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「食」って人と良が合体したもの?

漢字の成り立ちというものは、案外知られていないものです。「木」や「山」などの単純な字は理解しやすいものの、小篆字形からは意味が分かりづらい漢字もあるからです。

「食」という字がどのような部品から成り立っているのか、知る人は多くないでしょう。現在の漢字を無理やり分解しても、「人」と「良」では意味が分かりません。しかし、甲骨文字を見れば疑問は解決します。

実際に「食」にはどのような由来があるのか、解き明かしましょう。


甲骨文こうこつぶん

それでは、「食」の最古の形である甲骨文の形を見てみましょう。この字を一目見ただけでは、現代の楷書と同じ漢字だということを信じられませんね。それほどまでに甲骨文字は古く、ゆえに現在の形との差異が大きいことが分かります。また、これら甲骨文字はそれぞれ同じ漢字であるのに、5つの例の形が同じでなく、様々な形をしていることも興味深い点です。

より詳しく説明するために、部品ごとに分解して見ていくことにしましょう。この字は、上部の「亼」と下部の「皀」の二つの部品から作られています。


「食」の上部の「亼」とは

「食」の上部にある屋根のような口は、「亼」と表される漢字の部品です。この部品をどう読めばいいか困る方がほとんどでしょう。それもそのはず、「亼」単体で漢字を構成するわけではないため、読み方は存在しないのです。ここでは便宜的に、中国語の呼称を採用して倒口とうこうと呼びます。倒口とは上下逆転した口という意味ですが、ただ口をひっくり返しただけのものではありません。通常の「口」は下辺が丸みを帯びていて、口の上に突き出る縦棒は垂直です。

それに対し、「食」の倒口は二本の線分が鋭角を作り、全体が三角形の屋根のような形をしています。

「漢語多功能字庫」によると、通常の口は人の口を正面から見た図で、亼は人の口を横から見た図だとされています。つまり、亼は顔を下に向けて口を開いている様子を表しているのです。


「食」の下部である「皀」について

さて、それでは倒口の下にある「皀」に注目してみましょう。

説文解字に記された意味
説文解字せつもんかいじ」によれば、皀という文字は「穀物の良い香り」という意味を持っているようですが、これは真実ではないでしょう。なぜなら、説文解字は甲骨文と金文の存在が知られていない時代に記されたものだからです。つまり、甲骨文の「皀」がどのような字形だったのか、どのような文脈で使われていたのかを知ることができないのです。そうであれば、必然的に根拠なき想像に頼らざるを得なかったことが分かります。

実際の意味
漢語多功能字庫によれば、この皀という部品は、現在使われる」(青銅製の食器)という文字の古字です。単体の「皀」は徐々に使われなくなっていき、金文では主に「𣪘」と書かれました。説文解字には「𣪘」の字体は収録されておらず、簋と皀の二種類しか載っていません。思うに、その頃には既に「𣪘」という文字は使われておらず、簋が主流となっていたのでしょう。

なぜ「皀」は説文解字に収録されていたのか
そこで、なぜ最も古い時代の「皀」が説文解字に収録されているのか、という疑問が生じます。その答えはおそらく、皀が「簋」や「即」、「既」などに部品として組み込まれて残っていたので、そこから取り出したのでしょう。また、説文の「皀」という字の文字の解釈がおかしいことから、皀の意味はすでに忘れられ、その形だけ残ったことがうかがえます。

そもそも「簋」とは何か
これで食の下部の皀という部品について理解できました。次は、皀が表す「簋」とはどのようなものなのか、見てみましょう。

西周代の青銅簋

説文解字には「簋,黍稷方器也。」とあり、簋はきびやひえを盛るための器だとされています。簋は、殷代から春秋戦国時代にかけて使われたようです。上から見ると円形で深さがあり、主に穀物を盛ることに使われていました。

