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亡くなった親父が、急に幽霊らしいことしてきた件

夏の扉が閉まる前に、家族にまつわる怪談第2弾。

私が、心霊や怪奇現象、超常現象、宗教、その他の類には興味がないことは前述した通りだ。

「そういうものは存在していてもいいけれど、存在しなくても構わない」

そう、思っている。

時々巻き起こる不思議な現象に関しては、深く関わらないことにしており、だから「ツッコミ不在」の状態が起きる。

テレビが勝手についたって、物が勝手に動いたって、そんなことは私に関係ない。だから、ちょっとした怪奇現象は干渉せず放置する。

そんなんであるから、”おばけ”各位に関しては、驚かせ甲斐がなくて申し訳ないと思う。

しかし、人生のある時期、油断しているとポッコリと科学では説明できないなにかに遭遇してしまい、消化不良を起こすこともある。

今から私が話す経験は、昔、好きだった男にそれとなく話したら

「大木さんは、クレイジーですね」

と言って笑っていた。私は、だよねだよね、と言って流した。

本当に、そうのかもしれない。

もう、それも、ずっと前の話だけれど。

私の父は、14年前に亡くなった。

当時、私は15歳の中学3年生だった。

父が亡くなり、以降はしばらく、残された3人の姉と母で生活を立て直していくことに必死だった。

開業医だった父は寡黙で、身体に悪いものとマヨネーズと柿ピーをこよなく愛し、自分に適した酒の量を知らず、生きていくのが下手な人だった。

子供達を休日に連れて行ってくれるのは、近所のレンタルビデオ屋さんオンリー。

そこでセーラームーンのビデオを借りられることが私自身の唯一の娯楽で、稀に、「普通の子供が行くような」遊園地に連れて行ってもらっても、1コインを入れて動く電気遊具すら乗ることを躊躇する、遠慮がちな子供に私は育った。

そんな父であったから、私達のあいだに「父と子」らしい睦まじいエピソードはない。

仲が悪かったわけでもないし、べつに嫌いでもなかった。

ただ、どのようにしても「パパと娘の甘いひととき」を経験することはできなかった。

そんな父だから、私は中学3年生の自分の修学旅行から帰ってきた日、

既に病で危篤状態であった父の訃報を母から聞かされた時も、

「ついにその時がきたか…。お疲れ様。大義である。父も自分が死ぬなんて思っても無かっただろうから、三途の川でテンパっているに違いない」

と、悲しみの中にわずかな可笑しみがあって、でも、それは言葉にできずにいた。

というか、それで父自身も、うっかり亡くなってしまったものだから、しばらく自宅に抜け殻を置き忘れて、居座ってしまったらしい。

私は、霊能とかそういうことには一切詳しくはないし、別に知りたいとも思わないので、あくまでこれは家族としての知見に過ぎないのだが。

亡くなってから間もなく、誰もいない自宅3階の父の書斎から物音がする。

眠っている母の布団に、そっと入ってきて「今まで苦労かけた」というようなことを耳元で言う。

1階の開業スペースだったところで、父が使っていた医療機器の動く音がブーンっと鳴る。

そんな、他愛もない父の残留思念と、家族は一緒に暮らしてた。

ごく普通に。

科学的にいえば、「会いたい気持ちが念となって、なんとなくそういう現象を感じさせていた」ということなのかもしれない。

身内の死に対しクールに受け入れている我が家の女達の心の中にも、父を追慕する感情が、どこかにあったのかもしれない。

だから、今になっても、

「あの時のあれは絶対に、父の魂だ」

などと言う気は、毛頭ない。そういった現象に対しての信仰心もゼロなので、その現象に対してどう思っていただいてもOKだ。

しかし、ある日、そこそこエクストリーム級に不思議な現象が起こった。

彼が亡くなった数年後、家族で関東近郊のささやかなアパートに引っ越してからのことだ。

私は短大生になり毎日モラトリアムから抜け出せず、しかし芸能活動をする身であり女優として活動しながら過ごした。

ある日の夕暮れ、自宅では夕飯を作る母と、学校から帰って来てぼんやりとテレビを観ている私だけが居た。

その日の夕飯は、サラダと唐揚げ、それに父の好きだった「ホタルイカ」のパックが食卓に並ぶ予定だった。

家族5人が座れる大きな円形テーブルの西側と東側に、まずサラダと、ホタルイカが置かれた。

母は揚げ物をするため台所へ戻り、私はなんとなく、そこにサラダとホタルイカがあることを目視で確認していた。

当時の私は、好きなミュージシャンと仕事、恋愛のことにしか興味が無く、とうに父のことは忘れかけていた。

ホタルイカが食卓に置かれた時だって、「そういえば親父が好きだったな」というくらいの気持ちが一瞬湧き出て、すぐしぼんだくらいだった。

だから、そんなことがあるとは思いもしなかった。

はじめに異変に気がついたのは、私だった。

さっきまで、大きな距離を保ち置かれていたサラダボウルの中に、たった1匹だけ、ホタルイカが乗っていた。

「え、ちょっと気持ち悪い。サラダにホタルイカ乗せるのは、おかしいよ」

と私は母に言った。すると母は狐につままれたような顔をして、自分は乗せていないという。

え? でも、ホタルイカのパックから、たった1匹だけ瞬間移動して綺麗にサラダの真ん中に乗っかっているのだが……

母と私、2人のクエスチョンマークが空間に満ちた、その時だった。

部屋のどこからか、キシッ、キシッといわゆるラップ音のようなのものがした。

その後、坊さんが叩くような木魚の音がポクポクと鳴り響いた。

母と私は冷静に、だが確実にパニックになった。

ふと、食卓を見ると、先ほどまでサラダの上に1匹だけ乗っていたホタルイカが、今度は2匹に増えている。

アピールが凄い。

静まった部屋で女2人、冷静に意見が一致した。

「最近、パパの墓参り、行けてないよね……。それ? それ原因系?」

落ち着いて首をかしげながら、音が鳴り止むのを待った。

それから、なんとも絶妙な空気をまとったまま、夕餉のために席についた。

その後、数日して、「ちょっと、そっちの世界に詳しい人」に電話して相談した。

(もちろん怪しい宗教がらみでは、無い)

・ホタルイカ瞬間移動事件

・謎のラップ音

・木魚

その他……一体、なんなんだと。

すると、その人は、開口いちばん、

「お父さんの墓参り行ってる? なんかね、さっきから家族のこと凄い心配してるみたいで、こっちにその思いが伝わってくる」

と。そして、

「あとね、ホタルイカ、食べたいって!」

と、快活に言い切った。

ホタルイカ……!!! 食べたい……? 

父ちゃん、あんた亡くなってまで、食い意地凄いよ。この親にして、この子ありだよ。

そんなふうに思いながら、我が女子達はすっかり腑に落ちた。

そこからはタッパーにホタルイカを沢山ぶち込んで、一心不乱に福島の父の墓へすっ飛んで行った話は、するまでもない。

墓参り当日は、墓石にじゃんじゃんビールをかけて、ホタルイカを大量に祀って、そして思い出話に花を咲かせました。

むしろ、故人そっちのけで、福島の空気を楽しんだりして。

すると、なんとなく墓石がイキイキして、喜んでるのが伝わってきましたよ。

長々書いたけど、言いたいことは、1つ。

皆さん、墓参りはしたほうがよさげ!!!

あと、父よ。今度出てくるときは、豪勢な演出はいらない。

柄にもないことは、しなくて、よい。












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