすれば薄暮のように。

絢爛なるかなチャイナ服。

中華風の内装と合わさってオリエンタルな世界観を構築するこの10枚で、胸の内を翠色の初夏の風が吹き抜けていくのを感じた。

風は空想の中の竹林を吹き抜け、揺らされた竹たちはしゃらしゃらと音を響かせながら心に和みを齎してくれた。愛らしく、そして雅な時間だった。


『クリスタルドレス』

クリスタル・ドレス。
「名は体を表す」という言葉の通りに、水晶のような澄んだ煌めきが眩しく映る。

ミニスカートの上に付けられたウェストマントのようなレース生地の飾りは、開けば血色の良い脚を曝け出すことで水晶の輝きに生命力を与える。

そしてそれを閉じるだけで、高貴さを周囲に振り撒いて、周囲の全てをイトウさんの居城に変える。

そしてその印象は舞台の構築美と交差することで更なる飛躍を遂げる。

1〜3枚目ではチャペルのようなセットとミニスカートが相まって、花嫁のような瑞々しさがある。
横座りになって楚楚とした振る舞いを見せるその姿、そしてそれが床の反射にも映し出されている。一つの美の極致だ。
古来より人々は、水面や磨き抜かれた床に映る見目良いものに表裏一体の美を見出してきた。
それは逆さ富士然り、宝徳寺や瑠璃光院の紅葉然りである。
真に優れたものであるからこそ、その片方が平面に写る虚像であっても、2つ揃うことで倍以上の尊さを心象へと焼き付けるのだ。

そして残りの7枚は、大扉やガゼボなどの背景と合わせて写すことで城の内側にいるような印象を作り出す。
光の効果も特筆しないわけにはいかない。
背後から照らし出すライトは、演劇のヒロインを照らすように、才媛をその全てを以って称える。

小さな輝きを編み合わせて作り出したイルミネーションは、ご本人だけでも輝いているイトウさんをそっと手助けするように背後で活躍を見せている。

前で手を組む姿も、レースの布飾りを舞わせて踊る姿も、振り向いてこちらに手を差し伸べる姿も、そのどれもこれもが光を使いこなしている。

9枚目の写真、舞い上がった雪がキラキラとその存在を主張する中で、軽やかに跳ねるような仕草をしたイトウさんがそれ以上に眩しく見えたのは、きっと錯覚ではないだろう。

嗚呼、我らが姫よ。
5万と7千の民衆を魅了する玲瓏たる美姫よ。
電子の海に築かれたSNS上の王国よ、永遠なれ。



『袴』

袴姿は舞い散る桜吹雪のように儚くて。
大正浪漫の薫る立ち居振る舞いは、画面の向こうでノスタルジックな世界を作り出す。

真っ直ぐな座り姿は本人の育ちの良さと清らかさを示すようであり、思わず声がこぼれるほどに整っている。
そして座ったままで両腕を緩く上げて見せれば、青い鳥がその瑠璃色の羽を広げたかのように袖がしゃらりと持ち上がる。

だが何よりも、畳に寝転ぶ姿にセンチメンタリズムを覚えてしまった瞬間の感情の奔流が心を強く揺さぶった。
仰向けのままでこちらを見上げるその視線、その姿勢、その表情。
映り込んだ全てに縛り上げられたかのように、胸がきゅうっと苦しくなる。

なんと愛しいことか。なんと切ないことか。
春風駘蕩たる笑みに安らぐ中へと混じり込んだひとひらの慕情。
きっと余人からすれば何気ない一枚の写真なのだろう。けれど僕は、この写真を見た瞬間に目が潤むほどの心のうねりを感じてしまったのだ。

叩けば割れる紙風船。
優しく労わるようにそっと押し上げ、宙に舞わせる。
浮かび上がった紙風船が、もう一度手のひらのうえへとゆっくりと降りてくるのを僕は何もせずにただぼんやりと見つめていた。


