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千早Pになれなかった話

 アライブファクターイベが終わったので、ちょっと話したいと思います。
 結局のところ自分語りなのでそこん所はよろしく。

疑問と不審、羨望と嫉妬

 はっきり言わせてもらいますと、私は千早Pを自認しておきながらアライブファクターを聞いたことがありませんでした。
 というよりむしろ、個人的な理由で敬遠していたのです。

 じゃあなぜ今回のイベントを走ったのかと言いますと、まさしく見出しのとおり、周りの千早Pを自認する人たちへの先鋒と嫉妬、そしてそれと比べて千早Pとは言いがたい自らへの疑問と不審が存在していたからでした。

 私の周り、というより上空に存在する千早Pの皆様はとにかく『凄い』と言える人達です。
 何年も千早Pであり続け、千早の一挙手一投足に意義と成長を見出す人々。
 とある人に至っては自ら千早の小説を書いたり、フラスタを計画したりしています。

 尊敬と憧れ。大半の人たちは彼らを見るとこの感情を抱くと思います。
 私がその大半と違ったのは、その感情の中に嫉妬が混じったことでした。

千早Pなのか

 俺が一番の千早Pだ。

 大なり小なり、千早Pである人達はこう思っているはずです。
 「他の誰でもない、俺こそが一番千早をわかってやれるんだ」という感情は、極めて普遍的なものでしょう。

 私も同じように思っていました。

 けれども、前述のP達と自分を比較し、省みるほどにそういう考えは揺らいでいき、自分が千早Pであるのかも訝しくなっていきました。

 俺の千早への感情はいわゆる『ガチ恋』と呼ばれるものも同然であり、千早Pとして相応しくないのでは。
 約束で泣いたことのない俺が千早Pを名乗って良いのか。

 「俺は千早Pと言えるのか?」
 その後は、毎日同じことを考え続けて、自らを摩耗させるセルフ強化尋問の繰り返しであり。

 そして残ったのは、他の千早P達への嫉妬と羨望。
 そしてあまりにも苛烈な、千早への愛とエゴだけでした。

証明したかった

 そんな中告知されたアライブファクターイベ。
 周りの千早Pは活火山のように盛り上がりました。

 私個人としてもアライブファクターというネームバリューと、そして何より『World Changer』イベのリベンジを果たしたかったこともあり、ふつふつと感情が湧き上がっていました。

 これがミリシタの千早イベとして最上級のものとなるのは想像に難くありません。
 私はこれを「自らが千早Pであることを証明する戦い」と位置付けました。

 目標は100位以内、すなわちトッププラチナランカー。
 この狭き門の中に、私は自らの千早Pという称号を投げ入れたのです。

 結果は、もうご存知の通りダメでした。

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 100位ボーダーに手をかけることすら許されず、500位以内という中途半端な位置で終了しました。

 当然といえば当然でしょう。
 ジュエル備蓄は当初5000個強。イベ中にコミュを犠牲にして増やしてもせいぜい合計2万個行くか行かないかでした。
 周囲の千早P、それもTPRを取った人たちは10万個なんてザラでした。

 結局ダメだった。アイマスの本拠地であるゲームでさえ、私は彼らに手も触れられず、千早Pであることさえ出来なかった。

 今もなお、走り切ったことによるほんの少し満足感と、この悔しさと虚無感が私の中を渦巻いています。

 私は、またしても千早Pになれなかったのです。


(2020/06/09)


 見出し画像説明:アイマス2のIAグランドファイナル後の千早とのコミュ。私を千早Pだと錯覚させてくれた思い出の一つ。

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