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何度めかのマツリノアトに

昨夜の帰り、猛烈な腹痛で参りました。
特に、悪いもの食べてないのに(笑)
あー、冷たい飲みものをたくさん飲んだかなとか。
確かにそうでしたが、腹痛のメタファーは怖れ。
消化不良のあれこれと、これからにビビっている。
  
きのうのネガティブ・ケイパビリティよろしく
根源的なかなしみやさみしさは、代えようがない。
不器用ながらもそれなりに折り合いをつけていて
次は、どうにか乗り越えて…と思ったけれども、
わたしにはかなり手強いと思い知らされた。
これからはそれを抱きしめて(embrace)いく。
  
2015年以後、特に、この3年間、
外したリミッターのさらなる限界を望んで
フルスロットルで前のめりでやってきたけれども、
それももうおしまい。情熱の炎は消しました。
ひと言でいうと《幻滅》したのです。
失望でなく幻滅。ガッカリしたんだった。
わたしは何かになりたかったわけでも、
何かを得たかったわけでもない。
ただ、違う景色が見たかっただけ、でした。
  
負けを認めなさい、と言われても
なおジタバタとここまできたけれども
とうとうここまでだったと悟る時期。
これ以上の無理は身を滅ぼす。
滅んでいいとも思っていたけどね。
  
数ヶ月前の、実にくだらない一件で、
心身ともにガタガタっと崩れてしまったおかげで
何人かの方々に助けていただき、
そして、自分にとって大事な人たちというのが
ほんとうにわかった。
単に機会やタイミングの有無もあるけど、
そうしたことも含めて示されてよくわかった。
  
大事な人はもういなくなったし、
友だちだと思っていた人は違った。
去っていく人や失うもののことを
もちろんさみしいとは思うけれども
でも、自分のキャパもあれば、
どうにもならないご縁もあるのだとわかっている。
今までに与えていただいた分で
十分これからもありがたいことだと思える。
  
Facebookに具体的には書けないが(笑)
今回、助けてくださった方々のお力添えが
なんともありがたさかげんが過ぎる。
くだらなくてしょうもないことそのものより
自分の深淵とその向き合い方について
アドバイスもらって、これからはその試みをば。
なかなか地道でストイックな感じでもあるが
見え方が変わってスッキリしたし、
ときどきの愉しみもあるしね。
  
ほんと、なぜあれほどまでにこだわったのだろう、
と思うけど、それがあったから今がある。
心からすべてのことに感謝している。
もうこれまでのことは終わり。
すべてはマツリノアト、なのだ。

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