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4週間「SNS断食」したら人生戻ってきた話

狂ったようにエゴサーチを繰り返してしまう自分から、脱したい。

そして、連日タイムラインに流れてくるゴシップや哀しい事件に影響されず、自分の人生を生きてみたい。

こんな想いを、私は2020年早々、抱えていた。

ちょうどその頃、年越しカウントダウン旅行のために行ったタイから帰ってきたばかりであった。

旅行中は、生まれて初めて、毎日の日課になっているトレンドニュースのチェックをしなかった。

タイでマンゴーとかスイカを食っているあいだは、インターネットやSNSの世界から意識を離すことができる。

しかし、旅行から帰ってきた翌日には、再びいつものようにスマホを使いポータルサイトを開き、ネットニュースをチクチクと見てしまう自分がいた。

そこでは今日も、芸能人の誰かが結婚して離婚して、事件や過ちを起こして、女性タレントの子供の弁当に野菜が足りていないことがニュースになっていた。

どうでもいい。しかし、読んだ瞬間に、何かが搾取されている。

私は、1冊目の本を出版した頃から、WEB媒体でインタビューをしていただいたり、取材をしていただいたりする機会が増えた。

「大木亜希子」と調べて良い話題が増えていると、それだけで嬉しくなる。

逆に、嫌なことを書かれたり、嘘が書かれてたりすると、そのたびに舌打ちを繰り返していた。

私をよく理解する8歳上の姉は、そんな私の姿を見て、

「広い世界を見ろ。世の中は、スマホ中心に動いているわけではない」 

と、警告してくる。

そういうことを指摘されるたび、「その通りだわ」と、頭の上からタライを投げられた気持ちになった。

この、歪んだ考えを直したい。

そう思った。

むろん私の本業はWEBライターなので、WEBやインターネット、SNSという文明のおかげで、おまんまを食うことができている。

その点についての感謝は、忘れないようにしよう。

しかし、もうやめよう。SNSは。

ということで、1月5日から4週間、私はSNS上で相互フォローしていた方も全員外し、真っ白なタイムラインを設けた。

そして、静寂の世界を楽しむことにする。

カッコつけてはいるが、これが結構大変な事態になった。

そして衝撃的な変化も起こったので、ここに記しておく。

※読む際の注意

①ワタクシは、思考のなかで時々、自分のことを『俺』と呼ぶことがあります。一部、一人称が俺という表記になっていますが、お気になさらず。

②今回は当時の気持ちを率直に書き記しているため、ほぼ編集してません。

思考がダダ漏れしている日記のようなもんです。何卒。

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【初日】

Twitterの相互フォロワーのことが、自分の全戦闘力、全財産に思えてくる。

せっかく知り合えた文化人や著名人の方も、断腸の思いでフォローを外していく。

クソ惜しい。クソ後悔。

まるで、今生の別れのような気持ちになる。

私がフォローを外したことに気が付いたからって、怒ったりしないでね。また断食後にフォローしますから、許してください。

というような媚びる気持ちで、ビクビクと外していく。

しかし、フォローする人がゼロになった瞬間の爽快さに気づく。

思えば今まで10年間、いつも私のそばにはSNSがあった。

そうした習慣や関係性が消えたことへの焦りは、なんとも言えない。

Instagramに作業を移す。

