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【再掲】喪失と獲得について(大熊先生の診察1)

おかげさまで、大木亜希子の有料マガジン『戯言のガチャ』が初めての更新した日から1周年半を向かえることが出来ました。

ありがとうございます。

その記念に、最新のマガジンからバナーの写真を変えました。

今回、『戯言のガチャ』に普段どのような内容を書いているのか気になる読者の皆様に向け、最初に投稿した内容を期間限定で全文公開します。

私にとって、初めての有料サブスクコンテンツである『戯言のガチャ』。

この言葉は、「日々の暮らしのなかで私が感じた戯言を皆様にそっとお届けする」という意味合いで名付けました。

ただし、それらは「どんな文面になるか、書き手である私自身も、書き上げるまで皆目検討がつかない」。

まさに、読んでみるまで何が出てくるか分からない「ガチャガチャ」のような言葉の切れ端たち。

現在、1ヶ月に約2回ほど更新している有料マガジンですが、時には闇深い日記になりますし、時にはクソ下手な文章のまま投稿してしまうこともあります。

そんな私の、ありのままの日記を読んでくださる、奇特で温かい皆様。

610円という金額は決して安い値段ではございません。

どうぞご無理のない範囲で購読を続けて下さいませ。

私は、これからも精一杯「ちょっと人には言えない思い」をつらつらと、無理のない範囲で投稿して参ります。

もちろん無料でお楽しみいただけるコンテンツも拡充化していきますので、こちらもどうぞお楽しみに。

それでは、2021年2月に公開した最初の有料マガジン「戯言のガチャ」を全文、無料で再掲いたします。

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(※2021年2月公開の日記より全文公開)

日々の暮らしのなかで、心療内科に行くと言えば「ねぇ…?大丈夫…?何か悩み事でもあるの?」と言われてしまう。

だから、カジュアルにはやや言いにくいのだが、私は大好きな先生がひとりいて、特別な悩み事がなくても定期的に診察に伺っている。

先生の名前は、大熊先生という。(ちょっとだけ仮名)

私は性格柄、定期的に『聞き手のプロ』に自分の思考を的確にキャッチしてもらい、思考をクリアにする必要があると思っている。

だから、診察自体は非常に和やかに進むし、診察を受けた後は、心がフワフワに軽くなっている。

日々、生きていく上で芽生えてしまう希死念慮があり、得体の知れない不安のようなものが常にあり、しかし、自分の進むべき道というか、信念のようなものも強く持っているため、常に自分との戦いだ。

それら愚痴を友達や家族に聞いてもらうと、ちょっとあまりにも時間とエネルギーというコストをかけさせてしまう。

ならば、どうせならお金を払い、自分自身で解決したほうが早い(もちろん周囲の人に話を聞いてもらうことも全然ある)。

たとえば先日は、「年明けから仕事のスイッチが上手く入らない」ということだけをテーマに先生のもとに診察に伺った。

診察は毎回、20分一本勝負。

ちなみに大熊先生のもとに行き始めたきかっけは、私が会社員として働き始めた頃の遡る。(経緯は2冊目の本にも書いている)

ある日突然、人生の全てが嫌になり、地下鉄の駅のホームで足が動かなくなってしまって、もうどうにもならずに初めて診察に向かったのだった。

最初はズタボロの状態で向かったので、先生は私の暗黒時代から全部知っている。

私が会社を辞めるまでの心境、辞めてからしばらく安定しなかった心境、これまでの人生で満たされてこなかった思い、亡くなった父との思いも包み隠さず全て話している。

ちなみに大熊先生を紹介してくださったのは、非の打ち所がない完璧なる美女である。

経済的にも大変恵まれた方で、才能もあり、私から見れば非の打ち所もない。(ちなみに性格も超良い)

