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VOICEROID動画内における「投稿者の自我」の取り扱いについての意見

2024年に入ってから、何の因果か有名投稿者たちが連続して問題を起こし、炎上している。彼らは立ち絵製作者を軽んずる行いを批判され、さらにそこに金銭が絡んだことで界隈を揺るがす騒動を引き起こしている。

その影響からか、VOICEROID動画界隈でかねてから問題視されてきた「投稿者の人間性」に関する議論が再燃しているようだ。この「投稿者問題」には複数の論点が存在するため、議論がまとまらない原因となってしまっている。

この記事では、VOICEROID動画における「投稿者の自我」や「投稿者への言及」の問題を細かく切り分けて明らかにし、解決手法を考察する。

筆者自身が(始めたてではあるが)動画投稿者であるため、投稿者側の視点から問題を語ろうと思う。実は前からボイロ動画について問題意識を持っていたのだが、門外漢が安易に口を出すべきでないと思い、内に秘めていたのだ。しかし動画投稿者になったことで、晴れて「門内漢」として語れるようになった。

視聴者、投稿者の両方の経験を通じて「動画が嫌われる原因」が分かったので、文章にまとめて公開するに至った。ただしここに示すものは、一人の人間の一つの意見であるということに留意されたい。よって追記すべき事項の提案などは歓迎する。

記事の文中では「~するべきだ」などの、規範を示すような言い方がなされる。それは筆者の考える「嫌われる表現」を回避するための方法を示すものであって、全ての投稿者が従うべきものではない。そもそも全員から好かれる表現は不可能であるから、自分の好きなように創作すればよい。

だからこそ、自由な創作の中でどうすればいいか分からず、迷ってしまったときに役立つものとしてこの文章を書いた次第である。この記事の通りに動画を作れば、筆者やそれに似た視聴者から支持を得られることだろう。

この記事が悩める投稿者諸君の参考になれば幸いである。


はじめに

VOICEROIDに限らず、キャラクターと合成音声を用いる動画において「投稿者」という概念を動画中に表すことは禁忌である。なぜなら、視聴者は「キャラクター」と「動画内容」目当てでその動画を視聴しているからだ。

もし投稿者の自我を表すと視聴者が拒否反応を示すうえに、動画に「信者」と「アンチ」が発生してしまう。それらは動画のコメントが荒れる原因となるため、できるだけ生まないようにしたい。

信者は投稿者を無批判に妄信し、内輪ノリと排外主義が蔓延した村社会を作り上げる厄介な存在だ。特にニコニコ動画では、コメントの質が動画の視聴体験に直結するため、動画がコメントの影響を受けやすい。

それに対し、アンチは投稿者を自分より格下の存在だとみなし、上から目線で指示や批判を繰り返す。それが受け入れられないと中傷を繰り返すようになり、動画や掲示板、無関係な動画を荒らすようになる。

信者とアンチは、どちらもやっかいな存在である。それらを生まないためにも、動画内で自我を表現することは最小限にしなければならない。なお、概要欄やニコニコ動画の「いいねコメント」で、節度を保って表現する分には問題にならない。

むしろ本音をいいねコメントで明らかにするのは推奨したい。それは視聴者にとって、とても興味深いことだからだ。ここでは詳しく論じないが、動画中の重要な内容を動画内で明示せず、いいねコメントの中に入れるなどの行為は大いに顰蹙を買うため、控えること。投稿者はふざけているつもりでも、視聴者がそれを好感をもって迎えるかどうかは分からない。

視聴者が進んで押したくなるような、興味深く面白い「いいねコメント」を考えることも投稿者の仕事である。決して視聴者に行動を強いることがないように。いいねコメントにおいてはこちらの投稿者の動画を模範例として参考にするとよい。


VOICEROID動画の類型分析

VOICEROID動画を視聴する中で、嫌われる動画は6種類に分類できることに気づいた。ここにそれぞれ表し説明しよう。なお、項目は主観をもって不快に思う順に並べた。あくまで筆者の感じ方であるため、個人によって感じ方に差があることは理解したうえで読んでほしい。


1. 「投稿者自身」をキャラクター化して既存キャラと掛け合い(最も不快)

投稿者をキャラクター化したオリキャラと、ゆっくりやボイロなどの既存キャラが掛け合いをする動画。

既存の世界にオリキャラ投入
この「既存の世界にオリキャラを登場させる動画」に苛立ち、すぐに視聴をやめた経験がある方も多いのではなかろうか。その掛け合いを見れば、視聴者のほぼ全員が「イタい」と評することは明らかである。それは漫画やアニメの二次創作同人誌にオリキャラを登場させる者と同等か、それ以上のイタさである。

このような「投稿者をキャラクターとして登場させる痛々しさ」はすでに大多数が認識しているであろう。おそらく、このような動画をVOICEROID動画で行う投稿者はほとんどいないと思われる。いたとしても、動画のあとがきパートのみでの登場に限られるであろう。


コメント返し・あとがき・自分語りパートについて
「投稿者」やそれに類する言葉は一部の視聴者に多大なる不快感を与えるため、後語りの中でも使うべきでない。「コメント返し」や「動画制作の感想」と題し、主語を曖昧にしたうえで語るべきである。

既存キャラに自分語りをさせる場合
もし既存キャラに自分語りをさせるならば、ひとつだけ守ってほしいことがある。それは、「キャラクターを主体者にすること」だ。それはつまり、伝聞調を避けるべきだと言い換えることができる。そうしなければ「投稿者の存在」を強調する結果を招き、視聴者は離れる。

