書評・声優魂

　コメディアンの萩本欽一氏は、後進育成に於いて「運」の要素を重視しているという。
　柳葉敏郎はオーディションが終わった直後、唯一電話がつながったことからデビューが決まり、見栄晴はじゃんけんで勝ち残った。しかもパーで。
　無論実力を蔑ろにしているわけではない。松居直美はひたすら猛練習させ、はしのえみは背が低いことを個性と認識できるよう教育した。
 そして最後に、そんな彼らの実力を拾ってくれる人との出会いを、運に託したのだ。

　近しい世界であるなら、成功の方法論も似ているのだろうか？否。あまりにも決定的な違いがその世界にはあり、故にこの男は強くこう言うのだ。声優だけはやめておけ、と。

　大塚明夫といえば、アニメ、ゲームファンにはお馴染みの大御所。スティーブン・セガールの猛る台詞回しや、ソリット・スネークの独白のような会話を思い出せる方も多かろう。
　本書は、声優生活30年を迎えた氏が、声優そのものをテーマに語った一冊である。
　長く第一線で戦ってきた男が、声優を目指す若者に向けた熱いメッセージが詰まっている……と思ってページをめくったならば、前書きだけで30発はパンチを食らうだろう。声優という職業……否、氏の言葉を借りれば『生き方』のつらさ、不安定さ、理不尽さ、弱さが、明け透けに書き連ねられている。
　その本気度は、目次を見ただけでもわかるだろう。

「声優になりたい」奴はバカである
ほとんどの声優はローンが組めない
才能無き声優は、大人の玩具になって終わる
ハイリスク・ローリターンの理不尽な博打
「いい声」なんて素人でも出せる
「生産社会」を諦めた人間の行き着く場所
「声づくり」なんぞに励むボンクラどもへ
「声優になりたいから声優学校へ」という勘違い
ちやほやされたいならそう言いなさい

　……はい、ここでHP半分削られた人は、一息ついてから読むように。
　とにかく、声優の世界に誘うような甘言や、そのベストな道筋を説くようなアドバイスはない。むしろ今、人生設計の片隅にでも声優という言葉がかかってくる人（漫画家やアニメスタッフなども含めよう）への、最大音量の警鐘が打ち鳴らされている。

　近年ではそういうこともあまりなくなったが、いわゆる興行の世界で、その舞台裏や苦労談を大写しにすることは、長く避けられてきた。アイドルは笑顔で歌って踊るのが当然だった。
　だが少し考えてみれば、あれだけの運動をこなしながら腹式呼吸で歌い、しかも笑顔を絶やさないなど、それだけでどれほど至難か想像できるだろう。そうなるための過酷なトレーニングとレッスンに耐え抜いてこそ獲得できる術を、芸能の世界は時に難なくやって見せなくてはならない。
　故に多くの若者が、その世界に憧れを抱き、中には「楽しく稼げそう」という誤解まで生んでしまう。
　声優もまた、多くの名作と一線を飾る名優たちに憧れる若者が多い世界だ。本書にはそんな若者たちが直面するであろう現実。虚飾も誇張もない、声優という特異な存在の現実が並べられている。
　圧倒的な競争倍率、少なすぎる準備期間、タイトなスケジュールと不安定な収入。研鑽に勤しんでも仕事が増えるわけでもなく、時には運に左右される理不尽な世界。

　読んでいる間、やはりというべきか、文章が氏の声で聞こえてくるわけだが、途中からその声が、氏の代表作にもなったゲーム『メタルギアソリッド』の、スネークの声に聞こえた。
　誰よりも戦場の現実を知ってしまった男。故に平和やヒロイズムに、どこか冷淡でさえある彼の言葉のように、この文章は刺さってくる。
　ここはお前が思うような場所じゃない。窮地を救うヒーローはいない。すべてを解決する奇跡も起きない。自分で踏み込み、自分で戦い、自分で死ぬしかない。お前には他に生きられる世界がある。俺たちは、そこで生きられなかっただけなんだ。

　憧れを抱くことは悪いことではない。だがその気持ちのままこの世界の門をくぐり、苛烈な現実に打ちのめされて去っていく人の背中も、氏は多く見たに違いあるまい。
　故に本書には、若者の甘い幻想を容赦なく打ち砕く言葉が並んでいる。ほとんどの声優志望者は、読み切る前に残り半分のHPを奪われ、夢破れているだろう。
　だがそんな中から、自分は声優になるためにこの世に在ると信じきっている国家資格級のロマンチストか、大河の砂礫の一粒に満たない確率で生まれた天才のように、微塵も信念を揺さぶられることなく読み切った者にのみ、最後のページの言葉が、深く強く届くだろう。

　曲げず飾らず欺かず、声優という生き方、大塚明夫という存在をそのまま書き連ねた、本当の声優読本。

　すべての声優志望者に読んでほしい。たとえそれで夢を諦めても、何かを失う前に思いとどまれたのなら、やはりあなたは運がいいのだ。

*****************************************************
「おもろかった」「またやってくれい」と思ったら投げ銭をお願いします
この下はなんも書いてありませんのであしからず