ムーミンママのエプロンについて
ムーミンママといえば、赤白ストライプのエプロンと黒いハンドバッグが思い浮かびます。見慣れてしまって何とも思っていませんでしたが、家事をするときのエプロンを身に着け、お出かけ用のバッグを持っているのは変ではないかと友人から指摘を受け、率直に、確かに変だと思いました。今回はムーミンママがエプロンを付け始めた経緯をまとめてみることにします。
最初はバッグだけ
ムーミントロール、ムーミンママ、ムーミンパパがみんな何も身に着けたり持ったりしていなければ、区別がつきません。アニメなどでは少し色が違うことがありますが、本の挿絵は白黒です。また、大きさが少し違うかもしれませんが、単体で描かれると誰かわかりません。
1作目『小さなトロールと大きな洪水』、2作目『ムーミン谷の彗星』、3作目『たのしいムーミン一家』、4作目『ムーミンパパの思い出』では、ムーミンママはバッグを持っていますがエプロンをしていませんので、ムーミンママを見分けるポイントはバッグです。
『小さなトロールと大きな洪水』では、ママのバッグには靴下や薬など必要なものが入っていて、単なる持ち物ではなく、物語の進行でも大事な役割があります。
『ムーミン谷の夏まつり』の1ページ目からエプロンをしている!
5作目『ムーミン谷の夏まつり』の第一章の最初のページには、ムーミンママとミムラねえさんが座っている挿絵があります(とても可愛い)。このノートの絵です(残念ながら販売終了)。
ムーミンママがエプロンを身に着け始めた理由
冨原眞弓 著『ムーミンのふたつの顔』にママのエプロン(とパパの帽子)に関する記述を見つけました。
まず、エプロンの登場前後のできごとを並べます。
1950年 『ムーミンパパの思い出』
1952年 『それからどうなるの?』(ママ登場するもエプロンなし)
1952年 イギリスの新聞「イブニングニューズ」でのムーミン漫画の連載が決まる
1954年 『ムーミン谷の夏まつり』(ママ時々エプロン)
結論から言うと、ムーミンママのエプロンは漫画の連載がきっかけとなっているようです。
芬英協会(Finish British Society)で英語を教えていたイギリス人、エリザベス・ポーチが『たのしいムーミン一家』を英訳し、さらにトーベ・ヤンソンのアトリエを借りたケネス・グリーンがイギリスの出版社にこの英訳を売り込み、1950年に英訳版『たのしいムーミン一家』が刊行されました。翌年には、『ムーミン谷の彗星』も刊行されています。この成功により、イギリスの夕刊紙「イブニン・グニューズ」への漫画連載が決まりました。
企画社のサットン氏は漫画でのムーミンたちについて、以下のように考えていました。
小説には文章があるので、挿絵は多少わかりにくくても、大筋にさほど大きな支障をきたさない。これが文字数のかぎられた連載漫画では問題になる(中略)。だれがだれか判然とせず、読者が混乱する。とすれば、視覚的にわかりやすい区別を設けるべきではないか。(『ムーミンのふたつの顔』p. 39)
そしてヤンソンに提案しました。
ひとつだけ助言を与えることができるとすれば、ムーミンママをもうしこし明確に押し出せないかということです。ハンドバッグだけでは不充分な気がします。たとえばエプロンかなにかを着用させるのも一考でしょう。そうすればムーミンママを、シルクハットを小粋にかぶったムーミンパパと心おどるアダムの衣装をまとった〔すっぱだかの〕ムーミントロールと区別するのが、これまでよりも容易になるでしょう。(『ムーミンのふたつの顔』p. 39)
こうして、ムーミンママはエプロンを、ムーミンパパはシルクハットを身に着けるようになりました。この後に刊行される小説『ムーミン谷の仲間たち』や『ムーミンパパ海へいく』では、ママはエプロン・パパは帽子を身に着けています。
イギリスのムーミン受容
問題提起をくれた友人のために、イギリスでのムーミン需要についての冨原氏の見解も記載しておきます。ヤンソンはフィンランド人ですが母語はスウェーデン語で(スウェーデン語系フィンランド人と呼びます)著書の言語もスウェーデン語であることを先に補足します。
1950年代のイギリスで、フィンランドやスウェーデンに先駆けてムーミントロールの物語がひろく受容されたのは事実である。架空の存在であるムーミンたちにエキゾチック(だが充分にリアル)なフィンランドという国名を冠することで、イギリスの読者にとってなじみやすいものにする戦略が成功したせいなのか。あるいはまた、北欧神話に造詣の深いイギリス人作家J-R・R・トールキンの『ホビットの冒険』(1937)のおかげというべきか。ちなみに、『ホビットの冒険』が四半世紀後にスウェーデン語で出版されたとき、挿絵を描いたのはヤンソンである。
さらに、ムーミンシリーズの英訳が出始めたころ、C・S・ルイスの「ナルニア国物語」第一作『ライオンと魔女』(1950)、メアリー・ノートンの『床下の小人たち』(1952)、アン・フィリッパ・ピアスの『トムは真夜中の庭で』(1958)があいついで刊行されている。いずれもイギリスのお家芸というべきファンタジー文学の傑作だ。日常性と非日常性のはざまでゆれる空間や時間の神秘をめぐって、あるいはさりげなく繊細な筆致で、ときにユーモアをたたえて生き生きと描かれる。こうした脈絡のなかで、ムーミン受容をうながす土壌が育まれてきたのだろう。(『ムーミンのふたつの顔』pp. 23-24)
1冊の本の一部分のみ参照した回でした。冨原氏の本はとても情報量が多く切り口が鋭いので勉強になります。とはいえ私の見方とはちょっと違うかな、と思う部分もあります。
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