既存キャラを用いずに自分語りをする場合
既存キャラを用いないならば、「投稿者」の立ち絵はできるだけ無い方がよいどうしても立ち絵を用意せねばならないのなら、「人間」だけは絶対に避けること。投稿者アイコンや動物、食べ物、乗り物など、「オリキャラ」であると認識されないものを用いることが条件である。

「主語」について注意すべき点
自分語りでは「主語」に注意するべきだ。基本的に主語は曖昧にし、表現しないことが得策だ。動画の内容上、どうしても主語を入れなければならないなら、一人称である「私」や「僕」、「自分」と表現するのがよい。間違っても「投稿者」を主語にしてはならない

なぜ投稿者という言葉を用いてはいけないのか。それは、「文章における筆者」と「動画における投稿者」という言葉を対比して見ることで説明できる。「文章の語り手は筆者」であるのに対し、「ボイロ動画の語り手は投稿者ではなくボイロキャラ」である。

書き手が筆者という言葉を用いて自身について言及するのは普通のことである。しかし、ボイロキャラが投稿者という言葉を用いると、そのキャラが知りえないことを突然言い出すという状況を生み出してしまうのだ。

それによって、「今喋っているキャラクターは何者で、どのような立ち位置なのか」という問いが発生してしまう。その問いを解決できない限り、作者の話をオリキャラ・ボイロキャラに「言わせている」ように見えてしまうのだ。だから投稿者という言葉を用いてはならないのである。

投稿者という言葉を用いずとも動画は成立する。ボイロキャラが突然「原著に当たれないので分かりません」などと言い出しても、投稿者事情のことを言っていると視聴者が理解できるのだからそれでよい。わざわざ「投稿者」と明示せずとも視聴者は察することができる。


自分語りそのものについての賛否
次に、「コメント返し・あとがき」というもの自体の賛否について述べたいと思う。まず前提として、自分語りは好みがはっきり分かれるため、コメント返しを動画中盤に挿入するようなことをしてはならない(biim式の右枠など、文字のみの情報ならば許容範囲内)。入れるなら動画の最終部か、もしくは別動画にまとめるのがよい。

もし「投稿者自身」に魅力があるならば、ファンや一般視聴者らは自分語りを歓迎するだろう。いうなれば、自分語りは「投稿者本人の人気バロメーター」である。

くれぐれも、魅力がない者が「自らに魅力がある」などと勘違いしないように。まずは別動画形式で自分語り動画を作り、その再生数で自らの人気を測るとよい

測定の結果、自分に人気がないと確信したならば、動画内の自分語りを全面的に控えるのが賢明だ。逆に人気者だと分かったなら、動画の最終部に自分語りを入れてもよいだろう。

動画の制作方針などで判断に迷ったとき、視聴者に聞くことは勧めない。
その理由として、そもそも「動画にコメントを寄せる視聴者は少数派だ」という事実がある。わざわざコメントを考えて書くほどだから、その人物は信者かアンチである可能性が高いだろう。つまり、現在のあなたを全肯定するような返答か、全否定するような返答しか返ってこないため何の意味も持たないのである。
建設的議論をしたいならば、知り合いの投稿者に連絡を取って相談してみてはどうか。もし(知り合いがいない/連絡を取る勇気が出ない)ならこちらのDMへ。動画投稿に関する相談に乗りたい。筆者は底辺投稿者なので気兼ねなく連絡してほしい。




2. 「投稿者自身」をキャラクター化し、信者を囲う(非常に不快)

中身が冴えない中年男であることがほぼ確定しているボイロ・ゆっくり投稿者。その中には承認欲求がひときわ強い者が存在する。

止まらない承認欲求
彼らは自らがちやほやされたくて仕方がないのだ。周囲から邪険に扱われ、低賃金でこき使われている彼らは人一倍嫉妬深く、愛を欲している。そんなどうしようもない人間でも、インターネットでは人気者になれる。

オリキャラの誘惑
そう、「オリジナルキャラクター」という皮を被ればたやすいことだ。イラスト作成を依頼し、声を購入する。たったこれだけで視聴者から愛されるのだ。この快感を知ってしまったものはもう引き返せない。

内輪ノリ
このタイプの投稿者は信者をとことん優遇するため、極限まで内輪ノリが凝縮される。そのコメント群のあまりの臭さに通常の視聴者は耐えられず、動画を開いた次の瞬間には自らの好奇心を呪い、絶望する


内輪ノリ投稿者の見分け方
このような内輪ノリを押し付ける投稿者の特徴について考察してみよう。それはズバリ、オリキャラ命名の有無である。内輪ノリを望まない投稿者は、オリキャラについての言及をできるだけ避け、そのキャラを命名することはない

逆に、承認欲求が満たされない思いをしている投稿者はオリキャラを積極的に命名し、その名を動画内で名乗る傾向にある。つまり、理想の自分像をオリキャラとして作り、それになりきろうとしているのだ。何とも哀れではないか。今後そのような投稿者を見かけた場合、もし不快な気分になったら憐れみをもって非表示にするといい。決して動画を迷惑コメントで荒らすような行いはしないように。


オリキャラを使うことは悪か
ここまでオリキャラに否定的な論調で語ったが、オリキャラを使う投稿者の中には全く悪感情を抱かれない成功者もいる。

彼らは自分語りを一切せず、ひたすら自分が好きなものに関する動画を作り続けている。彼らにとってオリキャラとは「左下を埋めるための立ち絵」に過ぎず、動画の本質ではないのだ。

