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New York Life, A La Carte

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90年代からニューヨーク、ニュージャージーで暮らしている著者が感じたこと、生活情報、観光情報などをまとめています。ニューヨークの観光ガイドにない情報、ニューヨーク・メトロポリタン…
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NY Life 星野リゾートがニューヨークに温泉旅館!

星野リゾートが、2028年にニューヨーク州北部のSharon Springsに温泉旅館をオープンするというニュースがありました。今回は、このニュースについて記します。 90年代、アメリカに住む日本人の間でアメリカにも温泉旅館があるという噂が広まりました。和風の外観で、日本の温泉旅館のようなサービスが受けられ、大浴場や露天風呂付き個室があるということでした。ただ、その場所は人によって変わってしまい、「パーム・スプリングス(ロサンゼルスの東)にある」という人、「いやオーハイ(ロ

廃線跡を歩く 01ニューヨーク州 エリー鉄道

このシリーズでは、アメリカの廃線跡を紹介します。ゆっくりと廃線跡を歩くことで見えてくる、その地にある歴史や地理、産業について語っていこうと思います。 今回は、ニューヨークから日帰りで行けるエリー鉄道の「廃線跡の旅」です。 エリー鉄道「廃線」と聞くと日本の寂れた田舎町を想像しますが、ニューヨーク、ニュージャージー州は、古くから鉄道路線が栄えてきた歴史があり、おおくの廃線跡を見ることができます。その廃線跡にはさまざまな歴史があり、ストーリーがあります。 今回フォーカスするのは

デイリー・クイーン Daily Queen

学生時代、時間があると親友とテニスをしていました。当時はニュージャージー州フォートリーに住んでいたので、オーバーペックにあるテニスコートが自由に使えました。 特に夏から秋にかけてはUS Openに影響されてほぼ毎日1ゲームしました。真夏の夕方に約2時間もゲームをすると、かなりの体力と水分を消耗します。でも2人は夢中になってコートを走ってました。気分はマイケル チャンです。 テニスが終わり、帰りには2人で必ずコートのそばにあるデイリークィーンに寄って、ブリザードという1ドルの

ニューヨーク州 ハンプトンズ Hampton New York USA

今回はニューヨーカーの憩いの場、そして富裕層の別荘地、ハンプトンズを紹介しようと思います。 ハンプトンズとは、ニューヨーク市の東にあるロングアイランドの東端にある場所です。シティからは、83〜95マイル(約134〜153キロ)の距離で、マンハッタンからは電車か車を使い2時間半程度でアクセスできます。 ハンプトンズは、サザンプトン、ブリッジハンプトン、イースト・ハンプトンなどいくつかの集落を含む総称です。マンハッタンの喧騒とは打って変わって、とても静かで穏やかな海岸沿いの小さ

タッパン・ジー・ブリッジ Tappan Zee Bridge

ニューヨークを流れるハドソン川にかかる橋と聞くと、殆どの方がイメージするのが、マンハッタン島のワシントンハイツとニュージャージー州フォート・リーを結ぶジョージ・ワシントン・ブリッジ(GWB)ではないでしょうか。マンハッタンから見ると、ハドソン川は川幅が広く橋がGWB以外に架かっていません。その代わりマンハッタンとニュージャージの間にはいくつものトンネルが掘られています。皆さんが知っているホーランド・トンネルやリンカーン・トンネル以外にも鉄道専用のトンネルがいくつかあります。

NYLife ニューヨーク南部 / ニュージャージー北部のモール

90年代のアメリカにMall kidsという言葉がありました。 ショッピングモールに通うティーンエイジャーのことです。 60年代にアメリカ全土に広がり、80年代から90年代に黄金の時代を迎えたショッピングモール。私が学生時代を過ごした90年代初頭がピークで、私も時間ができるとフラフラとモールに行ってしまうモールキッズでした。 どこのモールも巨大な敷地の真ん中に建物があります。その建物は上から見るとIやYや+の形をした通路があり、通路の両サイドに店舗が並んでいます。そこには

