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1億3万年ぶりに男性と食事に行った日の前夜の話
先日の話になる。
1億3万年ぶりに、男性と食事に行った。
ちょうどその頃、都内は飲食店の休業要請が全面解除された時期で、各々がセンシティブに除菌対策を練りながら外食が出来るタイミングではあった。
その方は、「ちょっと近くまで用事があるから」と無駄のない爽やかなテンションで誘ってくれたが、私は緊張して呼吸が止まりそうになった。
これまで散々仕事や恋愛に迷ってきたが、私は、今の自分のことがなんとなく好きだ。
欲深さもないし、それなりに謙虚さもある。
だから、なんとなく色々なことが上手くいく気がしたけれど、いくらなんでも男性と対面することが久しぶりであった(仕事以外で)。
「ありがてぇ。ありがてぇ」
心の中でそんな念仏を唱えながら、「ぜひ」と短文で返信をして誘いを快諾する。
しかし次の瞬間、
「決まったは良いが、洋服はどうしよう。あ、それと美容院は行くか。あ、当日の会話プランは?あと最近ハイヒールが辛くなってきたから、当日はすっ転ぶことがないようにスニーカーでオシャレしたいな。ジェルネイル。これは、もう時間ないな。よし、顔剃りは行っとくか。あとは、あとは……」
と、圧倒的に「可愛く思われたい」煩悩が芽生えていることに気がついた。
■
日程が確定してからは、”その日”のことが日々チラついた。
食事に行く日を「本番日」とこっそり名付けて過ごしてゆく。
一体なんのステージ本番だよ…。
今となってみれば呆れるが、一言でいえば非常に緊張していた。
粗相があったら嫌なので、幾度も頭の中でシュミレーションを重ねる。
もっと自然体な自分でいたい気持ちもあるが、「ありのままの自分で相手に好意を持ってほしい」と思うのもまた、どこかで傲慢な気がした。
これまでの数々の失敗エピソードが、走馬灯のように蘇る。
カッコつけてバーでマルガリータを注文したけど悪酔いし、解散後に頭を抱えたあの日。
グロスで華やかに口元を演出したは良いけれど、知的な会話が一切出来ず終了したあの日。
今の自分ならば、もうそんな失敗はしないと頭では分かっている。
分かっちゃいるけれど、20代の赤面エピソードばかり思い出してしまう。
「自分の心に素直で、相手に対しても誠意ある行動」が仕事上では出来るのに、なぜプライベートでは発揮できないのだろう。
それはきっと、私が他人に対して興味を持たずに生きてきたからだと思う。
20代の私は、自分にしか興味が持てなかった。
「私を見てよ」
その気持ちが、あまりにも強すぎた。
そんな中で、ウッカリ人を本気で好きになった経験もある。
けれども相手を尊重することが出来ず、どのように自分の気持ちを処理すれば良いのか分からず終わった。
随分と相手を困らせてしまった。
愛ではなく、恋だったのだと思う。
多分、単純に自分に自信がなかった。
他人を許すことも出来なかったし、苦手な人には最初から「私の心の中に入って来ないで下さい」と笑顔で予防線を張っていた。
ひとつ希望があるとすれば、今の私は少なくとも他人に凄く興味がある。
性別に関係なく、色々な人の良い部分や、好きな部分が見えるようになっている。
それは、自分にとって大きな奇跡であり変化だ。
これまで数え切れないほど恋で失敗して、仕事で恥ずかしい思いを散々して、ようやく「本来の自分」に着地しつつあるのだろうか。
わずかな光が見える。
しかし、それでも現在の自分が「ホントの自分」かどうかは検証段階である。
え、たった1回の男性との食事を前にして、色々考えすぎじゃね?
