逆転の構造
思えば、何事においても、事態が一気に好転するようなことはそうそうない。
ショパンコンクールで入賞するのも、槍投げで世界一になるのも、その裏には尋常ならざる努力があったはずである。
しかし、努力は普段は不可視化される。
私たちは結果だけを見ることになるから、彼らが普段いかように努力しているかを知る術がない。
これは、何もそのような世界的な賞を取ることに限ったことではない。
スヌーピーの中でこのような言葉が出てくる
これは、ある種真理をついていると思う。
麻雀の牌を整えるようにしてチャンスを待つ。
たとえ、どんなに悪い手牌であっても、上がりに近づく可能性を少しでも高めるため、粛々と牌を整理していく。
その結果として、満貫などの手に成り上がることもあるし、もちろん成就しないこともある。
要は、普段コツコツとやること。
それが逆転の本質なのだ。
野球で例えるなら、大事なのは、まず塁に出ること。
ホームランを打っても、ランナーが塁にいなければ1点であるが、もし満塁なら4点は返せる。
ただし、ここでも一挙に返せるのは最大で4点までだ。
もし、それ以上の差がある場合は、まだコツコツを繰り返さねばならない。
そのように粘っていけば、いずれ跳ねるかのように人生は好転する。
逆転というのはそういうものだ。