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ピエロの涙は誰が拭く カリスマ93話

せっかく半ドンで帰れたのになんだかんだ今日も深夜までかかってしまった〜……ということで今週も今週とて正子スタートの木曜日。
正午更新の『カリスマ』第93話を観ます。

観ます。

観ますよ?(ビビっている)


いや……だって……前回の引きが不穏すぎて……
そんな……ギャグのつもりで観てて……そんな……
つまりは今年4月(『常識人ライフ』)の再放送なんですけど……

↑ (4月のその後はこちらに詳しい)

そんなわけで深夜にもかかわらず足踏みしまくりのわたしは、とりあえず茶でも一服、のノリでとりあえず須田景凪を一服しました。

4月はおいしくるメロンパン『look at the sea』をキメて心を落ち着かせていたのでそれと同じ感じです。
そう、でもね、正気を保っている点として、こういうときに聴く曲はあくまでも精神統一のためのものだと自覚しているんですよ。別にこういう展開を期待しているわけではない。今の心象に近いもので興奮を中和する、それだけの効能だと。

2回聴いてようやく心が鎮まったので、前回の話を聴き直してから最新話を聴きました。

聞いてください。

veilでした。(あっ! オタクの妄言だ!)

宙に舞った言葉じゃ
あなたを救えないのだろう


カリスマ第93話(2ndシーズン第19話)『ハロウィン』の感想noteです。
(ブログとはそういうものですが)書き手の主観、妄想が多分に含まれているのでご了承ください。


『ハロウィン』ってタイトルのくせにハロウィン当日やないやないか! ハロパ始まっちゃったのかと思ってドキドキしちゃった。別の方向のドキドキが無限にあったけども

セカンドのテラくんはっちゃけてるな〜と思ったけど今回自分の気持ちを押し殺して欠席を伝える声がわたしが通常彼の声だと思っているものにどんぴしゃりだった これがまず一つです

これさあ、これファーストのテラくんが「仮面」かぶってたってことなの!? じゃあ元気なテラくんのほうがより本心に近いってこと? 彼はなにかを隠すときにその声を使うの?

あの……さっぱりした声なんですよ。さらっと言っちゃう感じ。イベントMCの大河さんの声ってまさにそれなんですが。少なくともファーストシーズン聞き流しの段階ではそっち寄りに聞こえていて。でもセカンドではそれよりも子供っぽいというか、甘えているというか、濃度大きめというか。でも今回は違った。
それってさ……え? 声優さんってすごいな。一生分の「声優さんってすごいな」をこの作品関連で学んできているけどこれは……本当に?

それ踏まえると『LOVE MYSELF』の歌詞って……?

英語よわよわなので間違ってるかもしれない


モノローグ入るんだあ……ここでモノローグしちゃうんだあ……というかこれ、これ、これ!!!
この作品にはこういうポテンシャルがあると思っていたんです……!!!

なにがって、叙述トリックですよ。
シュレディンガーの猫タイプ。ワンピースで言ったらエースとかウタとか、つまりは「描いてない/言ってないだけで実はあった/そうだったやつ」。ワンピは別に強い意図はないけど、意表を突く展開にしたという点は叙述トリックと言っていいと思う
不連続的な日常のモザイク(断片)でできてる作品だからそりゃできるのよ。できるとは思ってたけど、本当にやってくれるとは思わなかった。物語のロジックが大大大好きな人間なのでこれはもう人生の御褒美としか言いようがないです(ちゃんと考えましょうね)

主に推理小説などで、先入観などを利用し、読者を誤った解釈に導くことを意味する語。
例として、人物の性別や年齢、時系列や場所などに関して、文章中で重要な情報を巧みに隠匿することにより、読者を欺くことが行われている。

weblio辞書「叙述トリック」より

夜、たまに一人でどこかへ出かけていく。
なにをしているのか、誰と会っているのか、わからない。その後は決まって一人になりたがることが多い。

カリスマ第93話『ハロウィン』より

この箇所のことです。

あの……彼、秘密主義者じゃないですか……これって視聴者もその感覚を追体験するわけですよね。秘密主義者はその秘密の存在すら悟られないようにするのがうまいんですよ。だから周りから見れば完璧にも見える、天才奇才にも見える、とにかくなんらかの抜きん出た変わり者として「一側面の決まった評価」をされやすいんですよね。

