おめでたくなんかない日

書きたいことは結構吐き出したつもりだったので、長い間放置してました。その間にフォローしてくれた方すみません。

1年のうちでめでたくもないのに、なぜか「おめでとう」と言われ、ありがたくもないのに「ありがとう」と返さないといけない日が先日あった。

誕生日ってやつ。

自己否定するアダルトチルドレンにとって誕生日にこそ発揮される。

何がおめでたいんだか。

どうせDVモラハラパワハラな父親が半ば犯すか、もしくは母親が父親のご機嫌を取るために体を捧げる的なそんな状況でできただけじゃないの?

"産まれなければよかった"、とまではいかないけど、
""産まれてこなくてもよかった"くらいには自分を消極的に否定したくなる。

母親と対決していたとき、母親からもらった手紙には「おなかにあなたが宿ったとき、守らなければ...!」とメルヘンなことを言われてちょっと感動した気もした。「あれ、ちゃんとこの人母親だったんだ?」とも思ったけど、妹弟ができてからわたしに無償の愛情をかけることはなかった。

特に大人になって計算ができるようになってから妹の誕生日はやはりもにょるところがある。
6歳の時わたしが1ヶ月以上入院していないのをいいコトに、どうせ毎晩猿みたいにやってできた妹じゃないの?
そして入院中、毎週水曜日に病院に乗り込んできては、九九や国語の教科書の"朗読"を泣くまでさせて嵐のように帰っていったよね。
その後今度は母親が前置胎盤で入院してたので、わたしは7歳の誕生日をどう過ごしていたんだろう。

自分を存在を消し去りたかった小学校時代。
学校という逃げ場はできたけど、母親に名前を呼ばれるだけで背筋が凍った中高時代。
家族と離れて暮らし始めて、初めての帰省で「帰ってこなくていいのに。」「バイトでもしてればいいのに」と言われた大学時代。

やっぱり産まれてこなくてもよかったよね(笑)

父親から「おめでとう、元気でやってください」と一言だけメッセージが来ていたが返事もしてない。


まぁ、今は他の大事な人のために、その人たちと過ごすために、もうちょっと生きといてやるよ。


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