『仔ヤギ』

仔ヤギよ仔ヤギ、踊っておくれ。
ぴょこりぴょこりとその足取りで、幼気とは何かを私にもう一度教えておくれ。

桃色の部屋に囲われた白い仔ヤギ。
愛され育った箱入り娘。

童話のように狼に攫われぬように。
無垢なるその身に血が滲むことのないように。
この世のあらゆる痛みから遠くあるように。

ぴょこぴょこ跳ねる白い仔ヤギ。
たった一人の箱入り娘。


なぜ唐突にこのような文を書いたかといえば、背景の変化がそうさせたといわざるを得ない。
前半ではファンシーな小部屋で漲る愛らしさを全身から発し、天真爛漫な姿を見せる。
反面、後半では鳥籠や格子窓が現れることで、囚われたかのような僅かな硬質さを滲ませる。
それ故に、唯一変わらないあどけない表情が、たった一つの存在が変わらずあり続けることで、二つの世界が一つに溶け合う。

どちらかが本質だ。どちらが現象なのだ。
甘いように見せた檻なのか。檻のように見せた愛なのか。

以前に述べたように、庇護欲と束縛は大きな括りにおいて同じものだと僕は考えている。
そんな思考と、この写真におけるセットのチョイスが一致したような錯覚を見た。

こんなふうに、配置された写真の流れからストーリーを考えるのも楽しいことだ。
それを推しの写真集に沿って作り出せることが何よりも嬉しい。

ふわふわした衣装は少女らしく写るイトウさんによく似合う。
まったく多才な御方だ。
コスプレの対象によっては落ち着いた大人の女性として振る舞うこともあれば、このように幼い少女の姿をとることもあるのだ。
一番童話じみた存在はイトウさんなのかもしれない。
時に美しく、ときにあどけなく、くるりくるりと姿を変える変幻自在の妖精のような御方なのだから。

『部屋着』

『お部屋デート』という言葉が広まってからどれ程の年月が流れたか。

男女の睦言とは縁遠い暮らしをしてきた故に、そういった物事はとんと知らないけれど、この衣装の写真たちを見れば思う。その理想形がきっとこれだ。

ゆったりした表情、和やか且つ活き活きとした笑顔、リラックスしたようなその姿。
気のおけない恋人との穏やかな休日とはこれなのだろう。
そして人の望みの喜びとは、これこそが至上であるのだろう。

寝具の上で目を覚まして、小さく伸びをして、また眠って。
たったそれだけの仕草で多幸感に包まれる。
好きな曲の歌詞に「愛されるより愛した方が真実だから」というのがある。
言葉通りに真実だ。僕にとっては写真を眺めて浸る仮初の真実だけれど、求めたものはまさにこれ。
この幸せを知るために写真集を買い、少しでも長く続くようにとファンとして応援をしているのだ。

疑似恋愛的なコンテンツに惹かれる人々の気持ちがようやくわかった。
たとえ電子媒体を介した一時の絵空事の繰り返しなのだと分かっていても、これほどの甘い夢ならば耽溺せざるを得ない。
また一つ新たな世界への扉を開けたようだ。


『マジシャン衣装』

"Magician"

マジシャン、魔法使い、あるいは奇術師。
予測し得ない摩訶不思議な出来事を巻き起こす者へと敬意を込めて贈られるその言葉。
新たな写真集に目を通すたびに、予測しきれぬほどの素晴らしい作品の数々を送り出してきたイトウさんは、正しく一流のイリュージョニストだろう。

レムちゃんのイメージカラーである水色を取り入れつつ、紫の燕尾服でシックな雰囲気も持たせた衣装はデザイナーの妙。
それを着こなすイトウさんが幻想的な世界を作り出す。

トランプ柄のポスターが額装され、厚表紙の本が鎮座する空間は手品の世界だ。
美しき奇術師の作り出したトリックに、誰も彼もが飲み込まれてゆく。

手にしたハットから飛び出すのは白い鳩か、はたまた夢と希望か。
その全てが胸を高鳴らせ、膨らむ期待は弾けんばかりだ。

バトントワリングのようにステッキを軽く握った五指の、白魚のようなその細さ。
手袋越しでもわかる美しい手が、胸の内に心躍る旋律を響かせる。
2枚目のようにステッキを構えても、3枚目のようにそっと身に寄せても、ステッキの細さがあることで明確となった、ご自身の引き締まったスタイルは感嘆を生じさせる美術そのものだ。

