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17歳のわたしへの処方箋

この秋、母校で医療系志望の生徒さん向けに講義をする機会をいただいた。
田舎の進学校でよくも悪くも古さの残る伝統校と言える高校だった。わたしは友達も少なかったし、実家のある地域と高校の所在地がかなり離れていたこともあり、卒業後初めての接触だった。
たまたま仕事の異動で母校の土地に戻ってきて、伝手をたどっていただいた機会である。来年度からはまた異動になる予定なのと、そもそも転職を考えているので、講義自体は毎年行われている枠らしいけれど、わたしがそこに立つのは最初で最後だと思う。

最近の高校生を取り巻く環境はわたしの頃とは全く違う。
インターネットにより情報量は信じられないほど増えているはずだ。
そしてコロナで生活は一変した。
わたしの頃の常識は今の非常識かもしれない。
新しい情報を提供できるとも思えない。

それに加えてわたしは今も昔も変わり種で通っており、万人に受け後進の参考になるような経験談がない。
精神的な未熟さをずっと抱えて生きてきているので、わたしの今の精神年齢がやっと大学生ぐらいな気がする。何か伝えようとしても「そんなこと知ってるよーwww」と一蹴されそうだ。怖い。

そうは言っても受けてしまった仕事なので、今の聡明な高校生には収穫は少ないかもしれないけれど、精神の未熟さにまだ気づかず、それでいて未来に希望を持てなかった17歳の頃のわたしに向けて、話を組み立てようと思う。

講義で押さえるべきポイント

  • 過去の暴露大会にしない

無限の可能性を持つ若者に自分の過去を暴露したところで仕方がない。
「自分は残念ながらできなかったけど、こうしたらいいと思う」のスタンスで伝える。年は取っているが経験値は浅いので、経験から語れるほどの人間ではない。

  • 前向きなまとめにする

当時のわたしは17歳になることが怖かった。18歳になることはもっと怖かった。歳を取ることに異常に抵抗があった。誕生日なんてちっとも嬉しくなかった。人生のお先は真っ暗だと思っていた。

でも皆さんにはそんなふうに思ってほしくないのだ。ただただ、皆さんのこれから先の長い人生を笑って過ごしてほしいのだ。
後悔を連ねるのは簡単だが、聞く側はたまらない。中身の薄い講義になるので、せめて前向きな言葉を並べて耳障りをよくしたい(中身の充実は困難)。

伝えたい主題

  • 自分の価値を高めよう

  • 自分の未来の時間を大切にしよう

  • 自分の努力を信じよう。大丈夫、それだけの努力は積んできた。

それでは講義を始めてみよう。

自分の価値を高めよう

これから社会に出ていくと、びっくりするぐらいいろいろな人がいる。
そんな社会の荒波の中で自分が果たす役割は何なのか?てかそんなものある?いる意味ある?自分の存在価値って何?って疑問(というか疑念)がわくことがある。でもそれらを抱えたままずっとは過ごしてほしくない。なぜならわたしがそうで、それはあんまり気分が上がらないからだ。

存在価値はどこに宿るのか。

やはり、「この人がいないと困る!」と周囲に思われるところだと思う。それはつまり、「○○先生にしかできない手術」「神の手」「スーパードクター」みたいな人もいるけれど、それだけじゃない。自分の専門分野について自信を持って「これなら任せてください!」と言える人。そしてその仕事を責任を持って遂行する人。
そんなふうに何らかの強みを持っていることに、価値が宿るように思う。
そしてその強みを獲得するのは、努力を続け、勉強を継続し、常にアップデートをしていく人なんだと思う。
取った資格に価値が宿るのではなく(もちろんそのために積んだ努力は無駄ではないが)、その資格を活かして誰かに還元していくその行為に価値が生まれるのだと思う。

これは別に医学に限ったことではない。あなたの強みはなんだろう。すでに持っている強みもあるだろうし、これから獲得していく強みもあるはずだ。

わたしたちが取り扱う人体そして人生は本当に複雑で多様でそして神秘的で、ありとあらゆる方面に掘り下げるフロンティアを持つ学問が存在し、実は誰も踏み込んでいない未開の地だってあると思うのだ。
もしわたしたちと同じ学問に興味を持ってくれているのであれば、いつかその力を貸してほしい。

未来の時間を大切にしよう

わたしが何よりも悔いているのは、自分の将来を担保にして奨学金を借りたことだ。

高校を卒業した先はどんな進路でも生活がかなり変わることが多い。
テーマと課題図書と文字数、書式がすべて定まった読書感想文を提出期限までにと書いていたのが、何もない空間に3Dで思うように作品を作ってくれと言われるようなものだ(この例えは微妙だ…)。
楽しみ?そのほうがいい?わくわく?
ポジティブに思えたらそのままでいいし、不安に思うのも当然だと思う。
わたしが自分の未来を信じられず、暗いものだと思っていたのは不安からきていたようにも思う。
提出期限はないから、ゆっくり自分のペースで形作っていけば大丈夫。
今は真っ白でもぼんやりでもちょっと暗くてもいいので、貶めたり、あきらめたりだけはしないでほしい。必ず光が差すときがやってくるから。
「どうせ…」で始まる文章で作品の下書きを書かないでほしい。その言葉は不当にあなたと未来の価値を下げる。作品の枠を小さく醜く狭めてしまう。