日本食レストラン

25年程前にニューヨークの田舎で小さな大学に通っていました。マンハッタンから北に1時間ほどの、私が住むニュー・シティという町には、ひとつだけ昭和の風情が漂う日本食レストランがありました。派手ではなくどちらかと言うと地味で、寿司、テンプラ、テリヤキを提供し地元のアメリカ人に評判の店でした。当時の日本食店はアメリカ中どこも同じような作りとメニューでした。ちょっと昭和っぽい風情で日本人が経営していて店員は日本人の学生やバイトです。 経営者は日本人の夫妻で旦那さんは寡黙に寿司を握り、

チャイニーズのテイクアウト

25年前、初めて1人で住んだニューヨーク郊外のMonseyという街。ここは正統派ユダヤ人が住んでいる町でした。街にはオーソドックスと呼ばれる黒い服を着て、もみあげを伸ばしたユダヤ人が歩いていました。 学校に通いやすいという理由で、この町のアパートに住むことになった私は、彼らのことは気の止めず普通に学生生活を送っていました。ただ、この街に住む東洋人は私を含め数名だったはずです。町のスーパーマーケットや銀行に行くと住民からはかなりジロジロと見られました。 私の住むアパート「V

ニューヨーク ハドソンバレー Hudson Valley New York USA

最近ニューヨークを訪れる観光客に注目されているマンハッタンの北部に広がるハドソン・バレー。私はここに五年ほど住んでいました。マンハッタンから1時間程で来られる場所とは思えないほど豊かな自然と心優しい人々が住む場所です。今回は、この美しいニューヨーク郊外の街について紹介します。 ニューヨークに観光に行く日本人は、マンハッタンやブルックリンを巡り満足する方がおおいのではないでしょうか。ニューヨーク・シティには魅力が詰まっているので、数日間の観光ではシティの外まで足を運ぶことがあ

NYLife ニューヨークにやってきた知人

ニューヨークに住んでいた5年間、沢山の知人が私を頼ってニューヨーク観光にやって来ました。 昔からの友人、親戚だけでなく、友人の友人、親戚の親戚、さらに遠い縁の方々がニューヨークを訪れ、その度にその人を知っているかどうかを問わず、彼らを空港に迎えに行き、可能な限りニューヨーク観光に付き合いました。 ある日、友人の友人がニューヨークにやって来ました。私は初対面。JFK空港には美しい日本人女性が立っていました。 同じ日に、高校時代の親友もニューヨークにやって来ました。 たまたま同

NYLife 帰国便の思い出

学生の頃、私は少しずつ生活費を削って貯めたお金で、10日程日本に一時帰国をすることにしました。なんとかJALの格安エコノミー席を購入し、大学の期末試験を終え、チケットを握りしめニューヨークJFK空港に向かいました。 ボーイング747-400に乗ると、既にエコノミー席はかなり埋まっていました。私の席は後方の通路側、隣には日本人と思われる老人がひとりで窓側に座っていました。 直前の試験勉強で睡眠不足だったのですが、帰国への嬉しさと日系航空会社の飛行機に乗れた喜びで私はなんとなく

NYLife ヤオハン

90年代のニューヨークは景気が悪く、それは私のような学生でも日々感じる程のものでした。 ユナイテッド航空で到着したJFK空港のターミナル7は、ビルが古く装飾も簡素でした。空港からマンハッタンに向かう道中に見えるロングアイランドの住宅地は荒廃していて、ボロボロのアメ車が路駐されていました。道路は、タイヤがパンクするのではないかと思うほど穴だらけでした。 マンハッタンに入っても42ndストリートには風俗店が立ち並び、バスターミナルには怪しげな人々がホームレスとなり住み着いてまし

リトルイタリーのレストラン

ニューヨークの学生時代のお話です。 大学に入学し、授業についていくのに精一杯で、暫くは時間の節約のため学校内にあるカフェでランチを食べていました。当時、カフェは学内に3つありました。ひとつはよくある大学の学食です。入口でトレーを渡されて好きな食べ物をピックアップし、最後に料金を払うスタイルです。ハンバーガー、ピザ、サラダなどを食べるところです。もうひとつはコーシャーミール専門のカフェ。大学にはユダヤ人の生徒や職員が多いので、ユダヤ人用に提供されている食材を使った料理を提供して