相互フォローしていた600人近いフォロワーを手作業で外して、0人にする。

するとインスタの運営局から「あなたのアカウントが乗っとられた可能性がありますが大丈夫ですか?」みたいな警告メッセージが表示される。

そりゃ、そうだ。

1日で600人も一気に外す人なんて、普通ないもんな。急に全員を外したことで、スパム扱いされたのかもしれない。

【2日目】

辞めるんだと思った矢先、普通にTwitterで自分の名前をエゴサしている俺がいる。

手のクセがワルいな。

勝手にスマホの画面に手が動いてしまう感覚。ヤバい。

SNS断食した意味がない。

だが、気持ちの面で変化もあった。

Twitterで全てフォロワーを外したことで、タイムライン上に表示される「あなたにおすすめトレンド」が消滅する。

今まではこの欄に、自分の属性から紐付けられた「興味がありそうな記事」がフィードに上がってきた。

良いニュースも悪いニュースも、随分とそこに感情が持っていかれていたことに気がつく。

そして、ポツポツと友人たちからTwitterのダイレクトメッセージも届く。

「SNS断食するというお知らせツイート、見ました。僕は良いと思います」

とのこと。コイツ分かってるな。と思う。

しかし、またしてもエゴサしたい欲求がムクムクと湧き出る。

だが、この旅はまだ始まったばかり。

自分自身に約束していた、「タイムライン上に文面の投稿しない」が守られているからOKとする。

全てのアカウントのフォローを外してしまったことで自分の全財産が減った気がするという気持ちは、昨日に比べれば少し減る。

仕事面では今日、「大木さんと会って話してみたい」という大手出版社の方からのご依頼で、喫茶店で会う。

素直に嬉しい。だが、承認欲求が溢れてしまい、早口で喋りまくってしまう自分がいた。

恥ずかしい。謙虚にいるつもりでも、こんなにエゴが出てしまうのかよ。

視野が狭いなと反省する。

こんな時はいつもSNSで、「エゴとの戦いだな〜」とかなんとか、自分の気持ち整理するために投稿していた。

でも今では、日常で反省しても、それを書く場所(SNS)はない。

それもまた、良いのかも知れない。ハァハァ。

【3日目】

これまで経験したこともないような、安堵感と気楽さが押し寄せてくる。

何も告知しなくてイイ気楽さ。

日本全国、どこで何をしていてもいい気楽さ。

他人の生活を知らずにいられる気楽さ。

ナチュラルなマウンティングも、虚栄心も、もう沢山なのだ。

SNSを開かずにいられるなら、一生そうしていたいかもしれない。

でも、それだと不安だしな。

1つ言えば、”SNSを手離した気楽さ”が芽生えるのは不思議な感覚だ。

【4日目】

インスタを開く。

「関連動画」に出てくる、可愛い赤ちゃん画像に励まされる。

そして、未だTwitter上では自分のことをエゴサしている。

今まで相互フォローして「繋がっていた人」のアカウントを、こっそり見にいく。

「この人たちにも、この人たちの日常があるんだよな」

と、覗き見させてもらっているような、妙に悪い気持ちになる。

まだ1日8時間くらいはスマホを見てる。

1日の3/1をスマホに吸われている感覚。

今日はこれまでSNSをしていた時間を、別の時間に置き換えることにした。

まずは、これまでお取引した媒体や企業さんからの原稿料や出演料など、全てが支払われているか確認。

すると昨年分、12万円の未振込のギャラがあることが発覚。

(取引先の方々が悪いのではなく、諸々の不備が重なった悲劇的出来事であった)