でもそれゆえに、本人からしてみればなにもわかってもらえない。苦しみ悩みの存在すら知らない人の中で暮らしている。例えなにか伝えたとしても、「でも君なら大丈夫だよ!(君のような天才が僕ら凡才の次元で苦しみを語るなよ)」と受け流されてしまう。
だから孤独になる。

孤高の天才とか言うけど、あれは好きで孤高やってるんじゃなくて、独りじゃなきゃ他人を傷つけるか、もしくは自分が傷つくかするからディスタンス取ってるだけだからね。もう誰も信じられないんだよ。信用できる人は、自分しかいないんだよ。(そこで自己肯定感が低いと別のフェーズに入ってしまうのですが) なんなら天才でもなんでもないよ。ふざけんなよ。

ごめんなさい自分語りなんですが、秘密主義者として本当に、本当にびっくりしていて、同時に一気に解像度が上がって、また醜い同一視だけれど、本当に、本当にその立場わかる……。
そうなるともうお道化に走るんだよね。明るく面白くいようと。お望み通りのすごい人でいようと。わたしはそこでパブリックイメージを固めようとはしなかったけどテラくんはたぶんやってるから……そのイメージに合わないことは見せない、隠す。

「隠す」って行為は面白くて、ただ隠すだけで、存在を「ない」かのように見せることができるんですよね。それ自体は確かに存在していて、存在自体には影響を及ぼしていないのに。でも目を閉じれば真っ暗になって、あるかないかはわからなくなる。

存在するとは知覚されることである。

ジョージ・バークリー
(※厳密にはちょっと異なる内容)

わたしたちに対し、それは隠されていた。だから「ない」ものだと思っていた。彼の秘密主義にまんまと引っかかったわけです。彼を外部から眺める人間として、彼の作った「完璧」のパブリックイメージをなぞることしかできなかったし、その向こう側を考えもしなかった。考えた人もいるはず、でも考えることを拒んだ人もいるでしょう。それはその「イメージ」を崩すものを受け入れがたいと思ったからじゃないかな……と思います。

あっちもそう思ってる。そう思ったから隠していた。これをどう思う?

さっきわたし「お道化」って言いました?
そう、お道化。そうなると彼はお道化がとても上手いことになります。ヘルブレのnoteで大瀬と『人間失格』の葉蔵の比較をちょろっとしましたがこれはもしかして葉蔵案件でしょうか。(葉蔵案件……?)
自分を偽る能力については、そういうことになるもんね……。

まあ実際その方向(「お道化」担当)だとふみやかな……と思ってたけどそれって本当か? ふみやは別に偽ってきたわけじゃないし……いや、大人というパブリックイメージに合わせてきたのは確かかもしれない。う〜ん、テンション感が違うからどうも比較しづらい。
まあ今回はテラくんの話ゆえにテラくんにそういうところを感じやすいです。あとそれでお道化っぽいのは、依央利。こちらは個人のパブリックイメージではなく「まっとうな人間」という「常識」のイメージに寄せようという努力。これもまあ、自らを隠す行為としては並べられるかも。

……でも「お道化」が持つファニーで哀しい響きにはテラくんがいちばん似合う、のかもしれない。
仮面劇の哀しさに似ている。ピエロのフェイスメイクにも涙があるし。

わたしたちはこれまで彼のことを「神様みたいないい子」として見てきたけれど……それは彼にとって苦痛極まりないものだったのかもしれない……とはいえ彼は褒められることを苦痛としていないのでそれはそれで嬉しいか。
いや、そういうところからも養分を得ないと駄目だったのかも。ああもうわからん。われわれはもはや彼についてなんの情報も持ちえないのかもしれない……。

「私たちの知っている葉ちゃんは、とても素直で、よく気がきいて、あれでお酒さえ飲まなければ、いいえ、飲んでも、
……神様みたいないい子でした

太宰治『人間失格』青空文庫より(一部強調)

