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終わりを感じるとき

中身のない答弁や無理筋のやり口、
はては「隠蔽・改竄・廃棄」だらけ。
そうした信用できない感が極まった中で
こうしたパンデミックとなってしまったら
確かな判断ができないよね、という。
  
専門家もそうでない人までも、いろいろ言う。
それらに惑わされることよりかは、
その人やその人の言うことを聞いた人の、
その反応やふるまいに表れちゃう、
それに対して複雑な思いになる。残念。
まんま、自分にも言えることだけれども。
  
いつかわからないけど、
終息した後の、この世界のありようは、
3.11以上の影響があって、まさにカオスで
単純に壮大な社会実験みたいになって、
冷静に考えても、一人ひとりへの影響たるや、
それを意識して理解しきれないほどのはず。
  
多くの人の、思考や感情の奥底にて
何かが終わって、で、そこから始められるか、
なんだと思うけど…
わたしにはできるのかな、
というか、もうだめかもしれないな。
これまでと変わらないように過ごしていても。
  
なかなか会うことも話すことも限られる中で
やっぱり信頼や信用できる人の、
そのことばを聞いてホッともするんだけども、
せめてその人たちとは、穏やかで安らかに、
そして、笑って話したいな、直接、会ってさ。
  
非常時のほうが意識がしっかりする。
子どものままの自分が引き下がって、
それなりにまともな自分が前にでてくる。
  
自暴自棄でなく、マインドフルネス的な、
イマココ感はリアルにある。
それってやはり
「もう何があってもおかしくない」
ということなんだな…。
  
#何かみた

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