また、簋は実用的な食器としてだけでなく、祭祀用の礼器としても用いられていたようです。つまり「簋」という青銅器は、我々日本人にとって身近な茶碗に、呪術的、もしくは宗教的な意味が付加されたような存在であったことが、うかがえます。我々が作物の恵みを神に感謝して、茶碗を拝むのを想像すれば、古代人の気持ちが分かるかもしれませんね。


なぜ「口」と「亼」の二種類の表し方があるのか

先ほどの説明で、食の上部の「亼」が下向きの口であると分かりましたが、なぜ「口」に向きが必要なのでしょうか。まだ釈然としない方もいるでしょう。それでは、その必然性について「即」と「既」の二つの字を例にとって説明しましょう。

「即」の説明
「即」という字は、食器である簋と、人が簋に向かって座っている姿を象っています。この字の本義は「食べ物があるところに行く=食卓につく」という意味です。また、本義から転じて、即は「接近する」という意味を持つようになりました。

それからさらに転じて、「すぐに」という意味をも持つようになりました。「即日発送」の即はこの意味ですね。

「既」の説明
次に掲げるこの「既」という文字は、「即」と形がそっくりですね。ひとつ違う点は、青銅器の簋に向いている人の頭に、口がついていることです。

漢語多功能字庫の記述を見ると、既の本義は「食事を終えること」を意味しています。つまり、直前まで食事をしていて、「満腹になった、または食物を平らげた」などの理由で、食べることをやめたという様子を表しているのです。

そして、本義の「食べ終える」という意味から転じて、「やり終える」「すでに」といった意味を持つようになったとされています。

「口」に「方向」を関連付ける必要性
この甲骨文字の口は「横から見た口」であり、口が食器とは逆の方向を向いている様子を象っています。食器から顔を背けているという絵で、「食べ終える」という意味を表しているのですね。

既の「口」と食の「亼」の形の違い
ただ、食の倒口と違い、口が矢じりのような形をしていません。食と同じで「方向」と「食べること」に関連する意味を持っているのに、形が三角形でないのは不可解ですね。この謎は、「即」と「既」の比較だけでは解けないようです。


「食」が字形に含まれる字である「飤」

食という字に関連して、飤という文字を紹介しましょう。甲骨文では「食」が19例あるのに対し、「飤」は7例しかないことから、飤はよく使われる字ではなかったようです。

甲骨文の飤は、大きく分けて二種類の字形が存在しています。ひとつは人が「食または皀」の上に書かれ、手を「食または皀」に伸ばしているものです。もうひとつは正座した人の横に皀が書かれ、人が手を皀の上に伸ばしているものです。この二つに共通するのは、「人が手を伸ばしている」という点です。

飤の意味は不詳
漢語多功能字庫の記述によれば、甲骨文で飤という字がどのような意味で使われたかは定かではないようです。一方で、後代の金文では「食」と全く同じ意味で使われ、「食」よりも頻繁に使われる字体となっています。


「飤」との関連性が考えられる「飲」

人が前かがみになっている飤の字形は、「飲」という字との関連性が指摘されています。実際に字形を見てみましょう。

確かに、「飲」という字では人が「酉(酒器)」の上にあります。そして口を酒器に近づけ、舌を伸ばしている様子が象られています。しかし「飤」では、人が皀、食に近づけているのは手です。

字形を観察すると、この字も不可解な点があります。この飲という字の「口」も、既のものと同じで三角形の倒口ではありませんね。ここで「既」と「飲」の間には、一つの共通点が存在していることに気づきます。これらふたつの字は、「口」と他の部品が接触し、一つに合わさった部品を持っています。ここから推測するに、「口が部品の一部をなす場合は、口を倒口で表さない」というルールがあったのでしょう。実際に、令、今、念などに使われる倒口は、すべて人とつながっていません。


金文きんぶん

いくつかの謎を明らかにしたところで、時代を進め、周代から戦国時代の青銅器に鋳込まれた、金文の漢字を見ていきましょう。

甲骨文では多様な字形があり、一つに定まっていない印象でしたが、金文になると形が標準化されます。形を観察すると、三角形の屋根の下に、細長い紡錘形の部品があることが分かります。甲骨文と同様に、概して字形が縦長であることが特徴です。

