エチュード

 日向の匂いを感じることが多くなった。この文章を書いている今この時も、部屋の窓から陽光が差し込み、なんとなく日向の匂いが感じられる。
 窓から差し込む陽光はちょうど私の手の甲を照らす。この時期の、この時間帯の陽光(十五時)は、ふわぁっと温かい。その温かさには、学生時代の、初恋のあの人に、膝カックンされた時のような、得も言われぬ心地良さがあって、その忘れがたい心地良さに身を浸していたいあまり、私はここ最近、執拗に手の甲に陽光をあてている。私の体内で蠢いている、悪い念? のようなものを、陽光&あの人の膝カックンが浄化してくれている気がしてならないのだ。
 膝カックンされた時のことは今でも覚えている。
 あれは掃除の時間と、帰りの会の合間の出来事だった。
 放課後の部活に向け、水をカブカブ飲み、ジャージの袖で口元を拭いていた私の背後に、あの人がそぉーと忍び込み、膝カックンをお見舞いした。(これは補足だが、私は膝カックンされる前から、あの人が近くにいる事に気付いていた。なぜなら、あの人は、いい匂いがした。あの人に気付いた時点で私はあの人を意識し、鷹揚なクールな男を演じ始めていた)
 私はあの人の思惑通り、膝がカックンした。その瞬間、あの人は笑った。自意識が先行したクラスメイトどもの下品な笑い声とは一線を画す、とても、とても上品の笑い声だった。そして私が振り返ると、真直ぐ私を見つめ、あの人は言った。
「君はいつも不用心なんだよ、ボーっとしてないでもっと周りを見なよ」
 そう言ったあの人は、私の坊主頭を撫でた。坊主頭のシャリっとした感触をたしかめるような、温かい慈愛に満ちた撫で方だった。
 降り注ぐ陽光に照らされる我が手の甲をぼんやりと眺めていると、加齢のせいか、細かい皺が目に付く。それは加齢ではなく、ハンドクリームによるお手入れを怠っていたからだ、お手入れをすれば何の問題もない、そう思いたいところだが、残念ながらこれは加齢のせいだろうとなんとなく思う。あぁこうやって人間はだんだん老いていくのだろうなぁ、細かい皺を眺め、シミジミ思う。シミジミ思うついでに手の甲を鼻先に寄せる。陽光をたっぷり浴びた手の甲から日向の匂い、いや、あの人との思い出を嗅ぎとりたかった。しかし、私は嗅ぎとることができなかった。手の甲からはハンドクリームの匂いがした。

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