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なりたい自分に憧れて追いかける
今になって思えば、私は昔から少々変わった人間だったように思う。なんと言うか、他の人から見れば理解できないような感覚を持っていて、それを周囲に知られると自分のマイノリティーさが露呈してしまうような気がして、周囲との足並みを揃えるために押し殺してきたものも多くある気がする。
この感覚は、非常に幼い頃からの自分を振り返ってみると誰しも持っている感覚なのではないかと思う。私のように、その感覚を押し殺してきた人と、そうでない人がいることで、大人になった時に大きく結果が異なるだけなんじゃないか。
このSNSが広く普及した現代では、実にいろんな人と繋がることができて、多くの考えに触れることができるようになっているが、上述したようなことが、結果として二極化していることをはっきりと示しているようにも思う。
それと同時に、私が幼い頃に押し殺していた感覚は、実はマイノリティーでもなんでもないことも気づかせてくれた。世の中は広くて、実にいろんな人がいるんだ。
これらのことが分かってから、(無意識にではあるが)徐々に自分を解放していこうとしている自分に気づく。
幼い頃の自分を押し殺さなければ、こんなふうになっていたんじゃないかっていう、もう一つの未来を取り戻そうとしている。
スタートするのが遅すぎたかもしれない。でも、スタートラインってどこだろう。
生まれた時、進路を決定する時、国家資格を取得した時。
別に今でもいいんじゃないか?
今までの回り道も、いわば経験の一つであり武器でもある。いつかどこかで役に立つ経験と思えば、多くの武器を集めて回るのにじっくりと時間をかけて、満を持してスタートラインに立っただけ。
もう一人の自分ははるか先に行ってるかもしれないけど、今更それを言っても仕方ない。アイツどこまで突っ走ってるんだろうなーって思いを馳せながら、私は今、スタートする。
追いつこうなんて思っていないけど、ほんの少しの憧れの気持ちをもって、その背中を追いかけながら、私は私の景色をみながら進んでみる。
最終的には違うゴールに到達するかもしれないけど、それはそれでおもしろい。
憧れという原動力をもらったことに感謝しながら、私はすでにスタートラインを軽快に飛び越えている。
目指すゴールもぼんやりと見えている。
よし!やるぞ!
今度こそ、ほかの誰の視線も気にすることなく、なりたかった自分に最短距離で近づいていく。
守るものができて、社会的な制約がありながらも、それを加味して進めばいいだけ。進めないわけじゃない。
異論は認めない。なぜならこれは、自分の脳内で起こっている革命であって、だれも踏み入ることができないから。
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