そんなツッコミを自分でも入れたくなる。
だが、とにかく落ち着かない日々を過ごしていたら、あっという間に時は過ぎていった。
■
本番前日の夜。
私はAさんという歳上の女性からのお誘いを受けて、短時間ではあるが軽く飲みに行った。
Aさんは仕事をする上で関わってきた方だが、砕けた席で話してみると、めちゃくちゃ意気投合した。(と、少なくとも私はシンパシーを感じた)
私が知る仕事中の彼女は、頭脳明晰でクール。
これまで数々のハードな経験を経てきて、修羅場をくぐり、色々な意味で覚悟の決まった女性というイメージだった。
しかし、食事の席では鈴が鳴るように軽やかに笑い、天使だった。
彼女がニコニコ笑ってくれるとめちゃくちゃ可愛いので、私は「もっと笑ってもらいたいナァ」と思いながら、色々なネタを放出した。
貴腐ワインを飲んだり、白ワインを飲んだり、肉やルッコラを食べた。
子供のように笑う彼女の姿がチャーミングで、思わず私は質問した。
「Aさんっ素敵っすね〜。私も、無邪気な笑顏を男性の前で出来たら、どんなに良いかなと思うんスけど。でも出来ない。どうしたら良いんだろうな」
すると、彼女は言う。
「私もこれまで散々自分らしく生きることが出来なくて、辛い時期があったんだけど。今の夫に出会えてから、自分らしく生きることができるようになったの。全部受け入れてくれるっていうかな。お互いの感覚が合うんだわ」
その言葉を聞いた瞬間、なぜかウッカリと涙が出そうになった。
私は彼女の夫に会ったこともないし、想像で人柄を膨らませることしかできない。
でも、私もいつか誰かとそんな信頼関係が築けるようになりたいと心から思った。
結婚するかしないか、未だに分からない。未来を約束した相手もいない。
それに、今の私は仕事に全力で興味があって、全身全霊で原稿を書いている。
だから、それと平行して、他人に継続的に興味が持てるかは分からない。
しかし、自分以外の誰かのことも受け止められるような人間になりたい。
そして、Aさんを見ていたら、なぜか私にもそれが出来そうな気がしてきた。
次第に少しずつ本番日への恐怖が消えていく。
気がつけば憑き物がとれたみたいに、気楽に構えられるようになった。
「明日の本番当日は、努めて自分らしくいよう。何が『自分らしい』かは分からないけれど、出来るだけありのままでパフォーマンスを発揮しよう」
そう誓った。
だから、ステージじゃねぇっつーの。
■
Aさんと別れた帰り道、昔から私をよく知るSちゃんという女の子と別件でLINEした。
私「明日、久しぶりにお食事に行ってくるんだ。男の人と」
Sちゃん「亜希子はすぐに爪痕を残そうとするから。『笑い』に走るなよ。爪痕を無理に残そうとしないで良いし、強すぎるサービス精神も捨てな」
私「承知しました」
そんな会話が繰り広げられた。
Aさんも、Sちゃんも、みんな私の味方だった。
■
”本番当日”は、結論から言うと非常に楽しかった。
Aさんの真似をしてニュートラルに笑ってみたり、顔の作りとかメイクとか気にせず、ガバガバと好きなだけ御飯を食べてみたり、色々と試してみた。
思ったことを、臆することなく素直に口にしてみた。
お相手が良い人だから成り立つ話なのかもしれないが、会話が楽しすぎて、自意識など消え失せた。
自分からお題を積極的に出さなくても、サクサクと会話のボールは進んだ。
あれ、これって普通に日常生活で応用できるやつか?
目からウロコだった。
私は、これまで何に恐怖を感じて、何に対して無理をしていたんだろう。
素を出しても別に人から嫌われないし、ありのままの自分で腹の底から笑うのって、凄く楽しいことなのだな。
そう思ったら、過去の失敗が少しずつ成仏していく気がした。
その後、その方とはこれといって進展はない。
でも現状は、それだけで充分だ。
一歩だけ人生が進んだ。
1ミリグラム、肩の荷が降りて心が軽くなる。
たったそれだけのことで、明日からも私は前を向いて生きていける。
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