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嬰児殺しの哲学

近年、いつ日頃にも増して虐待のニュースを耳にする。非常に痛ましいことで、沈痛な思いにかられるが、日本において、子供とは親にとってどういう存在だったのだろうか。その原型を見ていきたい。

かつて「7歳までは神の子」と言われ、7歳までの子供は天界にも人間界にも属するものとされた。言わば、その歳まで子供は人間としてまだ正式に認められておらず、親に生殺与奪の権限を握られていたのである。

もちろん、これには江戸時代の社会的状況も大きく関わっている。飢饉や災害などによって非常に不安定な社会においては、そもそも「生」の存在自体が軽く、また「死」は非常に身近なところにあった。

翻って、現代ではどうだろう。現代の子供はあまりに死から遠ざけられているような気がする。死と接するのはせいぜい、自分の祖父母のお葬式のときくらいであろう。しかし死が遠くなった社会というのは、同時に生の存在を軽くする。死を考えることで初めて、人は生と向き合う心意気を持つようになる。


少々話は逸れたが、そのように江戸時代には、育てられない子供は容易に唾棄されたり、また養子に出されたりした。丁稚奉公などはその典型で、そこから暖簾分けし、「江戸ドリーム」を達成するのもまた、珍しい話ではなかった。


また明治〰︎昭和にかけては、産婆なるものがいた。熟練の産婆はいわゆる「間引き」を行っていたそうで、しばしば障害があると見なされた子は生まれと同時に生を終わらせることも少なくなかった。


このように現代から考えると驚くくらいのことが少なくない。しかし、「子供」なるものは近代においてようやく「発見」された存在である、ということは付言しておこう。