嵐×米津玄師『カイト』が嵐ファンの心にいまいちグッとこないワケ

いや、いい曲だと思いますよ。ふつうに。ふつうに、ふつう。たぶん、嵐ファンに「カイトは好きか」と訊けば、みんな「ふつう」と答える。

嵐が大いに携わるはずだった東京オリンピックに向けて、米津玄師さんが作詞作曲した、話題性たっぷりの歌なのだが、嵐ファンにはいまいち刺さらないんじゃないか。

9月に新国立競技場で開催されるはずだった「アラフェス」は、ファンが選んだ曲をベースにセットリストが組まれて披露されるというもの。コロナの感染拡大防止のため、やむなく中止になった。

もしも「アラフェス」が予定どおり開催されていたら、恐らく『カイト』は披露された。新曲だから。ファンがコンサートで歌ってほしい!と投票したシングル曲ベスト10とは別枠で。だって、シングル・カップリング・アルバム曲、それぞれ3曲ずつしか選べないのに、活動休止までにあと何回コンサートをやってくれるか分からないのに、ファンが選ぶ曲目に『カイト』はない。もう断言しちゃうYo。

なぜ?よし、それでは独断による持論を展開いたします。

一つ目のポイントは、嵐のファンは嵐の5人が好きだということ。嵐は5人。一人でも欠けたら嵐じゃない。だからこそ、2020年いっぱいで活動を休止する。4人だけで活動するなんてできない。そのことに、ファンも納得しているわけです。5人で嵐だから。

だから、曲も5人のことを歌う。嵐の曲には、一人称を「僕」ではなく、「僕ら」とか「僕たち」とするものが多い。「僕ら」はともに悲しみや困難に立ち向かっていく。そうしてできた絆が嵐そのものだ。

個人的に「ザ・嵐」だと思うシングル曲は、2004年にリリースした『PIKANCHI DOUBLE』。コンサートでは毎回歌われる曲。2018年から2019年にかけて50公演を行った20周年コンサートではアンコールで歌われた。セットリストを決めている松本潤さんがこの曲をアンコールまで取っておいた気持ちが分かる。会場にいた私も、なんだかウルッときた。当然、この曲も一人称は「僕ら」だ。

終わったはずの夢がまだ 僕らの背中に迫る
刻まれた想い出が騒ぎ出す
限られた愛と時間を 両手に抱きしめる
せめて今日だけは消えないで

サビの歌詞が、まるで活動休止を予言していたかのよう。このタイミングで聴くと、「せめて今日だけは消えないで」が沁みる。

アラフェスが開催されたとして、ファン投票1位となるカップリング曲はやっぱり『Still...』だろう。2007年にリリースした『Happiness』のカップリングだ。『Happiness』は「走り出せ~」で有名だけど、ファンは『Still...』のほうが好きなんじゃないのかな。こちらも当たり前のように、一人称は「僕ら」だ。

たぶんあの時僕らは歩き出したんだ 互いに違う道を
いつかあの想いが輝き放つ時まで
車輪が回り出したら 旅は始まってしまうから
もうはぐれないように 過去をそっと抱きしめる

この歌も、5人が別々の道を行くことを想起させる。もしも活動休止前にコンサートを開催できるとしたら、ファンはこの曲を歌ってほしいはずだ。そして泣かせにかかってほしい。ついでに『風』も歌ってくれたら号泣できる。

嵐は5人。このことがいかに特別で重要なことか、それを普段から噛みしめながら、ファンは応援し続けてきたのだ。だからこそ、彼らの歌う曲は「僕ら」のことでないと、いまいちグッとこない。

ところで、嵐は5人グループだと思われがちだが、実は違う。いままで散々、嵐は5人と言ってきたのに申し訳ない。実は6人目の嵐がいる。これが、2つ目の重要なポイントだ。ファンは全員、自称、6人目の嵐である。いや、自称じゃない。嵐もそう言っている。

「僕ら」に対して「君」という歌詞が出てきたら、それは他のメンバーのことを言っているのかもしれず、6人目の自分のことを言っているのかもしれない。

「僕ら」は、悲しみや困難を乗り越え、未来へと向かっていく。それをいつも支えてくれる「君」。「君」がいるから乗り越えられる。そんなことを歌にされるものだから、ファンは「ええ、これからも支え続けますとも。お金を払い続けますとも!ガッデム」と思うのです。

たとえば、『カイト』の2作前のシングル『君のうた』のサビ。

歩き出す 明日は僕らで描こう
涙に暮れたとしても 塗り替えていく
強さ教えてくれた 君の温もりを
追いかけて 果てない未来へ繋がる
いつか巡り合える 虹の橋で
同じ夢を見よう

ほら、「僕ら」が辛いとき「君」が支えてくれたので未来へ行けている。『君のうた』というタイトルにわりと照れる。

嵐は、5人+1で構成されているのだ。この+1は、会員数300万人に迫るファンである。すなわち、メンバー同士の絆を表した歌詞は、6人目のメンバーとの絆でもあるのだ。これぞ嵐ファンの醍醐味よ。

さて、ここで『カイト』の歌詞を見てみると、大きく広い空を飛んでいくカイトは未来や夢へと立ち向かっていくのだけれど、糸が繋がっていて、ちゃんと帰ってくるところもあるよ、といった感じでしょうか。「僕ら」は出てこない。個人の心象風景を歌ったのもののように思える。「あなた」とか「君」は出てくるが、どうにもこの人は「僕ら」が共有している世界の中の「君」とはほど遠い存在だ。6人目の嵐のことじゃない。当たり前である。米津玄師さんは恐らく、6人目の嵐のことを考えて曲作りをしていないし、そういうオファーを受けた記憶もないはずだ。

だから、米津玄師さんは悪くないし、この曲も悪くない。いや、ふつうにいい曲です。けど、嵐ファンとしてはイマイチなのである。「嵐」の歌というか、「ふつう」の歌だから。

いままでだったら、特に何も思わなかったかもしれない。なにしろ別に、いままで出した曲の全てがそこまで「嵐っぽい」曲だったわけでもないし。だけど、あと何曲出せるか、という瀬戸際での新曲だっただけにちょっと残念なのである。もう1曲、CDを出してほしい。ネット配信ではなくて、あえてCDで。初回特別盤にはメイキング映像たっぷりで。いかにも嵐っぽい、ジャニジャニしい歌を。作曲は多田慎也さんにお願いしたい。

あと、アラフェスの仮想セトリがあるなら教えて。



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