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劇評・虐殺器官


『2001年宇宙の旅』などで知られるSF作家、アーサー・C・クラークは、SF作品の3法則を示している。

・高名で年配の科学者が可能であるといった場合。その主張はほぼ間違いない。また不可能であるといった場合、その主張はほぼ間違っている。
・可能性の限界を計る唯一の方法は、不可能とされることまでやってみることである。
・十分に発達した科学技術は、魔法と見分けがつかない。

 最初の項目はSFあるあるといった趣だが、後の2項目はSF以外にも応用できそうに聞こえる。
 なるほど現代の科学技術は、二昔前ならば魔法と見分けがつかないものだろう。そのくらい常識はずれなものを登場させ、かつ魔法ではないのだと説得力を持たせるところに、SFの醍醐味があるのかもしれない。

 夭折のSF作家、伊藤計劃のデビュー作の映像化である。思わぬ艱難に見舞われ、一時は世にでることも危ぶまれたが、無事公開を迎えた。

 やや遠い現代。サラエヴォで起きた核テロ事件をきっかけに、世界に内戦とテロの嵐が吹き荒れた。先進国では安全保障の大義名分のもと、精密かつ厳格な個人情報管理体制が敷かれ、テロの脅威から一応は遠ざけられた。
 一方後進国では、内戦やそれに伴う虐殺行為が頻発するようになる。米情報軍はその渦中に、1人のアメリカ人言語学者の姿を捉える。
 ジョン・ポール。MITに学び、国家のPRを請け負う国際企業に勤めるエリート。この男の訪れた国と時期、そして大量虐殺が起きた国と時期は、探してくれと言わんばかりに整然と一致する。
 工作員クラウス・シェパードは、彼が最後に捕捉されたプラハへ渡る。そこで彼は、言葉と人間の恐るべき関係と、人間に隠された器官の存在を知る。地獄は、その器官が産んだものなのか……。

 原作者である伊藤計劃は、’07年にこの作品でデビューすると、ゼロ年代SFの最高傑作の名を縦にする。だがわずか2年後、肺癌により34歳という若さで逝去した。オリジナル長編はわずか3作。多くの同輩やファンは、悔やみきれないほどその死を悔やんだ。
 ’15年。フジテレビのアニメ枠『ノイタミナ』が手がける劇場アニメ計画の一環として、氏の長編3作品すべてを映像化するという『Project Itoh』が発足。
 先に公開された『屍者の帝国』『<harmony/>』の好評を受け、ファンの期待も最高潮にあった本作であったが、制作上の理由から幾度か公開が延期。その末、スタジオが製作中にもかかわらず破産申請し、製作が中断するという事態に見舞われる。
 しかし、プロデューサー以下多くのスタッフの熱意と尽力により、新たなスタジオを立ち上げてプロジェクトは復活。今年晴れて待望の劇場公開となった。

 私は先に原作を読んでいた。終始シェパードの一人称視点で語られるのに、一切無駄がなく飽きさせない展開は、見事というほかなかった。 
 また魔法と見分けがつかないテクノロジーも、説明をうまく挟んで描写され、テンポを崩さず理解しながら読み進められた。
 だが映像化するからには、言葉に頼りすぎずそれを説明せねばならない。しかも作中に登場するのはARや感覚調整といった、今尚魔法のような技術ばかり。スタッフは砕心したであろう。
 その甲斐はあったといってよい。今や誰も見たことないのにSFの常識になった(笑)光学迷彩はもとより、目薬のように目に直接さすARディスプレイや、人工筋肉を使ったメカ、ドローンや多脚歩行機械などの無人兵器群がわんさと出るものの、それらの用途やおおまかな仕組みを理解できる。
 R15+指定にまで踏み込んで挑戦した表現は、本作のタイトルでもある虐げや殺戮の模様を具に写し、見るものに叩きつける。殺し殺される世界の中心で、淡々と任務をこなすシェパードの目に、時折寒気を覚えるほどだ。
 そして、本作で最も魔法じみた技術。虐殺の王となったジョン・ポールが手にした、国家さえ殺す兵器。余りに身近で突飛なそれは、正に今世紀最初の傑作SFにふさわしいもの。映像化が困難すぎるそれにも果敢に挑み、見事完成されている。

 己の可能性の限界を知る遥か手前であっただろう若き作家。その命の業を受け継いだ人々の、限界への挑戦。それらを存分に堪能できる二時間。

 十分に完成された映像作品は、時折魔法と見分けがつかなくなる。


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