あくび
結構面白いモチーフだと思うんだよね
あくびはまず、きわめて動物的な行為だ。
「大きなあくびをするライオン」みたいなイメージってあるじゃん?
そして基本的に、動物的な行為は文化によって制約される傾向にある。
しかし、あくびはこの制約が薄いのだ。
あくびに付与される意味はせいぜい「眠気、退屈」くらいのものである。
あとはここから派生して「人の話を退屈だと思っているサインであるがゆえの失礼さ」「思いがけず生理的に退屈のサインを発してしまう滑稽さ(退屈な話を聞いている最中、必死にあくびを噛み殺している人物はどこか滑稽だ)」程度だろうか。
なんにせよ「あくび」が持つ文化的な意味は、かなり希薄なのだと思う。
これは食事・睡眠・排泄・性交といったその他の動物的行為が、文化によって支配されているのとは対照的だ。
食事・睡眠・排泄・性交のいずれも、まず「場所を選ぶ」。
まあ「人が話しているときにあくびをするのは失礼」といった認識がある以上、場所を選ぶのはあくびも変わらないだろう。
だが、その他の行為はいっそう強く場所を選ぶといえる。
考えてもみてほしい。電車の中であくびをしている人がいても、誰も気にしないだろう。
しかし、電車の中でものを食べている人間がいたら? ──まあ、気にする人もいるよね。
眠っている人間がいたら? ──日本だったら大して気にならないかもしれない。ただ、海外には「公共の場で眠るべきではない」みたいな文化的規範があったはずだ。
うんこをしたり、セックスしたりしている人間がいたら? ──論外。
それにこれらの行為は、あくびよりも強烈に文化・娯楽・商品の領域に組み込まれているのだ。
まず食事。いうまでもなく、各地に豊かな食文化がある。それに、食事の時間は今でも半ば「神聖な儀式」になっていて、挨拶やらカトラリーの持ち方やら、規範の数が非常に多い。食材・食器・調理器具・外食産業などなど、食事に関する商品も多岐にわたる。
睡眠もそうだ。寝具があり、寝室がある。食事同様、一日のうちで、睡眠時間という「それ専用」の時間が設けられている。
排泄や性交もそうだ。下品、卑猥といったイメージのもと、かえって人を魅了するような文化的性質がある。トイレであれ、性産業やらポルノやらアダルトグッズやらであれ、大いに商品化されてもいる。
対するあくびは、それほどは文化や商品になっていない。
せいぜい「人が話しているときにあくびするのは失礼」「あくびをするときは口元を隠した方が上品」程度の規範しかないだろう。
「ダイニング・キッチン=食事専用の空間」「ベッドルーム=睡眠専用の空間」「トイレ=排泄専用の空間」のような、あくび専用の空間は存在しない。
あくびの関連産業・関連商品も存在しない。
それはきっと、あくびが取るに足らないものだからだ。あくびなんて、せいぜい数秒で終わる。
それに、あくびをしたところで世界には何も起こらない。食事と違って他の命を奪わないし、睡眠と違って時間も要さない、排泄や性交と違って、する必要も大して感じなければ、したいという欲求もない。
口を開ける、あくびをする、口を閉じる。それ以上でも以下でもない。
取るに足らないものだからこそ、文化に支配されることなく、動物的なありのままの姿で今日の世界にある。
ライオンみたいに食い、寝そべり、排泄し、交尾する人は見られないが、ライオンみたいにあくびをする人はいくらでも見られるじゃないか。
私はこれを面白く思う。
「取るに足らない」とみなされているからこそ、かえってしたたかに、この人間的な世界に動物的な根を張っているのである。
強烈なものほどむしろマークされ、挑まれ、征服=文明化されがちなのかもしれない。取るに足らないものは、結構図太いのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?