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明日があると思っていても…

明日ありと 思う心の仇桜
夜半に嵐の 吹かぬものかは

僕は浄土真宗の門徒なのですが、信じる宗教は何だっていいのかなと思います。
それが生きる上での支えになったり、老病死に触れたりして心がささくれている時などに癒しになってくれるものであれば。
冒頭の句は、のちに浄土真宗をひらくことになる親鸞(しんらん)が詠んだものです。

明日があると思っていても、夜のうちに嵐がやってきて、桜の花を散らしてしまうかもしれないよね?

というのがざっくりとした意味。

明日があると思ったら大間違いだよ?

というのがストレートな意味と思います。
この句を詠んだのは親鸞が9歳の時。
荒れた世の中を憂い、一刻も早い出家の儀式を急ぐ若き親鸞に、「今日はもう遅いから、儀式は明日で良い?」と一般常識ロジックで提案した慈鎮和尚さんに対して詠んだ句だとか。
「明日やろうは馬鹿野郎!!」をオブラートに包んで伝えた構図と思います。
ウチの教祖さん、かなりロックです。
しかも当時、9歳。
ハードロックです。
ロックな偉人の息吹をたどるのは心地よいです。

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