そんな素晴らしい背景をお持ちの方も、胸につかえている何かが日々あり、プロに力を借りているのだ。

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話を戻す。

新年早々に診察に向かった私は、白いインテリアで統一されたテーブルで大熊先生と今年初めて対面した。

「あけましておめでとうございます」

互いに、いそいそと新年のご挨拶をする。

彼がコーヒーを入れてくれた。

私「最近、やる気がおきないんです。将来の不安も消えません。そして、なぜモチベーションがあがらないのか、自分でもわからないんです。こんなに恵まれているのに」

単刀直入に悩み事を話す私。相変わらず熊のように柔和な顔つきで微笑む大熊。

熊「大木さん。今から僕が実験的に色々と『不幸な質問』をしていきますね。なかでも、『一番燃え上がれる不幸』があれば教えて下さい」

私「は、はい…。一番、燃え上がれる不幸、ですか」

熊「百聞は一見にしかず。では、早速いきますよ。最初の不幸は『貧困』。この言葉は、いかがですか?」

私「貧困という言葉をイメージしただけで耐えられないです。これまでも悩んできたし。これからも貧困で悩むようなら、非常に色々なことがちょっと厳しいです」

熊「なるほど。『貧困』という言葉が、もしも自分ごとになった時に、そこから『脱したい』というお気持ちはありますか?」

私「勿論あります。もし今が超貧困なら、そこから今すぐ脱するために、なんでもします。ただ今は以前に比べて、ほんの少しだけ経済的に安定してきたので…」

熊「なるほど。一番燃え上がれる不幸かどうかは微妙ということでしょうか?」

私「そうです」

熊「では、次に『差別』。人って差別されると辛いじゃないですか?もしも大木さんが誰かから差別されたら、『何クソ』と思って打ち負かそうと燃え上がりますか?」

私「差別ですか。これは最低ですね。でも、意外と平気です。もしも差別されても、私はその怒りを力に変えて、全力で相手に反撃できる自信がある。なので、あんまり燃え上がりません」

熊「わかりました。では、次に『理不尽』。これはどうでしょうか?これも大きな不幸ですよね。モチベーションに転化すると思いますか?」

私「これまで『理不尽なこと』も相当経験してきました。理不尽って凄い嫌ですよね。充分それをバネに『燃え上がる』モチベーションには転化できるとは思います」

熊「なるほど。次に『無能』。これはいかがでしょうか?これも随分と不幸なことですよね」

私「あ〜。でも、自分がある種、無能なことはよく分かっているので。モチベーションにはなると思いますが、これも一番燃え上がるかと言われれば微妙です」

熊「次に、『被害』。もしも今、ご自身が誰かから自分の権利が侵害されたら、どうでしょう?たとえば『誰かから情報を漏らされる』と言った被害で、モチベーションは上がりますか?」

私「『被害』は、モチベーションはあまり生まれないと思います。単純に凄い迷惑に感じたり、すごく落ち込んだりして、それで終わりだと思います」

熊「それでは、『不可能』は?」

私「これも、モチベーションには転化しないと思います。私は最初から『不可能だ』と思うことに関しては、首を突っ込まない人間なので」

熊「『不合理』。この言葉を聞いて、いかがお考えになりますか?」

私「あ〜。これはまさに今の私というか。あんまり合理的に動けていないので。今まさにモチベーションが上がっていない状態で、やる気も何も出ません」

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その後も、大熊先生は、あらゆる「不幸」の種になりそうな言葉を私に投下していった。