そこで大急ぎで先方に状況をご説明し、振り込みの依頼をする。

これまでスマホに夢中になりすぎていて、一番大事なお金について見落としていたのかよ。

SNS断食したことで、なんと12万円が手元に戻ってきた。

このお金、どうやって使おう。

【5日目】

SNSに投稿してないものの、「大木亜希子」という自分の名前で検索するクセが止まらない。やばいな。

なるべくWEBのニュースも見ないようにしているが、ご丁寧にYahooと検索し、トップページに飛んでトピックスをのぞいてしまう。

この手が止まらない。仕事の現場で、

「大木さん、SNS断ちしてるんですよね?何か嫌なことでもあったんですか?」

とご質問をいただく。そりゃ、そう思うよな。

現代社会に生きていながら、急にSNSを断つなんて。

「はい、ちょっとSNSに疲れちゃって」と、深刻な顔をして言っておく。

だが、心の中では昨日の「12万円のギャラ回収の件」で喜びがいっぱい。

埼玉の実家に用事があって帰るが、久しぶりに母と話していてもスマホ画面に気を取られない。

会話に集中できて、親孝行できてる実感が増す。

【6日目】

人のために何かしたい感じが増す。謎。

スマホを触らないあいだ、暇だからか。

一度だけツイッターを開く。

エゴサーチはしなかったが、日本全体のおすすめトレンドに、某人気WEBメディアの記事広告が入ってる。

きじこうをトレンド入りさせるなんて、どれだけコンバージョン高いんだよ。

と思いながら、自分が完全に「WEB界隈の人」であることに気がつく。

【7日目】

TBS系『王様のブランチ』で、自分の新刊『人生に詰んだ元アイドルは、赤の他人のおっさんと住む選択をした』が売上ランキングに取り上げられていた。

嬉しい。

今までだったら、取り上げられたシーンを速攻で写メし、速攻でSNSでシェアしてた案件なんだろう。

今はそんな自分のエゴでさえ、心の中に留めるしかない。

でも、せっかくなんでSNSには投稿しないけれど、テレビ画面のスクリーンを記念に撮影する。

パシャっという撮影音が、部屋中に虚しく響く。

SNS断食でゲットした12万円で、母へ温泉旅行をプレゼントすることを思いつく。

提案すると、かなり喜んでくれた。

即予約。トラベルコで、予約する。

「旅の時は、トラベルコで予約するのが一番良い」

と昔、好きだった男に言われたことを思い出す。感傷に浸る。

私のSNS断食のフィナーレは、母との旅行で迎えることになった。

その時、私はどんな気分で迎えることになるのだろう。

謎に、泣いたりするのだろうか。いや、淡々と

「よし。今日から投稿しちゃうぞ」

という気持ちになるのだろうか。

どこかで、もうあの世界には戻りたくないという気持ちもある。

人から勧められた「鬼滅の刃」を全巻読破するこにする。

これまでの私なら、絶対に少年漫画は読まなかった。

断食しているあいだ、余った時間で知らなかった世界の扉を開ける感じは、ポジティブ。

【8日目】

SNS断食とは関係ないが、仕事関係の方に、

「大木さんって、なんだか生き急いでる感じがしますよね」

と憐れみながら言われ、面食らう。

え? 何事もチャンスがあれば必死で這いつくばってでも仕事することって、普通じゃないの? 