その人はステッキ一つでどんな奇跡もおこしうるのだろう。
だがステッキを振るう彼女の、その奇跡の美貌は手品やまやかしではない紛れもない真実だ。
今宵、舞台を舞う1羽の蝶の羽ばたきが、魔法をこの世に蘇らせた。


『メイド服』

メイド服。レムというキャラクターの本来の衣装であるその衣服には、やはり重要な意味があるのだろう。

一人のキャラクターの、オリジナルも派生も全て着こなすイトウさん。
その研鑽、その努力、この作品に込められたすべての想いに全力で賞賛を送りたい。

無論、僕が賞賛せずともイトウさんの素晴らしさに一片の曇りも生じることはない。
そして趣味の一環の賜物であるのだから、ご本人が満足すればそれ以上のことはないのだ。
けれど僕は傲慢にも声高に叫びたい。
あなたの作品は最高だ!今の僕の全ては、あなたの作品を見るためだけにある!と。

少し話が逸れたが、それほどまでにこのメイド服の写真も素晴らしいということが伝われば幸いである。

ではこの衣装での写真の何が素晴らしいのか。
それは茶目っ気のある仕草をいくつも行いながらも、メイドとしての気品が失われていないことにある。
ロズワールに使える小さな双子のメイドの片割れ。
貴人に使える婉麗なメイドとしての洗練さを保ちながら、アニメの作中でスバルに見せたような愛くるしい立ち振る舞いをしてみせているこの写真たちは完全再現と称しても過言ではないのだ。

片脚を外に向けて脚を組む嫋やかさ、片足を引いて振り向いた瞬間の心惹かれる横顔(これについは口元に添えられた指も魅力的だ)、腕を広げて迎え入れるような包容力。

そう、包容力だ。
作中で「ここから始めましょう。イチから、いいえ……ゼロから!」と告げた瞬間の包み込むような慈愛は、少女らしからぬ聖母の偶像をその身に宿していた。
この一枚にはその包容力が泉の如く滔々と湧き出ているのだ。

もはやこれ以上は語るべくもあるまい。
この素晴らしさは、文章を書く者として恥ずべきものではあるけれど、到底言葉に言い表せぬほどのものがある。
百聞は一見にしかずだ。もし偶然この文章を読んだ中に、未だ『12REM』を手にしていない方がいるのであれば今すぐにFantiaのページへ飛ぶことを強く勧める。


『マリンセーラー服』

マリンセーラー服は、海の神秘を一身に集めた水の精霊を思わせる。

クラゲを模した照明と共に写り込んだその全身は、水底に差し込む光が揺蕩うように、ポーズの一つ一つに異なった美しさを表現している。
ミステリアスな容貌が全てを書き換え、画面の隅に映る枝型のインテリアは海底を彩る珊瑚へと姿を変える。

青と白で統一された衣装と風景の中で、小物の黄色と靴の赤が差し色となって目を引く。
目を引くのは服飾だけではない。
いつみても眩しいその笑顔は、この作り上げられた海底の宝石なのだ。

スカートを摘んでみせる瞬間の小さな笑みは少しいじわるだ。こんな光景に勝てる者などいない。

アンニュイな表情は何を憂うのか。
その悩みを払い、もう一度その眉が上がる瞬間を見るにはどうすればいいのかと、思案が脳裏を駆け回る。これは完全にイトウさんの作品に心を捉われている証拠だ

そしてこの衣装でのイトウさんは、ただでさえ細く華奢なスタイルにさらに磨きがかかっている。
こんな繊細な芸術は見たことがない。

もちろん他の写真も好きだ。
Fantiaで公開された浴衣クリークのように、女性が食事をする姿というのはそれだけで健康的でとても好ましく思う。
それと並行して、努力の上で磨き上げられたこの体型も素晴らしいと感じる。
結局のところ、僕には好きにならないイトウさんの姿が思いつかないらしい。