彼ら誠実な投稿者は常に自分の言葉で話し、キャラクターの背後に隠れるということをしない。だから彼らのオリキャラは、自らを「オリキャラ名」で名乗らない。彼らのオリキャラは彼ら自身を表しているのである。その点で、非常に正々堂々とした態度で動画作りに臨んでいると言える。

このような覚悟を持っている者が、視聴者から好かれるのだ。「既存キャラの背後に隠れるような行いをしたくない」という強い信念を持った者のみが、オリキャラを使うべきである。

これを読んだ上で、オリキャラを使うかどうか判断してほしい。




3. VOICEROIDキャラクターと投稿者を同一視(かなり不快)

ボイロキャラと投稿者が同一視されるとは、どんなことだろうか。これは投稿者間のコラボでよく見られる現象である。コラボ動画内で他の投稿者を呼ぶ際は、そのユーザーネームが用られる。そしてその投稿者は、彼自身が動画内でよく使うボイロキャラの立ち絵で表現される。

ボイロ動画の構図
そもそも、ボイロ動画は投稿者の言葉をボイロキャラが代弁するという形式で成り立っている。ボイロキャラは動画内で投稿者のふるまいを演技する。だからボイロキャラは動画内では主体者として扱われる。


「ボイロキャラを投稿者名呼び」問題
コラボ動画になると、参加者の数だけボイロキャラを用意しなければならない。しかし、参加する投稿者によってはキャラが被るなどの事態が予想される。

ボイロキャラが被る場合、立ち絵を変えることで解決が図られることがほとんどだ。そのような、「同じボイロキャラが複数登場するような状態」では、コラボ参加者をボイロキャラ名で呼ぶことは不可能となる。

キャラ名で投稿者を呼ぼうとすると、参加者の内の誰を話題としているのかが分からなくなってしまう。だから参加者を投稿者の名前で呼ぶしかないという結論に至るのだ。

「主体」の変化
ボイロキャラを投稿者の名前で呼ぶという矛盾。これは主体が投稿者にありながら、その姿をボイロキャラで表している状態だと言える。つまり「ボイロキャラの皮を被った投稿者」が動画の主役になっていると捉えられる。

その気持ち悪さは理解できるが、それを解決することは不可能である。投稿者間のコラボ動画である限り免れることはできないのだ。

「投稿者名呼び問題」の矛盾を解決することはほぼ不可能
コラボ参加者を投稿者名以外で呼ぶことは非常に難しい。できたとしても非常に不自然な動画になるだろう。よって、矛盾を回避するには、ボイロを使うことを放棄しなければならない。

その場合は肉声か、キャラクターに紐づかないナレーションソフトによる動画となるだろう。しかし、ボイロ視聴者はそんな動画を望んではいない。だから清濁併せ呑む覚悟でボイロキャラを代弁者として用いなければならないのだ。

立ち絵の使用
ただ、このようなコラボ動画の気持ち悪さを軽減する方法は存在する。それは、投稿者を表す際に、立ち絵ではないものを用いるという手法だ。立ち絵は容易に私物化されうるため、使用には注意が必要だ。

立ち絵の代わりとして投稿者アイコンや、キャラクターのシルエットなどを用いるとよいだろう。ボイロ音声を用いることは避けようがないとしても、「ボイロ立ち絵を投稿者名で呼ぶこと」は避けることができる。

個人的には、「ボイロ立ち絵を投稿者名で呼ぶこと」自体は、大きな問題であると思っていない。(もちろん回避してくれればありがたいが。)
それよりも、下記の「ボイロキャラの私物化」の方が深刻であると考えている。


ボイロキャラの私物化
コラボ動画の問題は、何度も投稿することで投稿者が「自分をボイロキャラであると思い込んでしまう」という点だ。一部の投稿者はボイロキャラを完全に私物化し、自らのアバターとして用いている。

この「私物化」がどういうことかというと、投稿者自身の性格を勝手にボイロキャラに付加してしまうことなのだ。そうすることで、ボイロキャラがそのイメージから大きく外れた、「見た目はボイロキャラで中身は中年男のオリキャラ」に変容させられてしまう。

つまり、動画の主体者が「投稿者」から「オリキャラ化したボイロキャラ」に変わってしまうのだ。この「オリキャラ化したボイロキャラ」は、「投稿者の人格とボイロの見た目が合体したキメラ」だと言い換えることができる。

当然、視聴者はコラボ動画を見るとき、暗黙の了解として投稿者が主体であることを予想する。誰も、投稿者とボイロのキメラなど望んでいないのだ。


「内輪ノリ」について
基本的に、ボイロ動画の視聴者は「投稿者」ではなく、「ボイロキャラ」を見るために動画を視聴する。つまり一般的ボイロ動画視聴者にとっては、投稿者の内輪ノリは非常に邪魔な存在なのである。

コラボ動画自体は容認できても、内輪ノリまみれの動画を見たいと思うものは少ないだろう。なによりキャライメージの毀損に耐えられない視聴者が多い。

もちろん生放送などで、投稿者同士の内輪ノリを内輪のみで楽しむ分には結構である。しかし、それを「VOICEROID動画」にして投稿するという行為は批判を浴びて当然である。

