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ムーミンが私を魅了し続けてやまないことに、なんだか悩んでしまっている。

先週、「トーベ・ヤンソンがムーミンだけじゃないのはわかっているけど、卒論も修論もムーミンになった話」と題しての研究テーマがムーミンであり続けている経緯を振り返りました。

今週も、相変わらずトーベ・ヤンソンの本と私との関係をぐるぐる考える時間を過ごしていました。

以前、「ムーミンを研究対象に始めたきっかけ」を書きました。『ムーミン谷の仲間たち』を読み、私にとっては片手間で向きあえるような作品群ではないことに気が付いて、卒論で扱うことにしました

そして先週書いた通り、大学院ではヤンソンのムーミン以後も視野に入れながらも、ムーミンの物語と真剣に向き合った結果、やはり修論ではムーミンの小説を主に扱うことになったのでした。ヤンソンの文学作品の全体像に迫りたいのですが、なかなか進めずにいます。簡単ではないからこそ、やりがいがあるのですが。

さて、今年3月に翻訳が出たトーベ・ヤンソンの自選短編集『メッセージ』をいま少しずつ読んでいますが、この本のまえがきを読んで悩みが増しています。ここで評論家のフィリップ・テイル氏はヤンソンの文学作品について以下のように述べています。

トーベ・ヤンソンをムーミンの作者としか見ていない人がいるなら、ちょっともったいないと思う。確かに順からいうと、ムーミンと呼ばれるトロールのほうが大人向けの小説よりも先に誕生はしているけれど。それでも、長編小説や短編小説を読まずして、トーベ・ヤンソンを読んだとは言えないと思う。本当の意味で、読んだとは。
トーベ・ヤンソン『メッセージ』p.6(久山葉子訳)

トーベ・ヤンソンをムーミンの作者としか見ていない人がいるなら、ちょっともったいない」という点、同意します。「長編小説や短編小説を読まずして、トーベ・ヤンソンを読んだとは言えない」というのもその通りです。ヤンソンのムーミンでない長編・短編は、さまざまな人間関係を描いていてとても面白いです。私はまだ翻訳でしか読んでいないですが、原文で読んだらきっともっと面白いんだろうと思います。

そうなのですが、これを否定するわけではなく、でも、ムーミンの作者と見てもヤンソンは偉大だと思うのです(声小さめ)。

私はムーミンとそれ以後の大人向けの小説は緩やかな関連があると考えていて、完全に分けてとらえてはいないので、二項対立で言いたくはないですが、

ムーミンを読むのだって結構大変!!ムーミンはすごい!!

ムーミンの原文は少ししか読んでいませんがそう簡単ではないですし、翻訳で読んでもその奥深さの一端はわかると思います。非常にざっくり言えば、登場人物の言動は単純ではないので随所で考えさせられます。

ムーミンを真剣に読もうと取り掛かると、膨大で果てしなく深い魅力が私を離しません。考えても考えても、まだまだ考えたいことが尽きません。

とりとめのない脳内の吐露になってしまいました。研究者の卵である院生から身を引いてしまったからなのか、、あんまり強いことを考えたり言ったりはしなくなりました。私はトーベ・ヤンソンを原文で全部読みたいですが、好きで読むなら好きな本を好きな時に好きなだけ読みたいし、人にすすめるときも好きな本を読んだら良いと言うと思います。全部読んだ方が楽しいけど、人それぞれの読み方があるので。

ムーミンに引き寄せられるがままに何度でもいつまでも読みまくりたいですが、私は、議論を先に進めたいので、その道筋も考えなくてはならないと、今週は何の結論もないですが、そんなことを思いました。


なお、『メッセージ』の原書”Meddelande”は1998年に刊行されていて、上野の国際子ども図書館に所蔵があります。

まえがきはトーベ・ヤンソン生誕100周年の2014年に刊行された版に掲載されたもので、私はまえがきの原文はまだ見たことがありません。2019年にフィンランドに行った時に探して買っておけばよかったと反省しています。


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