****号室、16:47


 屋上は存在しなかった。屋上には存在出来なかった、というのが正しかった。3091号室を出て、長い廊下の先にあったエレベーター。二人同時には乗れない。一人きり。狭かった。壁一面にボタンがあった。気味が悪かった。私はどうしてここにいて、どうしてここから出られないのか。意味が分からなかった。
 せめて認識出来る情報を増やしたかったから、一番大きな数字の書かれたボタンを押した。考えたくもない数字だった。3091の時点でおかしいけど、これはもっと桁がおかしい。重苦しい無音でドアが閉まる。ふわっと、内臓が浮く感覚。ガラスの向こうで景色が流れる。同じ景色がずっとずっとずっと。一瞬の廊下、暗闇、廊下、暗闇、廊下、暗闇、廊下、暗闇、廊下、廊下、廊下、廊下、廊下、廊下、廊下、廊下廊下廊下廊下廊下ろうか。
 点滅。

 一日かかった。体感だけれど。いや、本当はどうだろう。二時間くらいだったのかな。けれどひどく長かった。何度か眠ったくらい長かった。頭の中で知ってる音楽を必死に思い出して、もう何も気にせず歌って、そうして何にもない上昇の時間を耐えた。
 ようやく扉が開いた時、私は大きく息を吸った。窮屈な箱から外に出て、その廊下に出た。外が見える。外が……

 月が見えた。それから、地表が。
 地面じゃない。飛行機から眺めるみたいな、遠い遠い地表。
「うそ……」
 空の色がおかしかった。宇宙に近いからだ。

 だから屋上は存在出来ない。人は、生身では上がれない。廊下にはちゃんとガラスが張られていた。水槽みたいに。水族館みたいに。うっすら反射する青ざめた表情。
 何の音もしない。何の音もしない。ただ廊下があって、エレベーターが待機してる。私が知ったのはこれだけ。どこにも行けない。ここはおかしい。それだけ。
 また帰らなきゃいけない。私の部屋の鍵。これだけ。居場所はそこだけ。どうしよう。どうしたらいいんだろう。誰か。誰か。


 誰か。