なぜなら、通常のVOICEROID動画の中に「内輪ノリ動画」が紛れ込んでしまうからである。タグ検索に紛れ込むのはもちろん、おすすめ欄にも現れてくる。

ただ、幸いにして自ら動画を避けるという行為を行えば、目にしないで済む。嫌いなものは目にしなければよいのだ。視聴者は積極的に非表示化を行うべきである。


「見る側の自由」と「作り手の自由」
コラボ動画に対する批判は理解できるが、いまだに批判をやめない者は自らを戒めるべきだ。視聴者には、自らが見るものを選ぶ自由がある。そして言論の自由は、公共の福祉に反しない限り万人に対して保証されるため、投稿者の自由を奪うことはできない。

とにかくゾーニングさえ徹底すれば何も問題は起こらないのだ。他力本願ではあるが、タグNG機能などがニコニコ動画に実装されれば、視聴者の不満の声が減ることと思う。




4. VOICEROIDキャラクターが「投稿者」について言及(不快)

ボイロキャラに「投稿者事情」を語らせてしまう動画は多い。これは「投稿者」という言葉の持つ不快性に気づいていないのであろう。視聴者に不快感を与えていることを反省すべきである。

この「投稿者への言及」は比較的よく見られる。淫夢動画投稿者ですら、ボイロを使いだすとこの言及を行ってしまうのだ。彼らすら容易に避けられないのだから、この問題に気づくことへの難しさを改めて思い知らされる。

ボイロキャラが「投稿者」という言葉を発するということは罪深い。なぜなら、動画に夢中な視聴者を白けさせるからである。詳しく説明しよう。


なぜ「投稿者」という言葉を用いてはいけないのか
「投稿者」に関する発言が視聴者に不快感を与えるメカニズムを解説しよう。説明のために人形浄瑠璃を例にとってみる。あなたは人形浄瑠璃を見るとき、何に集中するだろうか?もちろん「音楽、語り、人形劇」で作られる物語の内容だろう。人形を操る黒子には全く興味がないのが当たり前だ。

淡路島日本遺産「淡路人形浄瑠璃」(https://kuniumi-awaji.jp/heritage/28nigyojoruri/)より引用

では、あなたが人形浄瑠璃に見入っているとき、黒子の一人が突如として頭巾を取って顔を現したらどう思うだろうか。そのまま彼がふざけておかしな表情を見せて、観客を笑わせようとしたらどうだろうか。おそらく大いに興が削がれることだろう

このような「黒子が自らの存在を見せつけ、知らしめる」という行為は全くもって好ましくない。だから人形浄瑠璃では、黒子の存在を意識させてはならないのだ。それと同じように、動画内でも「投稿者」という言葉を使って投稿者の存在を意識させてはならない。


投稿者という言葉の性質について
ここでいう「投稿者」という言葉は文章で用いられる「筆者」と意味は同じだが、その使われ方の性質は全く異なることを理解しなければならない。「筆者」という言葉は、主観的な目線を要するものに使われる。つまりそれは、あるものを論じる文章の中で、客観的事実だけでなく筆者の経験も必要になる場合に必要となる言葉なのだ。

しかし、「投稿者」という言葉を動画やその概要欄で用いることは歓迎されない。なぜならVOICEROID動画に客観性が必要となるものはほとんど存在しないからだ。投稿者は彼ら自身の経験(ゲームや料理、旅行など)を、ボイロキャラを通じて一人称で語る。そこに客観性は皆無だ。最初から客観的でないのだから、ことさらに主観を強調せずともよいのだ。

ボイロ解説における主観
唯一客観性があるものに、ボイロ解説動画がある。解説や論評には客観的な情報が最も必要とされるため、主観的な情報は避けるべきである。しかし、その上でなお価値を持つ主観・経験的情報は存在する。それは、名前と身分を明かした人間の主観である。

なぜ名前が必要なのだろうか?それは匿名の発言による情報が事実だと確かめるすべがないからだ。匿名の人物がネット上で完全なる妄想を語っている例など探せばいくらでもある。だから、投稿者が匿名なボイロ動画では、主観や経験への言及は避けた方が良いのだ。

ボイロキャラが伝聞調で語ることについて
そもそもボイロキャラを使った動画で主観を表現しても、説得力を持たない。顔も実名も、声すらも明かしていない人物について、ボイロキャラが伝聞調で語ったとしても誰が信頼するのだろうか。もちろん、動画は投稿者本人が作っているのだから伝聞調でも事実なのだろうが、その事実を「虚構のキャラが伝え聞いた」という設定で語ることは感情的に受け入れがたいのだ。

誠実さについて
一部の解説動画では、調査不足や誤情報に対する謝罪や言い訳をするために、キャラを使って「うp主」を責めているものが見られる。しかし、いくらキャラに「うp主が馬鹿ですみません」などと語らせても、誠実には聞こえない

自らの言葉で語らず、キャラクターに代わりに謝罪させる態度は卑怯だと思われても仕方がないだろう。謝るならば投稿者自身が謝るべきであり、キャラの陰に隠れることは避けた方がよい。おそらく、自ら謝れないほどプライドが高い人間だからそのような形式をとるのだろう。だから改善は見込めないことと思う。

投稿者事情の伝え方
もしどうしても主観的な事柄や、投稿者の事情などを視聴者に伝えなければならないなら、文章で伝えるようにすればよい。動画内や概要欄に記された文章は投稿者本人から語られる言葉であるため心に届きやすく、ボイロキャラとの矛盾も起こさない。

もしくは、ボイロキャラに「これは私見だけど」などと断らせてから、投稿者の主観を語ればよい。




5. 動画内のVOICEROIDキャラクターが動画を投稿しているという設定(やや不快)