たとえばそれは、「病」(やまい)という言葉であったり、「不運」であったり、あらゆるネガティブなワードだった。

次第に、その質問には意味があることに、ようやく私は気づいた。

どうやら私は、数ある不幸の定義のなかでも、「喪失」に最も弱く、そして、最もモチベーションになっていることに気づいたのだ。

神様、そこだけはどうか勘弁してくれという最も目を背けたくなるような不幸が、私のなかでは「喪失」一択なのである。

たとえば、15歳で父親が亡くなり、大きな喪失を味わった。

31歳の今、万が一、大切な母親が亡くなってしまったら、私は生きていくことを続けるのが困難になりそうなほど、再起不能な状態に陥りそうである。

その一方で、あまりの喪失感のデカさから、地獄の底から這い上がり、自分の概念が変わってしまうほどのブレイクスルーが起きてしまいそうだとも思った。

(しかし、想像しただけでもマジで無理)。

そんなことを大熊先生とディスカッションしているうちに、大熊先生が、またひとつコホンと咳払いをした。

「あくまで僕がこれまで診察してきたなかで、ですけど」

「はい」

「大木さんは、これまでの人生のなかで『喪失』を経験するごとに、リスクがとれる状況になっていると思うんですよ」

目からウロコだった。

「たとえば、実名を出して自分のプライベートを書籍にする事とかは、喪失からではないと、そうそう、そこまでのエネルギーは出せないと思います」

たしかに私は、20代半ばで大きな失恋を経験したことにより、現在、赤の他人のおっさんと住んでいることを世の中に公表して書籍まで発売している。

「大木さんにとって、『喪失』というものは、僕は、2つの意味があると思うんです。ひとつはモチベーションの向上。もうひとつは『喪失』が起きるごとに、1つ前の『喪失』を帳消しにする力になっているということです」

「どういうことでしょう?」

私は、分かったようなわからないような気がして、少し深堀りして聞いた。

「たとえば多くの人にとって、『不幸』というものは、常に『最新の不幸』だけが重要になってくるんです。つまり過去の不幸は、最新の不幸によって帳消しされてしまう」

「と言いますと…?」

「最新の不幸が上書き保存されることで、過去の辛かった出来事はなかったことになる」

「つまり大熊先生は、『不幸こそ、不幸を上書きできる作用を持っている』と仰っしゃりたいんですか?」

「そういうことです。不幸は、幸せでごまかしても消えないんです。でも、不幸を不幸で上書きすると、下に積み重なった不幸は、綺麗に消えてくれるんです」

たしかに自分の人生をたどると、本当にそのとおりだった。

15歳で父が亡くなって喪失を経験した時、私は

「父ちゃんが死んだ。えらいこっちゃ。大変だ」

という緊急事態の状況から脱するため、大手の芸能事務所に所属することを決断した。

そして、緊急で稼ぎを得ることにした。

今考えてみても、15歳そこそこの少女だった私が、考えれれないくらいモチベーションの向上が起こっている。

そして、22歳でSDN48というアイドルグループが解散してしまったこと。

これもある意味、大きな喪失である。

人生の大きなシンボルが消えた。自分を司る屋号が消えたのだ。

しかし、そこから私は「やばい! じゃあ、第二の人生としてライターになっちまおう!会社員になっちまおう」と、ここで人生の大きな舵取りを切った。

次に私は、20代半ばで、好きだった人に対して失恋して信じられないくらい大きな喪失感を体験している。

ところが、その喪失をバネに、今こうして作家として生きるようになった。

つまり大熊先生は、「喪失」とは私にとって実はもっとも大きな「モチベーション向上の源」であり、悪いことだけではないと教えてくれたのである。

彼は目を細めたあとで、少しだけコーヒーを飲んだ。

医者らしい白衣ではなく、いつも通り、グレーのシャツを着ている。

安心感がある見た目だ。

「『喪失』を繰り返すたびに、だんだん大木さんにとって社会的にも意味があり、精神的にも意味のある都合のよい選択が選んでできるようになってくると僕は思うんです。『獲得』と『喪失』の繰り返しが」

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残念ながら、そこで時計のアラームが鳴る。

本日の診療のリミットが過ぎてしまった音だ。

私は、この短い診察で、決して答えを見つけたわけではなかった。

けれども、「モチベーションが上がらない」という現在の切実な問題について、不思議なことに少しだけ前向きになれた気がしたのである。

「次回の大きな喪失まで、私は粛々と人生を全うするべきだ」という結論に辿り着いたというか、諦めがついたというか。

なんというか、「次回の喪失は自分では選べない」という真実だけが、眼前に残ったのである。

なんかわからんが、不思議な感覚だが、喪失というものはとにかく自分では選べない。

ましてや自分で選べるような些細な喪失というものは、自分にとって大きなダメージもない。

だからこそ何も保証がないこの世の中で、私はもう少し「次回の喪失」まで焦らずに「自分自身を生きたい」と思った今日この頃なのである。

サポートをしていただきますと、生きる力がメキメキ湧いてきます。人生が頑張れます。サポートしてくれた方には、しれっと個別で御礼のご連絡をさせていただいております。今日も愛ある日々を。順調に、愛しています。