株価・物価情報 6・12(金)

日経平均株価            主要物価指標(OKストア店頭)  

今日の終値   22,305円     -167円      卵   5/1   180     5/31    180    

今後の展望 17,000円~15,500円   牛乳  5/1   240  同上   240  

                  バター  5/1  387  同上     387 

(注) 卵と牛乳は中等品を採用した。バターは価格が統一されている。

【株価の動向】株価と実体経済の乖離が顕著です。油断なく身構えて。暴落の予感。(投資は自己責任でお願いします。)

【商品、欠品と品薄】品物によらず、品切れ・品薄が目立つ状態です。特に小麦粉および小麦粉使用製品が顕著。スパゲティー入荷。

AIに勝つ 「理外の理」で戦おう

 クリムト、ムンクはAIには決して描けない。

 モーツアルトはAIには決して作れない。

 ドストエフスキーは決してAIには書けない。

 何故か AIは「理の極致」だから。

 世紀末ウイーンを代表する画家クリムト。そのクリムトがウイーン中の絶賛を浴びていた時、ウイーンの男子浮浪者収容所に一人の若者が入ってきた。季節は冬であったが、若者はオーバーも着ていなかった。貧しい画学生で、有り金も使い果たし、その日のパンとベッドを求めて浮浪者収容所にたどり着いたのだ。

「その日、収容所のあっしのベッドのとなりに一人の若者が腰を下ろしました。冬なのにオーバーも着ておらず、どうしたんだ、と聞くと虫干しのために外に掛けていると答えました。身なりは貧しく、あっしが職業はなんだと聞くと画家だと答えました。ただ、そのらんらんと光る眼は只者ではないと思わせました。それがヒトラーだったのです。」(コンラッド・ハイデン「総統」)

 貧乏画学生アドルフに、人気絶頂のクリムトはどう映っていたのだろう。それを推察する展覧会がナチス治下のドイツ中で開かれた。展覧会の名は「退廃芸術展」。その展覧会を何の謂れか、私河野岩二郎は20年ほど前、鎌倉でお目にかかることになった。「退廃芸術展」と銘打たれた展覧会はディレッタントであるわたしにとっても興味をひくものだった。

 ヒトラーにとって、真っ先に否定しなければならない存在、それがクリムトだった。クリムトのかざす前衛芸術をヒトラーは嫌悪した。なぜか、それはヒトラーという男は徹底した、骨の髄まで理性的な人間で、少しでも理性に悖る行動をとる人間を軽蔑した。クリムトは代表的な軽蔑の対象だった。

 さて、読者の皆さん。もうお気づきでしょう。現代のAIは理性を代表する存在です。「理性」を発揮する場面ではAIに叶うものはありません。逆にAIは理性的な説明のできない存在は拒否します。ここです。ここが、これからの社会で人間がAIに打ち勝つ鍵が隠されています。

 「理性、必ずしも無敵ならず、です。」 あのヒトラーの時代、非理性的な代表人物は誰でしょう。それは英国首相ウインストン・チャーチルです。チャーチルという男はやることなすこと滅茶苦茶、出鱈目の性格破綻者で、彼を知る誰もが「あいつは精神分裂病患者だ」と陰口を叩いていました。でも結果はどうでしょう。勝ったのはチャーチルの方でした。

 理性的な人間はトータラークリーク(総力戦)では、その強みが発揮できない。緻密な分析と的確な判断と果断な実行力、それらを巧みに組み合わせた作戦では驚くほどの見事な成果を上げます。ドイツの西方電撃戦や初期の独ソ戦ではヒトラーの作戦は世界を驚嘆させたのです。しかし、戦場にいるのは生身の人間で、AIロボットではないのです。

 AIロボットには「理外の理」という概念は理解できない。ここがAIロボット(汎用型AIロボットという疑似かつ超人的ロボット)の決定的弱点です。人間社会は文頭に挙げた芸術分野、つまり絵画、音楽、小説といった分野ばかりでなく、人間社会の隅々にまで「理外の理」が埋め込まれています。

 ただ、現実の社会、たとえば学校ではどうでしょう。そこに「理外の理」があるでしょうか。もし、学校で「理外の理」を説けば、レールを外れた奴、問題児として排除されてしまうでしょう。日本の学校などではとくにこの傾向が強い。理性的人間を製造するのが学校の役目だと思い込んでいるのが現実です。

 AIにとって、理性的人間ほど扱いやすい存在はない。こと「理性」にかけてはAIは人間の千倍、いや万倍の能力を持っているのです。AIにかかれば「理性的人間」などイチコロです。「理性的人間」はAIに取り込まれ、その奴隷として生きてゆくことになるでしょう。ホーキング博士はAIの脅威を訴え続けました。ホーキング博士は優れた物理学者でしたから、つまり典型的「理性人間」でした。だからこそAIの脅威を敏感に受け止めていたのでしょう。

 しかし、「理外の理」を人間存在のモットーとすれば、AIの脅威は左程とは感じないでしょう。そのエリアにはAIは入り込めないのですから。これからのAI社会において、人間がAIと渡り合っていくには、これしかない。「理外の理」を主張する人間の前では、AIは沈黙するしかないのです。


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