この「実在の投稿者の存在」を完全に否定した動画は少数ながら(主観的尺度)存在する。概要欄で本音を積極的に表さない傾向にある投稿者は、このタイプの可能性が高い。

ボイロキャラが自ら動画を収録し、編集した上で投稿しているという設定自体の不快感は大きくない。だが、投稿者の主張がボイロキャラの発言に混ざると、非常に危険な状態になりうる。

なぜ危険になるのか。それは投稿者の主張が投稿者の発言ではなく、ボイロキャラの発言であると解釈されてしまうからだ。通常のボイロ動画では、ボイロキャラの発言は投稿者の代弁であると捉えられる。

しかし、ボイロキャラが投稿しているという設定にすると、事情があって投稿者の見解表明や主張を行う場合にそれがキャラクターの発言であると見なされてしまうのだ。それが故意でなくても、結果として視聴者に不快感を与えてしまう場合が多い。

この「事情」というのは不祥事の謝罪や釈明などが主である。投稿者はみな人間であるため間違いを犯すことはある。その問題について誠実に謝罪するには、本人自身の言葉で語らなくてはならない。

だがボイロキャラが投稿しているという設定にしていると、「投稿者」は存在しないことになる。すると設定との矛盾を起こすため、投稿者が姿を現すことが難しくなってしまうのだ。だから、最初からそのような設定にしない方が良いのだ。

余談であるが、不祥事をボイロキャラに謝罪させてしまった投稿者は、今でもアンチ(異常者)たちによって非難が繰り返されている。それがその投稿者の動画のみならず、全く無関係の動画にまで及ぶのだから迷惑千万である。
しかも視聴者のコメントNG枠には限りがあるため、それらのコメントすべてを避けることができない。このような、非常に不快度が高く動画に無関係なコメントは、投稿者自身が「投稿者NG機能」を活用して非表示にすることが推奨される。それが、投稿者と視聴者が共に幸せになる方法である。

不祥事への対応
もしあなたが不祥事や問題を起こしてしまった場合は、ボイロキャラクターを使用しない謝罪動画を発表するべきである。もし音声読み上げが必要ならば、VOICEPEAKナレーターセットかVOICEVOX Nemoを用いるとよい。それらにはキャラクターが紐づいていないため安全である。

炎上せずとも、ボイロキャラが動画を投稿しているという設定は矛盾を生みやすいため、控えるのが賢明だ。ボイロキャラの立場を明らかにせず、「誰が投稿しているのか問題」は言及しないのが最も安全だ。

視聴者が「投稿者」に言及してよいか
事例から分かるように、動画内では「投稿者が存在する」とも、「ボイロキャラが投稿している」とも言ってはいけないのだ。それは視聴者側も同じである。

もし自分の動画のコメントで「投稿主が~」などの発言をする者がいれば、「投稿者用NGリスト」に入れるとよい。他の視聴者の視聴体験を損なうコメントは公共の福祉に反すると言えよう。視聴者側の対策としては、「投稿主」、「うp主」、「中の人」などの言葉をNGリストに入れるとよいだろう。

もし、どうしてもコメントの主語を用いたいのならば、代名詞は避けた方がよい。「うp主」など、誰にでも言える言葉で呼びかけられても親しみを感じないのだ。よってアカウント名か、ボイロキャラを主語にするのが穏便な解決法となるだろう。


VOICEROID料理動画の考察
この件に関して参考になるのはボイロキッチン動画である。ボイロキッチンはその性質上、必ず実写映像が必要になってしまうため、ボイロ動画との親和性は高くない(動画作成に気を使う必要がある)。

ボイロキッチン投稿者には、「投稿者に言及せず、ボイロキャラが投稿しているという設定に逃げない」という難しい舵取りが求められるのである。

現在では、「映像に現れる太くたくましい腕」と「主役のボイロキャラ」の間の矛盾を強引に解決しようとせず、無視するのが主流である。ニコニコ動画ではその矛盾に対し「○○ちゃんたくましい腕だね」などのツッコミコメントが寄せられ、視聴者の笑いを誘う。これで完成されているのだからそれでよい。

ここで重要なのは、「ボイロキャラを傍観者にせず、主体者にしなければならない」という点だ。「謎の男が料理しているさまをボイロキャラが眺める」という構図では何の面白みもない

そしてキャラクターを主体者として作者の経験や心情を語らせてこそ、リアリティを生むのである。これは私小説と似ている。料理をした実感や感想が詳細に語られてこそ、面白い動画が生まれるのだ。


biim式RTA動画の考察
上述の「主体者」の考え方はRTA動画にも通じる。「biim式RTA動画の父」であるbiim兄貴の動画でも、「左下のキャラクター」を主体者として「メガトンコインの場面」などを演じさせている。そうした方が動画が面白くなるのだ。

さらに、biim兄貴は「左下のキャラクター」が何者であるのかを明示していない。一般的には、「左下」は「ゆっくり妖夢」と呼ばれている。だが、動画内で「左下」は名乗らない

これにより、biim兄貴は動画内で自由な言葉をキャラクターに話させることができた。なぜなら、「ゆっくり妖夢」だと名乗らないことで、そのキャラクターのイメージに縛られずに済んだからだ。そして「うp主」と名乗らないことで、視聴者を白けさせることを防いだ。

biim兄貴は彼自身の言葉を用いて動画を作った。それは、「キャラクターの発言はそのイメージに縛られずともよい」という模範例を周囲に知らしめた。

biim兄貴はこれほどまでに賢明な動画作りを成し遂げたのだ。それに加え「biimレイアウト」の発明や、RTA動画における「早送りと上映会の導入」をも成し遂げた。
彼が作り上げた動画形式は多数のフォロワーを生み、RTA動画は「biim式」の導入によって一大コンテンツへと成長した。
我々はbiim兄貴の輝かしい業績を語り継がねばならない。
biim兄貴は偉大なり。




