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織物を通して私たちにできること

夕方くらいになって、ふっと色々とビジョンが湧き上がってきたので、
書き残しておこうと思います。


父は京都府の北の方で、丹後町の海沿いの漁村で生まれ育ち、母は京都府の真ん中あたりの八木というとてものどかな山の中で生まれ亀岡市で育ちました。

父は出稼ぎで京都市内に出てきてからは、帯のメーカーに勤めていました。

一方、母の父(私の祖父)は着物の問屋業を営んでいて、繊維関係者の伝で父と母はお見合い結婚をしたということです。


私は今現在、京都市の北の方の貴船神社さんや鞍馬寺さんに近い、緑の豊かな山の中に暮らしています。

生まれたのは京都市左京区の比叡山の麓のバブテスト病院というところで、
上の娘を自宅出産した時にも、こちらの病院に諸々お世話になりました。

そして、私が育ったのはちょうど比叡山が真東に見える、岩倉という京都市内の北の方でした。

同じ京都市内でも中京区など、京都の中心地にルーツがあったり、生まれ育った人たちとはまたまたちょっと違う感覚を持って育ったように思います。

父も母も京都の田舎の方に生まれ育ったので、ディープな京都人ではなく、京都の郊外の新興住宅地に”根無草”みたいな感覚を持って暮らしていたというのが正直なところです。


そんな私が、今も西陣織の仕事を父の元でしていること、
家業を継ぐか継がないかの過渡期にあるということについて、色々と思いをめぐらせている日々です。

西陣織は年々、着物を着る人が少なくなっていることに加えて、コロナの影響でこれまでのような催事販売などができなかったり、
皆が新しい着物や帯を締めてお出かけする機会を失われたこともあり、業界は大打撃を受けています。

私たちもその影響を受けているはずなのですが、お得意様が元気の良いところなので、
大きな煽りを受けることもなく事業を続けていけている状態です。
(ありがたく、かつ、不思議なことなのですが…)


けれど、父も母も高齢になり、過渡期を迎えていることには違いはありません。


姉と二人で継ぐという方向性を持ってはいるのですが、
なかなかうまくハンドリングができていないような現状ではあります。


ここで、いきなり本題なのですが、
今日の夕方に受け取ったビジョンというのが、

織物を通して「日本」にある美しい精神性を表現し、それを伝えていく

というものです。

私にとって、「日本」という言葉で表現したいのは、国家についてではなく、
この土地に暮らす人々と共に脈々と継承されてきたその文化についてです。


幸いにして、京都に生まれ西陣織や着物を生業としてきた父や母に育てられてきた私は、
小さな頃から「日本」の文化や美術品にもたくさん触れる機会を得てきました。

寺社仏閣もたくさんあるので、折に触れてそれらの信仰や精神性について、垣間見る機会もありました。


きっと、この土地に根付いた独特な美しいものを私は織物を通して伝えていくということができるはずで、
それをする機会に恵まれているということ。

他の誰でもなく、私(私たち)がするべきことがここにあるのだというように思えてきたのです。


まずは、私にとって、本当に美しいと思える精神性を示すものとは何か、
ということから掘り下げていこうと思います。

きっと、文化を通じて受け継いできたものの中に、それらはあるのだと思えます。

戦後、私たちがルーツから絶たれて根無草のように経済優先主義な時代があり、その時代に生かされかつ生きてきたこと。

それは事実としてあるのですが、きっとこれからはもっと、
深くルーツと繋がりながら精神性を高めていくことに重きを置いて、
未来を作っていくべきなのだとすら思えてきます。


今はまだイマジネーションの中にしかないのですが、自分なりの探求のテーマが見つかったように思えます。


それらの事を織物を通して、国内の繋がれる人と繋がって、分かちあっていくこと。

ゆくゆくは、海外の方とも接点をつくりながら、繋がってその精神性を伝えられる術をもつこと。

新月に、立ち上がるビジョンをしっかり見据えていこうと思います。

いつかきっと、形にして行けるように、しっかり心につなぎとめておきます。

フランスからスペインに抜けて進む、サンティアゴ・デ・コンポステーラへの巡礼旅へいつか出たいと思っています。いただいたサポートは旅の足しにさせていただきます。何か響くものがありましたらサポートお願いします♪