すばらしき世界
眠れないので、映画の感想でも書いてみようと思う。
明け方、スマホでベッドの中から打ってるから、文章の調整能力が皆無だ。
ご容赦いただきたい。
その前に、今日起きた出来事をざっと記しておく。
前提として、インターネットでボコボコに誹謗中傷を受けて、今の私はちょっと刺々しい。
この2日間で約1万人以上フォロワーさんが増えたけど、全然嬉しくない。
数千件に及ぶクソリプがあり、悪質な何百人かをミュートした。
馬鹿野郎。
(決してこれを読んでいないであろう、どこかの誰かに向けて言っている。安心してほしい)
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今日はちょっと、というか、だいぶ心が疲れていたので、周囲の人に物凄く機嫌の悪い私をみせてしまったかもしれない。
反省している。
昼、飲食店に入る時、いつものようにコロナ対策で体温を測られた。
可愛い店員のお姉さんが、ピッと私のオデコに体温計をあててくれた。
すぐ数値を教えてくれると思ったら、液晶画面に表示された数値を、彼女は手のひらでサッと隠した。
「今日の体温、何度くらいだと思います?」
と、笑顔で私に問いかけてくる。
彼女からしてみたら、軽いジョークのつもりだったのだろう。
しかし、何しろ唐突だった。
私は正直、自分の体温なんて構っていられるような精神状況じゃなかった。
なぜ昼ご飯を食べにきただけで見知らぬお姉さんの遊び心に付き合わなくてはいけないのかと思った。
そこで「分かりません」と、やや冷たく返してしまった。
すると、お姉さんは私のリアクションを見て寂しそうにして、気を取り直して店内に案内してくれた。
いま考えれば私は、「平熱は低いんで、35.8°くらいですかね」とか、答えてあげればよかったんだ。
きっと、世間との関わりというものは日常のこうした一瞬の出来事の積み重ねであるのに、私はわずか1秒のゆとりすら持てなかった。
自分を恥じている。
しかし、ふと、その時「もしかしたらインターネットで誹謗中傷や悪意に満ち溢れた書き込みをする人も、これと同じ状況なのかもしれない」と思った。
人という生命体は、心にゆとりがなければないほど自分を正当化し続け、他者の価値観の受け入れを拒んでしまう生き物なのではないか。
なぜなら、他人に傾聴するという行為は、極めてエネルギーが必要だからである。
理解を深めて考え方を取り入れ、尊重し共感するよりも、否定して嘲笑い、弾圧するほうが簡単でインスタントな快楽をもたらす。
そして、否定と否定が手を組んだ時、歪んだ絆が芽生える。
同じ価値観の者同士がエクスタシーを感じ合うと、そこには、快楽という名の「村」が生まれる。
彼らはその場所に居続ける限り、「自分は間違っていません」と声高らかに言える。その保証がある。
心に余裕がない人たちは、こうして、SNSで不調和な市民権を得ていくのかもしれない。
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映画『すばらしき世界』(監督:西川美和さん/主演:役所広司さん)を観た。
本作のあらすじは、調べればどこかに載っているだろうから、ここでは軽くなぞる程度にしておく。
✳︎あらすじ✳︎
佐木隆三の小説『身分帳』を原案とした人間ドラマ。
人生の大半を刑務所で過ごした元殺人犯の男(三上正夫)と、彼の更生をテレビ番組にしようとするメディア(TVディレクター津乃田)の交流を描く。
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自分の思いを他者に伝えたいと思った時、世の中には伝えるための方法論がふたつある。
ひとつは、クローズドな世界で自己と対話し、誰の「編集」も入らずに剥き出しの言葉を伝える手法。
もうひとつは編集者や監督という第三者の手によって、他者に伝わりやすいようパッケージ化する手法。
人は、「書くこと」に特化した仕事をしていなくても、日々、その選択の繰り返しを行なっている。
大抵の人々は、その行為の切り出しを知性を持ちながら行なっており、編集者や監督という第三者の存在を心の中に持っているのだと思う。
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三上という男には、母親に捨てられた背景がある。
出生届もなく、身寄りもなく、犯罪行為ばかり繰り返し、世の中からあぶれても尚、生きなければならなかった男。
その男に好奇の目を向けながら、一方では「理解できない」恐怖を感じる津乃田というマスコミの男。
彼らは、最後には深く心を通わせる。
その二人の関係こそ、私には社会と個人のあいだで発生する「排斥」と「受容」の構図に感じた。
他人を理解することは、容易なことではない。
「わかっている」つもりでも相手の存在を芯から受け入れ、その言葉に耳を傾け、正確に捉えるには、あまりにも時間とエネルギーというコストがいる。
最初は三上という男を嘲笑っていた津乃田も、次第に彼の人柄にひかれていく。
そこで初めて、「彼のことを理解したい」と願う。
その一連の流れこそが「否定と受容」のプロセスであり、強固に築かれた信頼は簡単に裏切られない。
そして津乃田は、いつからか「これまで日の目を見てこなかった三上の純真さ」を編集したいと願い、リスクを覚悟の上で切り取ろうとする。(三上のことをテレビ番組で密着しようと企てる)
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物語の終盤、キーパーソンになる人物が登場する。
「彼」の存在に、過去の自分の姿を重ねる三上の葛藤と切実さに、私は心を奪われた。
そのシーンは、まさに今の日本の姿を如実に表しているからだ。
「自分の意見を言わず、大勢と同調して守られているうちは、誰からも傷つけられずに済む」
もしくは、
「誰かを傷つけることを想定しながらも、快楽のために批判的な意見を言い、大勢から共感を集める」
という姿である。
しかし、三上はその姿勢に魂を売ることは出来なかった。
そして、彼は彼の正義の中で、自己と対峙し続けた。
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私はこの映画を観てから、やはり明日からも正しいことを正しいと言い続けていきたいと思った。
言えば言うほど、きっと、敵も増えていくだろう。
しかし、そもそも、人は独りなのだ。
死ぬ時には、何も持っていけない。
「私とあなた」という、独立した個人がそれぞれ立ち上がり、誇りを持ち、そこに存在し続けること。
それこそが生きていくということなのだと思う。
寝る。
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