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最近感じたこととトーベ・ヤンソンの言葉たち:なくしたものはもう一度、よい出来事は何度でも

20代の頃は怒りっぽい性格でしたが、最近は負の感情を不要に抱きたくない、と思っています。もちろん、時には怒ることも必要ですが、それは本当に必要な時、「ここぞ」という時だけにしたいです。

そんなことを考えていたら、トーベ・ヤンソンの短編「嵐」(1971年)を思い出しました。

夜中の嵐を1人部屋で過ごす女性を描く、非常に短い作品です。作品の終盤で、嵐が吹き込んでめちゃくちゃになった部屋で誰かと電話で話します。描かれる視点は主人公側のみで、電話の相手が話した内容はわからない書き方になっています。

(前略)「弁解はいらない」と彼女はいう。「何度も同じことをいわないで、たいしたことじゃないんだから」。ベッドのなかでゆっくり悠然と伸びをして、脚をまっすぐ突きだして、強くなるのはちっともむずかしくはないのだと考える。「たいしたことじゃないの」とくり返す。「あなたがなにかをみつけて、またなくしてしまっても、気にしないでいい。明日またみつかるわよ」。腕を頭の下において横をむくと、すこし暖かさが戻ってくる。「そう」と彼女は答える。「もちろん、わたしだって怖いわよ。そうね、明日また電話をして」。ふたりはおやすみの挨拶を交わし、彼女は電話のコードを抜いて眠った。
 翌朝の七時頃、風がやんで雪が街に落ちてきて、街路にも屋根にも彼女の寝室にも降りつもる。彼女がめざめると、寝室はどこまでも白く、素晴らしく美しかった。
(『トーベ・ヤンソン短編集』冨原眞弓編訳、講談社、2005、pp. 138。)

ここで物語は終わりです。電話の相手のことは作中で語られないので、電話の話題はわかりません。わからないからこそ、「あなたがなにかをみつけて、またなくしてしまっても、気にしないでいい。明日またみつかるわよ」という台詞がまっすぐ自分に向かってくるように感じました。

私に直接関わることではありませんが、人を責めて傷つける言葉を目にして悲しくなっていたので、余計に染みました。ちょっと、この気持ちは自分でも整理がついていないのですが…。自分の後悔は前向きに捉えたいし、他人の言動に対しても建設的に向き合いたいと、漠然と思っています。

(私がいままでうまくできていたわけではありません。)

ちょっと暗い気持ちいる時にこの反対側あたりにあるような場面も思い出しました。

『ムーミン谷の彗星』で、スノークのおじょうさんが何度もタコからムーミントロールを救ってあげたいと言うところです。過去の投稿でも触れました。↓

偶然にムーミントロールを助けることができた経験は、うれしくも誇らしくもあり、わくわくしたことと思います。そんなできごとなら何度も起こればいいという素直なスノークのおじょうさん。やっぱり大好きだと改めて思いました。

いつも、ヤンソンの作品には元気づけられます。



「嵐」が収録されている本『聴く女』『トーベ・ヤンソン短篇集』

『ムーミン谷の彗星』


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