視聴者と彼らの間には明確な情報量の差がある。
彼らは四六時中一緒に暮らしているけれど、わたしたちには長くとも10〜15分程度の情報しか与えられない。それも切り抜きだったりハイライト集だったりするのかもしれない。というかほぼそう。「ストーリーの進行」を妨げなければどこを切り抜いてもいいわけで。
われわれは割と「統制された」情報しか見ていない。彼が秘密主義者であることはほんのりとは香っていましたが、まさかこれほどとは、という人が多いのでは。対して彼らは隠されたなにかの存在をほぼ確信していた――それは24/7をともに過ごすゆえのこと……

あとこれは絶対に言いたい 今回大瀬がすごくすごくがんばっててはじめてのおつかいを見ている大人の気分になりました(なんちゅう気分になっとるんじゃ!!!)。

「気づき」の役割を与えられているぶん、そして人の痛みに深く寄り添えるぶん、なにもしないでいることはできなかった。
その相手が依央利もしくはふみやであればもっと大胆にいけたんだろうけど、相手は自分を認めてくれた存在、天上の存在なわけで、そんな人に意見するのはすごくすごく勇気がいることで。しかも話を聞いたとて自分がなにかできるとは限らない。できないことのほうが多い。

でも言った。53話で「なにもできない、なにもしない」ことについて嘆いていたけど今回は「できなくても した」。リターンはなくてもいい、ただ話を聞いてもらえるだけでいい。とにかくここに言ってみてよ、自分以外にもたくさんいるから。どうにかなる、はず。 って。

……彼らって彼らの関係に安心しきっているからよく甘えたり背中を預けたりするわけだけど、これもひとつの甘えの形かも。でもそれが甘いのを知っているからか、秘密主義者の意地っ張りなところが出たか、彼はなにも言わなかったわけだね……。でも秘密の存在は確かに告げたわけだ。それだけ、彼も甘えているんだ。

テラくんが1日をどのように過ごし、どこまでを他人と暮らしているかをわたしたちはなにも知らない。彼らは嫌でもわかる。ひとつ屋根の下暮らすというのは、よきもわるきも知るということです。その中で明確に明かされないものがある、というのは同居人なら自ずと気になるもの。ただ彼のかぶった仮面はあまりに強力で、ゆえに彼らも秘密領域に踏み込むことははばかられた。でもその強力さに立ち向かったのが大瀬で、逆にその強力さを知らないがゆえに核心をつくことができたのが虎姫なんじゃないかと思います。
「たったそれだけ」のセリフを言うためにどのくらいのコストがかかったのか、両者を比べるとすごくわかる。無知はときに取り返しのつかないことを呼ぶが、ゆえになにをも恐れずに進むことができる。

もらっている以上に あげられるように

藍井エイル『シリウス』より

願わくは、彼の行く末が美しいものとなりますように。ハロウィンの夜、「ちょいビターな甘味処」で待ち合わせているのを忘れないように。


ところでハロウィンは悪霊のふりをする祭りでした。悪霊の中に混ざっても人間だとバレないようにするために。仮装、仮装なあ、いつもはなれないものになる無礼講、それでいて自分を守るもの。
プリンセス、なるのかな? プリンセスが正解なのかな? もしもそれ以外のなにかがあるとしたら……うん。野暮だからこれ以上はなにも言わないことにしておこう。



セカンド後半は秋冬シーズンの更新ということで、interな鬱の季節、さらにハードな展開が予想されますけども。しんしんと降り積もる雪の中、各人は一人きりになります。自らの心の奥深くに分け入っていく感覚。でも強い吹雪に見舞われたり、先を照らす明かりが消えてしまったりすると、行き着く先は命のかじかむ場所になります。底に引き込もうとする黒い手(自分自身)に抗い抗い、ああもう負けてしまう、と思ったときに、自分を冬の森から連れ出してくれる誰か(あるいはなにか)が存在してくれることはとてつもない救いです。
去年のわたしにとっては『カリスマ』がそれだったのでその節はお世話になりましたということで

とかく厳しい季節になりますが、彼らには彼ららしく、凛々しく生き抜いてほしいのです。


現時点で情報開示量が相当あるので、電話相手とか詳しい事情とかについては来週も明かされないかもしれませんね。明かされたら? そのときはみんなで墓を掘りましょう。

最後に一つ大事なことを……

LOVE MYSELF
最高

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