過去も今も未来も、これほどに推したくなるのはイトウさんだけのようだ。


『サンタ衣装』

サンタ衣装。
一説にはサンタクロースの起源は、キリスト教の聖人"聖ニコラウス"であるとされる。
つまり拡大解釈をすればサンタ衣装というのは聖人の衣装であると言えなくもない。
これは少し苦しいか。

けれどこのフォルダに収められた写真は、それに恥じぬどころか誇るべき神聖さを持っていると僕は信じる。
君は彼女の祈る姿を見たか。
フォルダを開いて2〜3枚目、すぐに目につくところに配置されている。
両手を組んで祈るその姿。
清廉たる佇まいは、背中の小さな羽を含めて天使の降臨を思わせる。

勿論、忘れずに後半も見るべきだ。
この美しい作品を忘れることができるとは到底思えないが、舞台の変わった後半も素晴らしいものだ。

小さな杖を手にして、鑑賞者に幸せという名の奇跡、あるいは奇跡のような幸せを届けてみせたイトウさんは、やはりサンタ衣装を着るに相応しい御仁なのだろう。
よもやこの歳になってサンタからの贈り物が届く日が来るとは思わなかった。

聖なるかなサンタ衣装。
クリスマスという神の子の生誕祭に相応しい清浄の衣よ。その聖衣を纏う淑女に光あれ。


『メイド水着』

ラストを飾るのはメイド水着衣装の色彩。

それは画面一杯に写ったパステルカラーの極楽浄土だ。

1枚目の写真がそれを深く感じさせた。
胸元でハートマークを作り出す美しい手、そして膝の上に乗せられたハート型のクッション。
ハートという形は可愛さを示すアイコンであるからこそ、二重のハートが鼓動を速める。
この心地よいあざとさこそが楽園への導きなのだ。

あざとさ(当然これは褒め言葉として使っている)といえば、ぬいぐるみを抱える姿もそうだ。
この愛くるしい姿には値千金の価値がある。
いかなる物を賭しても守るべきだと感じるほどに。

抱きしめられたサメのぬいぐるみにとっては至福の時だろう。
無生物であっても歓喜を覚えるはずだ。
そして同じポーズのまま瞼をひらけば、潤んだ瞳が現れる。それは星々の煌めきを閉じ込めた神秘の海。

そしてその瞳が次ページではぐっと近づく。
その美しさに思わずたじろいでしまうほどに、輝いているその笑顔。
この身で受け止めるにはあまりにも輝かしい。
澄み渡った微笑みは果てない空か、あるいは流れる水のように透明感をもってそこにあった。



驚くべきことに、毎日のイトウさんのお写真を楽しみにしながら暮らしているうち今年も終わりを迎えようとしている。

毎朝、今日はどんな写真が見られるのかと希望と共に目を覚まして、仕事の休憩時間になれば写真を見ながら、受け取った感動をどうすれば伝えられるか頭を捻りながらフリック入力を繰り返す。
繰り返してはああでもない、こうでもないと小さく唸り、最後には納得のいかないまま投稿ボタンを押している。

きっと納得のいく文面というものは永遠に書けないのだろう。
自分の文章能力で表現しきれないほどにイトウさんの写真は素敵であるし、Twitterの140文字という制限があまりにも少なすぎる事、文章を練るには時間が充分ではないこと、要因は枚挙に暇がない。

しかしその事について嘆いたことは一度もない。
自分の予想もつかないような楽しいもの、表現しきれない美しいものを毎日見られるのだから、僕はこれ以上ない贅沢者だ。

毎日思う。この広大なインターネットの海で、この人の写真を見つけることができてよかった。

常に思う。この人のファンになってよかったと。

きっとまだまだそんな日々が続く。
そのことが嬉しくて、僕の未来には光が差し込んでいるのだと感じる。
たった一つのとても大きな光が。

明日も明後日も、こんな日々が続きますように。
そしてこの言葉があの人の重荷になりませんように。

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