それとも親切心から言ってくれてるのかな、と思う。モヤモヤ。

ネットの社会と関わり断ち、1週間。

今まではタイムライン上に流れてくる記事を、どこかで鵜呑みにしていた。

そして、そこで得た思考を人生の一部にしてた気もする。

だが、本当に大切な情報は。

もっと能動的に検索をかけたり、本を買ったりして調べることが正解なのかもしれない。

夜。

SNS禁断症状が出て、夜にInstagramで「#可愛い赤ちゃん」ハッシュタグをリサーチ。

相変わらず、手のクセがワルい。

投稿されているモチモチの赤ちゃん画像を見て、ひたすら拝み倒す。

余談だが、生理前でなんだかイライラする。早く生理来い。

【14日目】

さまざまな偶然が重なり、同世代の男性と二人きりで夕飯をご一緒させていただく機会に恵まれる。

ふわっとした、優しそうな方だ。親に愛されて育ったんだろう。

しかし、こうした機会が数億年ぶりのため緊張してしまい、お酒を飲みすぎる。しにたい。

その方と解散してから家に帰るまでの道のりで、昔気になっていた男性をFacebookでまた検索してる。

自分を殴りたい。

明日になったら、また検索したことを後悔するのはわかっている。

いつになったら忘れられるのかな。それをSNSの功罪のせいにする自分。

【15日目】

自分に関する与太記事が、ネット上でいくつか出回っている。

概ね好意的な記事だが、自分が発言していないことや、事実と異なることも書かれてしまっている。

読者からしてみたら、これも「事実」として受け止められてしまうのだろう。

せめて私自身は、今後どのような人物のインタビューや記事を読んでも、そのまま鵜呑みにしないでおこう。

「こう書かれていたけれど、それって本当なのか」

と疑うことにしよう。

【16日目】

某ドキュメンタリー番組で、自分が密着取材していただいた案件が今日放送される。

今回ばかりはSNSで発信したくて仕方がない。

我慢できず、SNSに告知投稿をしてしまう。

内容は大変良い感じに仕上げていただいたようで、ネット上で「大木亜希子さんが気になる」的な投稿をしてくれる人がチラホラ。

俺も愛してる、と真剣に思う。ただし、それらの投稿に関して「いいね」は控える。

【18日目】

自分に関する、正規の素晴らしいインタビュー記事を出していただく。

こちらも我慢できず、SNSに投稿して周知する。

自分で課した約束が守れずに、ハァハァする。

しかし、考え方を変えることにした。

本当に投稿したいときは、SNSを利用したいという気持ちが湧くもんなんだから仕方がない。

闇雲に告知したり、リツイートしたり、タイムラインにダラダラと情報を流すのではなく、発信したい理由を探ってから投稿することが大事なんだな。

きっと。

その気持ちに気がつくことが、大事なんだ。

妙に哲学的に考えてしまう。

これは、SNSに対してポジティブな気持ち。

WEBとかインターネットがもたらす功罪について、また考えてる。

今回は、投稿して本当に良かったと思っている。

【19日目】

ゴールデンの時間帯の番組が自分を密着取材してくれたことで、自分の名前がヤフートップに出てくる。反響が凄い。

またもやTwitterで、エゴサーチを続けてしまう。

番組を通じて伝えたかったことや、嬉しいコメントも沢山見かける。

しかし、それと同じくらい批判的なコメントもある。

腹が立つが、「これも1つの意見なのだ」と思うトレーニングをしてみる。

最初はムリだったが、冷静になって考えた。

すると、たとえ真実と異なる点で批判を受けたり誤解されたりしても、わりと平気なことに気がつく。

自分に関する情報を正しく伝えようとしても、自分の手元からその情報が離れた時点で、情報を統制することはできない。

受け手の価値観によって、自分が望むカタチと異なる捉え方をされても、それは仕方のないことなのだ。

なぜか悟りのような境地にたどり着く。

が、その後すぐ、可愛くない自分の顔がネットに転載されていることに気が付き戦慄が走る。

言ったそばから、この有り様の自分が憎い。

まあ、ヨシ。

ここまでメンタルを仕上げるために、何年かかったと思っている。

【同日】

自分が全力を注ぎ書いた記事が配信される日。

これは読んでもらいたい。なんとしても。

またしても、Twitterを投稿してしまう。

だが、今回も必要最低限の投稿しかしない。

すると、どういうわけか気持ちが楽。

【25日目】

今日明日と、SNS断食のシメ。

取りこぼしていた12万円のギャラを用いて、宣言通りに母を温泉付きの高級旅館に1泊2日でつれていく。

このときばかりは、もうスマホをいじらない。触らない。

そして、SNSやネットニュースもみない。

母が、旅館で夕食を食べているとき、

「こんなに美味しい和食、初めて食べたわ」

と全力で感動していた。

今回SNS断食をしたときは、その月末、浮いたお金で母を旅行に連れて行こうとは夢にも思っていなかった。

でも、こうして母が喜んでくれる姿をみることで、「自分の人生が、自分のもとに戻ってきた」という感覚が湧き出る。

一方で、スマホやケータイ、インターネットやSNSという文明に感謝したい出来事も山ほどあった。

1つ目は、旅先で昼食をとるためにレストランをスマホで探していたときのこと。

未開の地に佇む、断崖絶壁の超マニアックなフレンチレストランがネットの記事で見つかった。

興味半分で行ったら、さすがにマニアの方々が絶賛しているだけあって、超絶美味しかった。

2つ目は、母が楽しそうにバスに乗る姿を、後ろからそっと撮影できたこと。

アタシはこの写メを、生涯大切に保存するだろう。

写メ機能にも感謝したし、LINEで他の家族に母の写真を共有したりできた。

***

今日から私はSNSを再開する。

もう、ここからの人生で、意図的に休止することは、多分ない。

でも、この研ぎ澄まされた野生の感覚を大切にしながら、生きていく。

サポートをしていただきますと、生きる力がメキメキ湧いてきます。人生が頑張れます。サポートしてくれた方には、しれっと個別で御礼のご連絡をさせていただいております。今日も愛ある日々を。順調に、愛しています。