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さよならだけが人生だ*毎日note300日を前に

井伏鱒二さんの名訳に、どうもありがとうと言いたい。

言葉を選んで、
タイトルに書き込んでいくうちに、その言葉に親しくなっていく。

サガンの「悲しみよこんにちは」という題名の本があった。

Bonjour Tristesse ボンジュ―ル トリステッセ ぼんじゅー、
ほらね、なんだか心が軽くなる。

300日も経ったというのに、始めたのがどういう、
どんな日だったか覚えていない。

今日と同じに、普通の、なんでもない、いつもの一日なんだと思う。

不思議だなぁと思うこと。

スキというのが単なる挨拶とか、
単なるお返しみたいなものだろうと思っていても、
いろんな方の、タイプの違うマガジンに取り上げられたりすることは、
とても嬉しく、(ちゃんと読んでくれているんだ)という確信をいただく。

もう、スキをいただいた方の全部のnoteにお邪魔することは難しくなった。

まとめ読みしたり、思い出して読んだり、
タイミングよく流れてきたのを読んだり、コメント返信しながら読んだり。

コメントは、記事の内容よりもその人に触れることが出来て面白いと思う。

アイドルの握手会みたいな?

一番好きなのは、書いてる人の日常にお邪魔することができる記事。

応援を送りあったり、気持ちをおすそ分けしあったりできると思うから。

思いがけない影響も受けたりする。

新しい知見。

楽しいドキドキ。

見知らぬ世界。

ひとつのさよならがあるとしたら、
そのさよならの中にはたくさんの言葉と、楽しい思い出とか、
途方もない数のコレクションがあることに気づく。

さよならは悲しいけれど、膨大な物語がそこに詰まっていることに、
目をちゃんと開いて、耳をちゃんとそばだてて、心をちゃんと広く開いて、
みんな受け入れられればいいな、と思う。

それで、一緒に笑ったり怒ったり喜んだりするのも楽しいなって思う。

「つながる」と「記事を書く」というのは、
一見関係ないことのように思えるけれども、
「つながれないひとは、書き続けることが難しい」と思うし、
「つながることで、生かされている自分に気づく」という、
新しい扉の存在に驚く。

誰かの言葉は、必ず誰かの力になっていると信じられる。

自然の朝の光がまぶしいように、
人が作り出す夜の光も心を照らすことを、ちゃんと信じられる。






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