メモ・永六輔と河合寛次郎
作家の永六輔が学生時代、親交のあった陶芸家の河井寛次郎と共に、京都清水の坂を散歩していたときのこと。永青年がとある道具屋の店先に置かれた、小さな蕎麦猪口に目を留めた。
「ほう、いいねそれ」
視線の先に気付いた河井氏も褒める。名のある陶芸家に審美眼を見立てられれば、そりゃあ得意になるもの。
「いいでしょうこれ?」
「いくらだろうね?」
「僕は一万円でも買いますね」
本当は千円くらいだと踏んでいたが、得意になった気分も手伝って大きく出た。
「そうか、じゃ買ってきなさい。ここで待ってるから」
言われた永青年は店に入る。
「ごめんください、あそこにある蕎麦猪口はおいくらですか?」
「へぇ、五百円になります」
それは安いと喜び、永青年はすぐ買って戻る。
「買って来ました先生」
「いくらだったね?」
「五百円でした」
「そりゃあやすいね」
二人はそう言って歩き出す。と、すぐさま河井氏が足を止めた。
「まさか君、それで五百円払って来たんじゃないだろうね?」
「ええ、払いました」
「なぜ一万円払わない?」
永青年はわけがわからない。
「だって、五百円ですから…」
「君は一万円だと言ったじゃないか」
「でもお店は…」
「そういうことじゃない。君がその蕎麦猪口に一万円をつけたなら、なぜそれを通さない?自分の言葉に責任も持つべきだ。一万円払ってくるまで君とは口をきかん」
敬愛する氏に臍を曲げられてはかなわないと、永青年は道具屋に戻る。
「すみません、さっきの蕎麦猪口なんですが」
「はいなんでしょう?」
「一万円で買わせてください」
「…はい?」
「いや、ですからあと9500円で」
「あ、おつりがご入用で?」
「違うんですあの、この一万円で…」
「えー、あ、じゃあこちらもお付けしまして」
「いりませんいりません!」
と、コントのような悶着の後、押し付けるように一万円を払って戻ってきた。
「…払ってきました」
不服そうな永青年。対する河井氏は満足げな顔をしている。
「うんうん。それでいいんだ。君がそれに一万円もの値をつけたという事は、君がそれに負けたという事だ。負けた相手には礼を尽くさなきゃいけないよ」
永青年は悔し紛れに河合氏に聞いた。
「じゃあこの蕎麦猪口が十万円だと言われたらどうすればいいんです?」
河合氏はこともなげに答える。
「そうしたら一万円に負けてくれるまで、あそこに通って値切りなさい。君が決めた値段なんだから」
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