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八十八歳の男が遊びに行くところ

「もし、も~し」

「はいはい、いつもどうもな」

「どこにいるの?家?午後寄っていい?」

「あー・・・今、ちょっと出かけてる途中。明日なら大丈夫」

「分かった、気を付けてね」

車中なのか、楽しそうな数人の笑いが受話器の向こうから聞こえてきて、
簡潔に用件を済ませて電話を切った。

月曜日の午前中は、いつも市場へ出かけているはずだったのに。

もしや、どこかの良いお医者さんの噂を聞いて、
家族に連れられて出かけたのかも知れないと思った。

日頃から、足がどうの、腹がどうの、腰がどうの、耳鳴りがどうのと
体のあちこちの悲鳴の話を聞かせられる。

若い頃から体に負担をかけ続けているから。

日中は同居の家族も仕事や学校なので、
ひとりでテレビを見たりして過ごしている親戚の伯父、88歳。

何十年か妻の介護に明け暮れ、見送ったあとにも、
日常の家事をこなしながら、大事な留守番をしているが、
免許返納により、思うように買い物が出来なくなったので、
時々買い物指令の電話が入る。

なんたって、洗濯もするし、家族の夕飯の支度さえする。

可愛い孫娘のための、お高めのヘアケア用品を頼むことには、
金額に躊躇がない。

「可愛いくて喜びそうなの」が、おじいちゃんのご希望だ。

「普通のでいいんじゃない?」

「金ならある」

「それは知ってる」

板子一枚下は地獄、の船員年金は高額だと、誰もが知っている。

しかもかなり漁が良かった時代の、
採ることでその名を知られた船頭(船長)だったので、さらに想像はつく。

船頭は、ソナーと言われる魚群探知機などのパソコンとにらめっこで、
一日中孤独に、神経を使う大変さがある。

その昔も、乗組員をまとめ、
彼らの給料を保証するために、体も頭も身一つを投じて、酷使する。

声は大きく、眼光は鋭く、細かいことにはこだわらず、オーラがある。

しかし年月は平等に過ぎていき、寄る年波には勝てないのだ。


「昨日どうだったの?病院?」

「なんだそれ?遊びに行ったんだよ」

顔をほころばせて、思いがけないことを言う。

てっきり、「家族の誰かと評判の良いお医者さんの受診」と思ったら、
「昔の仲間たちと一緒に、楽しみなお出かけ」だった。

「どこ連れてってもらったの?」

「鮎川。今はあそこしか水揚げしてないからな。
車のナンバーを見ると全国から集まってきてた。
面白かった。美味かったぞー!」

キラキラとした目で、ニコニコと笑顔で語る。

船乗りたちは、地名と言えば港の名前で語る。

釧路といっても、釧路港であって市内ではなく、
ケープタウンといっても、ケープタウン港であって、
南アフリカ共和国のことではない。

港の名前は、郷愁と熱気を思い出させる。

「鯨を食べに行くぞ」という話がまとまれば、
一も二もなく、身体のことも、浮世のことも忘れるんだろう。

亡き父でさえ、いなくなったと思ったら、
どこかの山の麓から電話をかけてくるので、たびたび呆れてしまう。

本気の仕事は、本気の遊びだ。

遊ぶにはいくつになっても仲間が必要。

お世話してくれる方々がいて、
誰とはなしに感謝の念と共に頭が下がってしまう。

男の遊びは、男の生きる力の源だ。

たまによく理解できないけれど、とりあえず話に笑う。

何か、男のロマンがあるのだろう・・・。




















50年前に救助した漁船員と英国人男性が再会 | 株式会社 三陸新報社 (sanrikushimpo.co.jp)

https://sanrikushimpo.co.jp/2024/05/23/13317/


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