この金文の字形と甲骨文を比較してみましょう。まず目につく点として、皀の下部の土台の形が大きく変わっています。甲骨文では土台と地面が描かれていますが、金文では下部が鋭く、縄文式土器のような形となっています。

この時点で文字から象形性はかなり薄れ、書きやすさや見た目の美しさなどを考慮した字形となっていることが分かります。また、それぞれの例はほとんど形が同じであることから、文字の規格化も行われていることが推測できます。

金文で主流の「飤」

甲骨文字では使われることが少なかった「飤」は、金文の時代には「食」の意味として頻繁に使われるようになります。実は「食」という字体は、金文では少数派で、たったの6例しかないのです。それに対し、「飤」は71例も見られています。計算すると食の割合は7.8%しかないため、金文の時代では複雑な字体の方が好まれたようですね。


楚系簡帛そけいかんはく(春秋戦国時代)

周の権力が弱まった春秋戦国時代では、権力が分散し、それぞれの国が独自に国を統治していました。そんな戦国時代の楚の手書きの簡帛文字を見てみると、金文と違って形が全く統一されていないように見えます。金文と同じように縦長な字形もあれば、すでに隷書のような横長字形となっている例も見られます。

この字形の変化を観察すると、春秋戦国時代ごろに主な手書き書体が、篆書から隷書へと変化したのだと考察できます。多くのひとびとによって文字が竹簡に書かれるうちに、文字が少しずつ連続的に変化し続けた結果、いつの間にか「隷書」が誕生していたのでしょう。


楚系簡帛における「飤」

そして金文の時代と重なるこの時代は、当然金文と同じく飤の字体が主流で、59例の字が発見されています。これに対し、食は10例と、全体の7分の1程度となっています。金文と比べるとある程度「食」の割合は増加していることが分かります。


秦系簡牘しんけいかんとく(秦代)

戦国時代が終わり秦の時代になると、字形がかなり現在の楷書と近くなります。

画数は9画から10画程度に収まっており、形の変化が少ないことから、中華と字を統一した権力の強さをうかがい知れます。筆画は「縦、横、斜め」の三種類に整理され、曲線はほとんど廃されています。転折や隷書特有の右払いの波磔はまだ持っていませんが、甲骨や金文のような篆書からはすでに離れています。この時期の文字は隷書の原型だと言えそうですね。


秦代に作られた小篆しょうてん

ここで、亼や皀の説明に登場した小篆字形と、秦系簡牘の字形を比較してみましょう。秦を統一した始皇帝によって作られた小篆という書体は、石碑に刻む文字などに用いられました。しかし、実際に手書き文字と比べてみると、明らかに形が違うことが分かります。

小篆はある程度曲線を持っていますが、手書き書体は前述のとおり曲線が少ない形をしています。おそらく金文字形の方が正統だと考え、古い書体にある程度近い書体を制定したのでしょう。その一方で日常で書かれる文字は、筆記に適した隷書の原型が使われたのでしょう。

食. 小篆. 小學堂資料.


秦系簡牘における「飤」

始皇帝による文字の統一によって、文字の異体字が減ることとなりました。その証拠に、「食」の例は9例あるのに対し、異体字である「飤」は2例しかありません。

金文や楚系簡帛で主流だった飤はこの時期を境に使われないようになります。


隷書れいしょ

隷書になると、記録媒体の主役は竹簡木牘ちっかんぼくとくになり、石碑が長期的な記録を担うようになります。竹や木は腐ってしまうため、古い記録が現代まで残ることはまれです。それに対し、石碑は耐候性があるため、風雨に削られつつも現代まで残っているものが多いのです。

隷書は現代の楷書と見た目が非常に近いため、簡単に字の見分けがつきますね。この隷書の特徴は、字形が横長になっている点です。甲骨文字や金文はすべて縦長でしたが、隷書になると横画や払いが長く変化しています。