6. VOICEROIDキャラクターに投稿者の思想を代弁させる(程度による)

VOICEROID動画では、ボイロキャラに「キャラ付け」をすることは一般的な常識として受け入れられている。それぞれの投稿者の個性が動画内容やキャラクターに現れるからこそ、動画を楽しむことができるからだ。

だから、それ自体を悪だと断じることはあまりに暴論である。しかし、度を超えた過激思想をボイロキャラに語らせることは、正義であるとも言い切れない。

この問題は単純ではなく、はっきり白黒をつけたり、線引きをすることが難しい。ここでは、投稿者の思想や心情を語らせることが「キャラ付け」の範囲の収まるかどうかが焦点となる。

著作権の見地
著作権法上、二次創作の善悪を判断する権利は、版権元であるVOCALOMAKETSやエーアイなどが握っている。版権元が削除するか否かの判断をするため、ボイロファンが騒ぐべきことではない。しかし、ボイロ界隈には異常者が多く存在しているため、彼らは様々な場所で騒ぎ立ててしまうのである。

先述の通り、ボイロ動画に限らず無関係の投稿者の名前を出す行為は視聴体験を明確に悪化させる。そのような行為を行っているのは一部のアンチ(異常者)たちである。好きな動画を見たいだけの一般的ボイロ動画視聴者にとっては、彼ら異常者たちの行動は単なる妨害行為に過ぎない。

表現の自由
表現の自由は、公共の福祉に反しない(=他者の自由・権利を侵害しない)のであれば容認される。過激な動画は自ら避けることが可能であるが、アンチのコメントは避けることができない

アンチコメントを避けようとしてコメント全体を非表示にすれば、動画につく秀逸なコメントを見る機会を失ってしまう。この観点で言うとアンチのコメントの方が他者の権利を侵害していると言える。

憲法は国が遵守するものであって、私人には適用されないし、全員がアンチコメントを嫌うとも限らない。しかし、もしほぼ全員が嫌っているなら批判されるべきだろう。それでも表現の自由は奪えないが。
2024/8/27追記

過激な投稿者とアンチのどちらが悪いのか
さて、投稿者とそのアンチのどちらが悪いだろうか?アンチを生み出した投稿者だろうか?無関係な動画を荒らすアンチだろうか?

両者の行為は法的に裁くことはできないが、倫理的に問題があると言えよう。過激な投稿者の動画が一部の視聴者に不快感を与えた結果、アンチを生み出しているのは事実である。そしてアンチが無関係な動画を荒らし、無関係な視聴者に不快感を与えているのも事実である。

この問題に関していえば、過激な投稿者と過激な視聴者の両者が責任を負うべきであると言える。投稿者はアンチを生み出した責任、アンチは荒らし行為の責任を負っているため、双方ともに悪である

自治厨
当然、荒らしに来るアンチを糾弾するコメントも荒らしに加担していることになるため、正義とはならない。悪質なコメントには「黙って通報」で対応しよう。

陳情
この問題を解決できないことに多くのユーザーが苛立っていることだろう。唯一の解決策は、ニコニコ運営が「NGコメント枠」を大幅に増やすことである。そうすれば、迷惑コメントをすべてNGリストに入れることができるようになる。しかしこれは個人の努力ではどうしようもないため、ひたすら運営への陳情に努めよう。


投稿者に求められる姿勢

最後に、視聴者から嫌われないために投稿者に求められる姿勢を書き記そう。一言で表せば、最も重要なことは誠実さである。結局はこれに尽きる。どんなに大きな問題を起こしてしまったとしても、事後対応が誠実であれば信頼を回復することができよう。逆にどんなに小さな問題でも、責任逃れや問題の過小評価が見られるようであれば、信用はどこまでも失墜する。

ビジネスだろうが、人間関係だろうが、約束を破ったり嘘をついたりする人間は嫌われ、信用を失う。それが社会生活の大原則であり、誠実さは社会で生きる人間に求められる道徳である。

もし間違いを犯してしまったならば、全面的に非を認め、素早く謝罪を行うべきだ。どんなに小さな問題であっても、なあなあで済ませてはいけない。常に謝罪を行えるように準備をしておくこと。

数万人を超える人々があなたの行いを目にしているのだ。たとえ匿名であっても、批判を受け続けながら活動を続けることは難しいだろう。動画投稿をするなら、実名を全世界にさらしているつもりで、誠実な振る舞いに努めよう。


投稿者の責任

あなたの動画の再生数が少ないうちは気楽だ。もし情報を間違えたりしても、さほど非難にさらされない。しかし再生数が増えるにつれ、投稿者の責任はどんどん大きくなる。だから人気になればなるほど注意して動画を作らなければならない。

VOICEROID動画の性質
しかし、VOICEROID動画で有名になって多くの再生回数をとることはほぼ不可能であるため、あまり深刻にとらえずともよい。VOICEROID動画を好むのは25歳~44歳の男性に限られている。これはニコニコ動画全体の視聴者の傾向と一致する。

