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インスタントな会話に、もう逃げない

「会食」と呼ばれる場所に顔を出すことが、昔からよくあった。

だいたい、その場所にはプロデューサーやキャスティングの権限がある人、「なんかよく分からないけれど偉い人」が沢山いた。

偉そうにしていて、実際に偉い人。

笑い声に嘘がまざっている人。

スノッブな雰囲気に流されている人もいた。

そういう人が十把一絡げに集まっている空間は、謎のエネルギーがある。

そういうオーラを浴びるだけでほんとうに苦痛で、だから私は「会食」と呼ばれるものが苦手だった。

しかし「その場所に染まらなければ」という謎の使命感もある。

貼り付けた笑顏で、その場に見合う自分をチューニングする。

それが正しいか正しくないかということは、もはや別の話だった。

とにかく叩き上げで「会食のための使い捨てなペルソナ」を作っていく。

そのプロセスは消耗的だったが、その虚無感は「見てみぬふり」をした。

31歳になった。

大木亜希子という名でライターとして仕事をするなか、再び「会食するけど来る?」と言ってくれる人が増えた。

当初「会食がクソつまらなかった時代」を思い出しアレルギー反応が出た。

見知らぬ誰かに気を遣うイメージには頭痛がしたし、行っても全く意味がないとさえ思った。

しかし、誘ってくれた人は、穏やかな顔をして私に言った。

「あのね、俺も人脈作りとか会食とか、まっぴらだったの。でも、自分の目標をしっかりと持った状態で行くと、きっといい出会いもあるから」

と。

直感的に「それじゃ、行ってみっか」と思い、私は久しぶりに顔を出すことにした。

心のどこかに「どうせその場しのぎの会話で埋める会なんでしょう?」という思いはあった。

その席は、エンタメ系や音楽系、創作で活躍する数人がいた。

いずれも私よりも歳上で、自分が緊張していることが分かった。

職種などを聞けば、各界で活躍している方々ばかりだった。

「会食コンプレックスだった頃の自分」が頭をもたげる。

「さっそく安易な言葉で空間を埋めてしまおう」という考えもよぎった。

エンタメ? シモネタ? カルチャー系? 芸能? 

どんな会話のボールだって一応、返せるわよ。

だって、これまで散々経験してきたんだから。

そんなことを思っている自分を「我ながら擦れてんナァ」と思う。

すぐ結果を求める自分に嫌気がさしながらも、空間を探る。

盛り上がるために、爪痕を残したいとさえ思い始めていた。

しかし、その日の「会食」は途中から何かが違った。

ひとりの人が発言したボールに対して、水面の波紋がゆっくり広がるように皆が会話を楽しんでいる様子が見て取れた。

内容は、よく聞けば大したことではない。

でも、そこからゆっくりと高みを目指して、大した内容になっていく。

「最近のエンタメ業界の構造について」

「メンバーのひとりが海外で暮らした時に気づいた(凄い)出来事」

みたいなトピックで会話が進められていくなか、マウントをとる人はない。

皆がゆっくりとボールを広い、味わい、それに食事を楽しみ、適量の酒を呑んだ。

私は、その場所が大変心地良くて、びっくりした。

いよいよ会話が、私の順番になる。

ひとつ呼吸を整え、ひとつの賭けに出た。

ピークが早い会話を、あえて選択しないことにしたのだ。

その代わり、近頃の自分が自分らしく生きるために、どのような努力をしているかということを淡々と語った。

内容はとても地味なものだし、オチがあるかと言えば微妙だと思う。

ただ、その言葉は「ほんとうに自分が話したいと思う内容」だった。

別に、これまでみたいに、誰かが笑いに変えてくれたって良かった。

会話を楽しんでほしいサービス精神もあるし、いじられるのは慣れている。

しかし、会食に参加していた彼らは、ゆっくり私の言葉を傾聴してくれた。

そして、各々の人間性から「へぇ」とか「ふうん」と興味を持ってくた。

私はすごく楽になって、次から次へと「自分の言葉」が湧き出た。

お酒は全然、減らなかった。その日は飲まなくても、楽しかった。

取り繕うことをやめて、心がポカポカしたまま帰宅した。

翌日。

その席に参加していた何人か「大木さんが書いた書籍を読みました」と連絡をくれた。

なにか見返りを求めているわけでもなさそうで、フラットに「興味を持ったから読んだ」というテンションだった。

忙しい人達だし、時間をとることは大変なはずである。

でも、ただただ対等な視点で、私を見つめてくれた。

そして「また、どこかで出会ったらよろしく!」という潔いよい去り際が、見事だった。

充足感に満たされていくのを感じる。

私は、何も消耗されることもなくその場を過ごした。

ワクワクとした言葉のボールを、ただゆっくり広げるだけで良かった。

会話をインスタントに展開することにこだわっていたのは、私のほうだ。

世の中は広い。

ゆっくりと噛み締めたその先で、高みにのぼれる会話をしたい。

誰かをすぐに判断することなく、会話の根底に流れる面白さを感じ取れる人間でいたい。

それは、一見すると地味だったり、華やかではないかもしれない。

でも、即席でこしらえない会話には時々、品格とほんとうの美しさがある。

袋から中身を取り出すプロセスだって、ゆっくり楽しめる私でいられますように。

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