この隷書も、それぞれの字の字形の差異が大きいことが、この5つの例から分かりますね。このように、現代のように字形が完全に統一されているという状態は、歴史から考えると珍しいのです。

隷書の時代になると飤の字体はすでに廃れ、出土例はほぼありません。統一王朝による字の規格化は、非常に強力だったことが分かりますね。


楷書かいしょ

楷書になると皆さんが見慣れている活字とほぼ同じ形となります。楷書は魏晋南北朝から唐代にかけて発達し、字を書くことは芸術であるとされるようになりました。この時期に始まった紙の普及に伴い書法は洗練され、多くの書法家が活躍しました。

楷書は隷書に似ていますが、いくつかの差異があります。隷書では払いが非常に長く書かれる傾向にあり、字形が左右非対称な書体です。それに対して、楷書は右払いと左払いの長さが近くなり、左右対称に近づいています。さらに横画が短くなり、字の中の空間が大きく空いています。この空間が、字の筆画の密度の調和を保つことで、美しい字形が成り立っているのでしょう。

また隷書と比較して、字形の差異が非常に小さくなっています。活字ほど硬直化してはいませんが、基本的な筆画はほぼ変わらず、画数の変化も見られません。

強いて変化が見られる点を挙げるとするなら、「筆画の密度の偏り」があります。褚遂良の例では、「皀」が字の中心にあり、密度は完全に左右対称です。それに対し、虞世南や柳公權の例では右側の密度が高く、その代わりに、左払いが右払いより長くなっています。

てこの原理
なぜ密度の高さと線の長さが釣り合うのか。それは「てこの原理」を用いれば理解できます。軽いおもりを、支点(回転軸)がある長い板の先に載せ、支点を挟んで反対側の根元に重い錘を載せると、板は回転せず釣り合います。

そしてこの釣り合いが、人間の美的感覚に影響を及ぼしているのだと推測できます。つまり、左右が釣り合うものは、形が左右対称でなくとも美しいと感じるのです。

このような密度の偏りと空白をうまく操ることで、書法家は人々に感銘を与える書を作り上げるのです。


まとめ

「食」という字は、下向きに開いた口と、古代中国の青銅器が合わさってできた字です。

下向きの口である「亼」は「口と方向」を表す部品です。「既」や「飲」などといった字では、「通常の口」が他の部品と合体しており、口は方向の意味を持っています。そこで、口が方向の意を持っているにもかかわらず、なぜ「亼」で表されなかったのかという問いが生じました。その答えとして、「亼と他の部品は接触して一つの部品とはならない」という規則があったのだ、という仮説を提示しました。

食の下部の部品である「皀」に関する説文解字の解説は間違っており、その時代には意味が忘れられていたことも分かりました。「皀」の本当の意味は、「簋」と呼ばれる青銅器で、穀物を盛る食器や祭祀の道具として使われていました。

甲骨文では、飤という字は主流でなく、意味もいまだ解明されていません。後代では、飤は食の異体字だとされていますが、甲骨文ではそれさえ怪しいのです。

その後の金文と楚系簡帛では「食」に代わり「飤」という字体が主流となり、手書きでは様々な書かれ方をしました。この時代では飤という文字は、食と同じ意味で使われていました。金文では字形の変化が少ないものの、楚系簡帛では大きな変化が生じています。

そして秦による史上初の中華統一がなされると字は統一され、字形の表記ゆれが大幅に少なくなりました。その結果「食」という字が主に使われるようになり、「飤」という字体は忘れ去られました。

楚系簡帛の頃から発展を続けた隷書は、横画と払いが長く左右非対称の字形が特徴的です。その筆画配置の密度は高く、楷書とは正反対の性質を持っています。

隷書から生まれた楷書は、払いの長さを維持したまま左右対称に変わり、横画は短くなりました。その結果字に空白が生まれ、筆画の密度の低さが見た目の美しさを作り出しました。

引用

漢語多功能字庫
小學堂
33書法

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