自ら投稿した動画の視聴者層。35歳から44歳の年齢層が最も多い。

そのため、ボイロ動画はYouTubeでは全く再生数の取れないマイナーコンテンツなのだ。ボイロが目立っているように見えるのは、ニコニコ動画のメイン視聴者が「25歳~44歳の男性」であるからだ。ボイロ動画は、広大な動画市場では全く存在感を発揮できていないと言えるだろう。

それに対し、顔出し肉声動画は男女問わずほぼすべての世代から視聴される。ボイロファンは忘れているかもしれないが、キャラクターが喋る動画は全体から見てかなりの少数派なのだ。しかもほぼ日本独自の文化だ。英語圏の動画を日常的に視聴する中で、合成音声を用いた動画を一度たりとも見たことがない。

だから、投稿者の自我が動画に現れていたとしても、それを指摘するのは少数派なのだ。それは「肉声実況者の動画も視聴する層」にとっては、大きな問題でないのである。

我々ボイロ動画投稿者・視聴者は少数派であるという謙虚な認識の下、投稿活動・コメント活動を行っていこう。


まとめ

投稿者自身のキャラクター化
VOICEROID界隈では、投稿者の自我を「ボイロキャラクターを経由せず」に表すことは禁忌である。投稿者自身をキャラクター化することはもってのほかだ。

自分語りの方法
自分語りはボイロキャラを通して行うのがよい。どうしてもボイロキャラに言わせたくないのなら、合成音声を用い、「投稿者自身」が自らについて語る形式にしよう(伝聞調を避け、主語は私、自分などを用いるべし)。投稿者をキャラクター化したオリキャラに語らせることだけは絶対にしてはならない。

ボイロ投稿者のコラボ
投稿者同士のコラボで、ボイロキャラを投稿者の名前で呼ばざるを得ない場面に直面することがある。この矛盾を避けるならば、ボイロキャラ立ち絵の使用をやめ、投稿者のアイコンやキャラ立ち絵のシルエットなどを使うとよい。

ボイロキャラを投稿者の名前で呼んでもよいが、注意が必要である。なぜなら、投稿者によるキャラの私物化は容易に行われうるからである。そのような「投稿者の内面とボイロキャラの外見が融合した存在」はボイロファンから非常に嫌われる。

ボイロキャラが投稿者について言及
ボイロキャラが「投稿者」という言葉を用いることは、視聴者を白けさせる。それは人形浄瑠璃の黒子や紙芝居の語り手が、自らの存在を観衆に見せつけることにたとえることができる。

ボイロキャラは常に主体者である必要があり、伝聞調で語らせることは避けなければならない。ボイロ動画内のボイロキャラの役割は、「投稿者の体験を投稿者目線で語り、演じること」なのである。つまり、ボイロ動画とは私小説なのである。

そしてこの「投稿者に対する言及」は視聴者も行ってはならない。それは人形浄瑠璃の観劇の最中に黒子を指して、「いい人形遣いだ、プロは違うね。」などと言う行為と同じである。周囲の観客はその言葉で完全に興を削がれ、怒りさえ湧くだろう。

そのような言葉は人形浄瑠璃が終わった後に、仲間内だけで語ればよいのだ。観劇の最中に、周囲を不快にさせるような物言いは慎むことが肝要だ。

ボイロキャラが投稿しているという設定
「投稿者」という言葉を出すことに過剰反応するあまり、ボイロキャラが投稿しているという設定にする投稿者も一部見られるが、おすすめできない。

もし不祥事を起こせば、「設定の矛盾を認め投稿者が表に出る」か、「ボイロキャラに謝罪をさせる」かの二者択一を迫られる。ボイロに謝罪させれば確実に炎上してしまうため、諦めて設定を捨てて投稿者自身が謝ろう。

ボイロキャラに過激思想を代弁させる
ボイロキャラに個人的な思想を語らせることは控えた方がよい。それが政治的なものや、特定の個人・団体に攻撃的なものであればなおさらである。

現在、過激な投稿者のアンチが無関係の動画を荒らしている。もしあなたに良心があるならば、攻撃的な内容は控えてほしい。過激な動画を投稿する行為は、コミュニティ全体への攻撃と同義なのだから。

アンチによる荒らしの解決策はNGリストの拡大以外にないため、現状を変えたくば運営に陳情しよう。それが唯一視聴者にできることだ。

投稿者は誠実であれ。日常生活ではありえない人数があなたを見ている。
通常の生活で、1人が関わる人数は限られている。そのため、必然的にあなたが迷惑をかける人数も少ない。

しかし、投稿者となると話は変わる。底辺の投稿者ですら、数十人から見られているのである。人気投稿者ともなれば数十万人規模の人間から見られているのだ。

もしあなたが投稿者ならば、自分の発言に気を付けてほしい。数万人規模の視聴者がいれば、様々な考え方を持つ人がいる。問題を起こさないように、誠実な言動に努めよう。

もしあなたが不祥事を起こしてしまった場合、プライドを捨てよう。素早く対応し、誠意を込めて謝ろう。事後対応を怠らず、改善を誓い、確実に実行しよう。それができなければ、視聴者は愛想を尽かして去ってしまう。


おまけ

VOICEROID動画には、大きく分けて二種類の視聴者が存在すると考えている。それは「ボイロキャラそのものが好きな視聴者」と、「個性ある投稿者が作るボイロ動画が好きな視聴者」だ。視聴者という観点からボイロ動画市場を分析するために追記する。

ボイロキャラ好き
ボイロキャラを好む視聴者はボイロ劇場などを好み、投稿者の自分語りを嫌う傾向にある。彼らは「ボイロキャラが存在する世界」を頭に思い描き、空想を楽しんでいる。フィクション作品を好む層だといえば伝わるだろうか。

