中陰にただよう言霊
旧暦でいうところの9月9日、重陽の節句は新暦では今年は10月11日だった。「今日は土をさわってはいけない」などと、気にする家族はいない。
「天気が良ければその日はいい日だ」と、祖父の教え通りにしているが、
本日は雨模様だ。
だけど持論を少々曲げて、
重陽の書である玄関の掛け軸をかけかえようかと思う。
だって、見てしまったんだもん。今日は友引だって。
この掛け軸は遠い西国からやって来た。
大学で教える時間以外は、その小さな離れで、
どの半紙も真っ黒になるほど字を書き続けた人の書のひとつ。
亡くなった後に大量の作品を残されて、
ご親戚はちゃんとした仕事の功績など、初めて知ることになる。
「好き」や「仕事」を越えた熱中させるものとは、
一体なんなのかといぶかしむ。
書かねばならぬ、やらねばならぬと、人の心を駆り立てるものは、
いったいなんなのだろうかと正体を恐ろしくすら思う。
なにものでもない自分は、畏敬という相反する狂気を含んだそれらを
目の前にすれば、労しくもただただ屈服するのみだ。
母が「まだ四十九日過ぎてないんじゃないの?」と疑問を投げかけた。
確かめてみたら、その通りだった。
送られてきた何点かの書は最初に、仏壇の前において線香をあげた。
その夜は、仏壇の回りの菓子袋などを、かき分けて、
ガサガサとまさぐるような人の動きが聞こえた。
隣室で休む母のベッドの枕元に、黒い男性が立ち、驚かせる。
母の一言がそれだ。
次の日、それらは二階の明るい西向きの窓のある部屋に置いた。
随分日にちがたって、「毎晩夜中に壁をノックされる」と
隣の部屋で寝る家族が言う。
この人にしては珍しいことだと思いながら、
私の寝室のクローゼットに、とりあえずのつもりで片づけた。
片づけたその晩に、クローゼットの壁が壊れるかと思う程、
大きな音で叩かれて、文字通り飛び起きた。
「こんなところは嫌だ!」とでも叫んでいるようだった。
「今は夜中なので我慢してくださいね。
明日、良い場所を用意します」と、告げて、また眠りについた。
それから翌朝、故郷の方向が見える窓の部屋の、
白いデスクに綺麗な風呂敷を広げ、それらを置いて、
写真と花と水とお菓子を少しずつ供え、アレクサが般若心経を読んだ。
仏教の教えでは、亡くなった方は四十九日の最終審判で、
極楽浄土に行けるかどうかが決まるのだという。
「どうか心安らかに」
「こんなところまでやって来て大変だったと思います」
ある神官さんのところに訪れた時に、
「普通の人に話すような言葉でお願いすれば大丈夫ですよ」と
アドバイスされたことを思い出して、四十九日を超えて一年間語り続けた。
あの時の書から発せられる思いは、どこへ消えたのかなぁと思う。
今日からは、我が家の玄関先で、今度は「不如学」という豪放磊落で
激しい筆さばきの言霊が、腐った根性の人間を追い返してくれるはず。
と、私は信じている。
花の種じゃなくて、苗を買ってもいいですか?あなたのサポートで世界を美しくすることに頑張ります♡どうぞお楽しみに♡