あなたの未来はあなただけのもので、ほかの誰にも邪魔されたり、制限されたりしていいはずがないのだ。お金を借りるならお金で返そう(奨学金を踏み倒す署名活動には大反対。借りたものは返す、小学生でも分かることだ、って半沢直樹が言ってる。それはまた別の機会に)。

未来の価値を現在から勝手に見積もるな。未来の価値を決めるのは、日々この一瞬一瞬に積み上げていく努力とその結果なのだから。

自分の努力を信じよう

努力を積んだら最後は信じよう。というか、信じられるだけの努力を積もう。これは未来を信じることにもなるし、未来を信じているからこそできるとも言える。

「こうしたいな」「やってみたいな」
前向きな動機付けはびっくりするぐらいの推進力を持つ。学生時代はそれほど成績が良いようには見えなかった人たちが、働き出してからやりたいこと・専門のことに目の色を変えて取り組み始める姿をたくさん見てきた。
そしてその結果、みんなそれぞれの分野で大活躍している。
推進力があれば、たとえうまくいかなくても、また軌道修正が必要になっても、少しづつでも前に進んでいけるのだ。

逆に「仕方なく」「どうせ自分にはできないから」と消極的な動機付けはすぐにガス欠になる。わたしはこちらだった。同級生に置いて行かれ、後輩たちに追い抜かれ、それでもなお消極的に逃げ続け、結局何事も達成できないまま多くの時間を無駄にしてきたと実感している。

30歳になるわたしが今から未来を大切にできるのか

軌道修正はもちろんどこからでも可能だ。わたしがこれからそれを証明したいと思っている。
「遠回りしたけど大丈夫だったよ」と言えるようになりたい。

あとがき的なもの(講義には含まない)

17歳のわたしへ。
18歳になってすぐのあなたの決断は、その後10年以上もわたしを苦しめることになりました。
なぜ模試の判定が少し悪かっただけで諦めたのか、なぜ直前に考えることを放棄したのか、そもそもなぜ自分のやりたいことは何かを一度じっくり考える時間を持たなかったのか。そしてなぜ試験当日、合格しようと必死に面接を受けたのか。いっそ落ちていればやり直せたのに…。

ずっと悔やんでいました。
しかし、18歳の判断だけを責められるものではありません。19歳になっても成人しても、わたしは自分の未来を諦めたままで、少しでも改善させようという努力すら放棄していました。
どうにか奨学金を途中で辞退できないか。負債額を減らす方法はないのか。自分がやりたいと思えることは何なのか。現状を変えるには何をすべきなのか。どんな努力ができるのか。

18歳の自分を責めるだけでは何歳になっても思考はその時のままです。
あなたの精神年齢はこれまでほとんど成長を見せませんでした。
現在だって結局20歳や22歳の自分を責め、後悔するだけでは同じことなのです。

今回この講義のお話をいただき、精神的に未熟な自分が、賢明で未来ある若者たちに何を伝えることができるのか。考えた結果こうなりました。
これは17歳の自分に宛てた処方箋であると同時に、現在も有効なのです。

17歳のわたしにはもうこの処方箋は届けられませんが、今なら薬局にも取りに行けるし内服も開始できる。早期発見ではないけれどまだ手遅れでもないのです。

参考文献

ワークシートを自作して取り組むぐらいには論理的で体系的で本当にわかりやすかった。ちょっと根気がいるけど、休日の昼下がりなど集中力が抜けやすい時間帯の息抜きにいかがでしょうか。

参考文献に挙げておきながらまだ読破してないというズボラさ。TEDで唯一スピーチを最後まで聞いたのが植松さんのスピーチだった。本を読むのが難しければTEDを見るのでもいいと思う。アラサーが読むと自分よりも自分の子どもにこんな風に育ってほしいと思ってしまう。子どもいないけど。


後日談

この内容をベースに原稿を組み立てたが、論理がとびとびでまとまらず、叩いてくっつけて伸ばしてまとめるなどとお団子づくりみたいな作業で原稿を作成した。
査読に出したら「スピリチュアルな内容だけどまあいいんじゃない」という感想と言葉遣いに関する訂正をいただいた。当日は宗教家の気分で講義をした。

原稿をまとめなおした後にこちらも併せて直すつもりだったけど、思いつくままに書き殴った内容はそれはそれで言いたいことを表してはいるので、このまま置いておく。「文章」と「スライド+喋り」で項目の順序が変わるのもそぎ落とされる点があるのも当然なのだ。


ヘッダー画像はAIお絵描きサイト"Craiyon"で描いていただいた

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