彼らの思い描く世界は、二種類に分けることが可能だ。それは「ボイスロイドというロボットが販売されている世界」と、「ボイロキャラが人間として生活する世界」だ。主観的には後者の方が多いように思う。

また、男性主人公(=視聴者)が登場するか否かも重要だ。ボイロロボット世界では男主人公がほぼ確実に登場するが、それに対してボイロ人間世界ではあまり登場しない傾向にある。

これは視聴者の需要を反映していることが明確だ。性的な動画はボイロロボット世界に多く、物語重視の動画はボイロ人間世界に多い。

ボイロ劇場動画。6万9000件。特別な体験が必要ないため、ボイロさえ買えば誰でも作れる。動画の質は玉石混交。

現在、ボイロ劇場動画は多数派でなく、再生数も多くない。さらに、再生数が多い作品は軒並み性的コンテンツというありさまだ。また、ボイロキャラを喋らせただけで作品を作った気になっている「勘違い作家気取り」も多いジャンルである。これらの動画はかなり人を選ぶ内容だと言えるだろう。この種の動画が「お人形遊び」と揶揄されるのも頷ける。

人形劇や人形浄瑠璃などではプロの人形遣いが活躍し、大いに観客を楽しませている。だがプロ意識を持ち合わせない素人が人形劇の真似事をしても、全く歓迎されないのだ。そのような「作品未満」の動画を見かけ、胸中の羞恥心が突然暴れだした経験をした人も多いのではなかろうか。

ボイロ劇場動画。再生数が多い順の検索結果第一頁の最下部。性的な動画しか再生されていない。

個性ある投稿者が作るボイロ動画好き
ボイロ劇場に対し、ボイロゲーム実況やボイロキッチン、ボイロ車載などは個人の体験に基づいた動画だ。視聴者は「投稿者たちの特別な体験・経験」を求めて動画を視聴するのだ。

ボイロ実況。42万件もの動画が投稿されている。玉石混交ではあるが、ゲーム画面が存在するため動画の質が非常に低くなることは稀。
ボイロ実況は動画数が多く、再生数も多い。投稿者と視聴者の両方が多いため、魅力的な市場。

この種の動画は私小説を超えたリアリズムを体現しており、ドキュメンタリーやルポルタージュのような「記録」と見なすことすら可能だ。

なぜなら、彼らの一挙手一投足のすべては映像に記録されてしまっているからだ。嘘をつこうとすれば、映像の一部を不自然に切り取るしかなくなってしまう。そのような行いは視聴者に不審感を与えるだろう。

このジャンルの動画では、恣意的な脚色が許されない傾向にある。それは「記録」の与える印象を、都合の良いように変えてしまうことだからだ。「ドキュメンタリー番組の視点が中立的でない」という批判が頻繁にされることから分かるように、「記録」には正確性と中立性が必要なのだ。

ただし、脚色を加えた旨を動画中や概要欄に明記するならば、多少の脚色は許される。「動画は視聴者を楽しませるべき」という信念のもとにそれが行われる限り、歓迎されるだろう。

この記録の中立性という点において、ボイロ投稿者は己の本音を言わなければならない。それによって動画はリアリティを帯び、結果として視聴者を満足させる内容となるのだ。

ボイロ劇場とボイロ実況の融合
これらボイロ実況などには、ボイロ劇場の要素が含まれた動画が存在する。それらの動画では、ボイロキャラが投稿者の行いを演技することはない。その代わりに、ゲームや料理を題材としたフィクション作品にボイロキャラが登場するという形式で作られている。

自分に作家の才能があるということを確信しているならば、そのようなボイロ劇場形式のゲーム実況動画を作ってもよいだろう。もし再生数が振るわなければ、才能がないことが明らかであるため諦めた方がよい。

下手なボイロ劇場動画は「幼稚なお人形遊び」と形容されるようなものになりがちである。それを回避するならば、素直にボイロキャラに自分の言葉を喋らせよう。

ボイロ車載。2万5000件。再生数は多くない。コラボ動画が比較的多く見られる。
ボイロキッチン。1万8000件。投稿者が少なく、一動画当たりの再生数が多いため魅力的。YouTubeでは100万回超えの再生数を得ている動画もある。ボイロを好まない層も、料理動画なら見るらしい。
ボイロ解説は3万5000件。誤った解説や憎悪を煽る動画も見られる。(天下のゴミ箱ことYouTubeほどではないが。)
ボイロ解説は内容が詳しく良質であるほど万人受けしない。そのため再生されているのは短い動画が多い。YouTubeでは業者が幅を利かせているため、ニコニコはまだ平和な方。


おまけのまとめ

  • ボイロ視聴者には「ボイロキャラ好き」と「個性ある投稿者のボイロ動画好き」の二種類がいる。(それぞれフィクション好きと私小説好きと例えることができる。)

  • ボイロキャラ好きが好む動画はボイロ劇場であり、それらには性的な動画が多く、動画の質が玉石混交であるため賛否が分かれる。

  • 個性ある投稿者はボイロ実況やボイロキッチン、ボイロ車載などを投稿し、それらの動画が主流である。

  • ボイロ実況やボイロキッチン、ボイロ車載動画などは「記録」であり、それに対する改竄や印象操作をしてはならない。

  • 「記録」に脚色を加える場合にはその旨を明記することが望ましい。

  • 脚色は投稿者のためでなく、視聴者のために行うべし。


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