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震災から未来へ

今更ながら、
インターンの初日へ戻る。

インターンに現地入りしたその日から、
富岡町から葛尾村へ。

2日間にわたり、アーティストさん、
デザイナーさんなどと双葉郡を巡る
Nadegata Instant Party「Back to the Future」
ツアーに参加した。

アートデザインの世界に疎い私は、
自分の知識不足にどうしていいかわからず。

しかしこのような方々とここに来れたことは、
また違った見え方に繋がった。



葛尾村郷土文化保存伝習館

階段に全村避難についての流れが。
この時間に自分が何をしていたか、
思い出しながら見ている方も。

震災時まだ小さかった私は、
日にちや時間までは覚えておらず、
こんなことが起きていたのかと
初めて知る情報もあった。


合同会社いること

村に灯りがついているだけで
気になってしまう地域の人たち。

それだけ人がいなくなってしまった地で
新たな場所を作り出している。

人口が少ないといっても、
一度ばらばらになってしまったところ。

人と人とのつながりが
意思もなく絶たれてしまったところ。

そんな場所で、
「ただそこにいるだけでいい」
それを認めてくれる場所があることが、
どれだけ素敵なことか。


葛尾の方から、
地域の人はまだ諦めてない
という話を聞いた。

ここには震災後建てられた
農業用施設がある。

それは地域の方がまたここに
自分の子どもが帰ってくると信じ、
引き継ぎたい想いがあるからだと。

自分の意思ではない避難をしたここの方々には
諦められない想いがあることを知った。



Katsurao AIR

以前訪れた時に参加させていただいた
折り紙のワークショップ。

今回を訪れると、
その時に作った折り紙らしきものが
1つの形となって作品になっていた。

自分が作ったものがここにある
ということの嬉しさは、
リピートにつながるのか?

個人的な新たな問い。

アーティスト・イン・レジデンス(Artist in Residence、「AIR」)とは、国内外からアーティストを一定期間招へいして、滞在中の活動を支援する事業です。


ゲストハウスZICCA

葛尾村の民泊施設。
ここに泊まるのは2度目。

みんなでごはんを作って食べて、
あの空間がすごくあたたかくて。

ここでみんなでごはんを食べると、
自然と会話が生まれて、
予期せぬ話が聞けて面白い。


震災遺構 浪江町立請戸小学校

ここにある全てが現実。

被災者の声も、また。

「帰りたいが、帰れない」

「住民を町に戻らせるのは、
早く死ねっていうことですか?」

言葉が出なかった。

人それぞれ考え方がある。
もちろん家庭の事情もある。

全ての人がこの町が、
戻って来れるとは思わない。

ただ小さなことでも誰か1人にでも
影響を与えられることは
すごく大きな価値であると思う。



他のツアー参加者の反応から、
「展示」という観点でもこの場所を考えた。

震災遺構として残すにあたって、
何をどう残して、どう見せるか。
というのが難しい所だろう。

しかし、
初めにこの場所の震災前の日常を
情報として知り、遺構を見る。
そして被災者の声を聞く。

この見せる順序が
現実へと引き込むように思えた。


東日本大震災・原子力災害伝承館

あの事故が起きてから、
原発 = 危険という
印象がついてしまっただろう。

しかし、この写真を見て、
原発を産業として栄えてきたこの地域から見れば、
原発の全てを否定できないのではないかと思った。

このような看板が掲げられたり、
廃炉資料館は元々「エネルギー館」として、
地域の方々が訪れる場所であったり。

今のこの地域を見ている私には、
見ることはできないけれど、
そこの日常には原発があって。

今は入ることができないが、
廃炉資料館の外にある遊具では、
人が賑わっていたのではないかと推測。

そのような原発に関わる思い出がある人は
多くいるだろう。

そう思うと、原発の見え方が変わってきた。

今となっては見えない過去の記憶を、
少しでも知ることで、
新たな視点でモノを見ることができる。

うまく言葉にできないけれど、
そんな気がした。


東京電力廃炉資料館

今まで震災において、
「加害者」という言葉を意識したことがなかった。

被害者でもあるが加害者でもあると思いながら
生活して人がいることも初めて気づいた。

原発に今も昔も関わっている人がいる。
だからこそ地域が少しずつ前に進んでいると思う。

「日々廃炉現場の状況は変化しており、
できるだけ多くの方に見ていただきたい。」

私はこの言葉に
しっかり応える必要があると思う。


とみおかワインドメーヌ

ゆいまーるの見晴台から撮った一枚。

海が見える、福島第二原発が見えるここで、
新たな産業を生み出そうと
取り組んでいる人がいる。

とみおかワインドメーヌでは、
町の新たなブランド化へ向けた活動だけでなく、
「交流」がキーワードになっている活動もある。

それがこの地へおける新たな産業として、
大事なポイントであると感じた。


いわゆる「被災地」と呼ばれる場所には、
私が知らない過去や今がたくさんあって。

調べなきゃ、知ってなきゃ、失礼なんじゃないか。
それでも全部わかることはできない。。
と、この地域に対して身構えてしまう自分がいて。

自分のような人や、他の地域の人が、
今よりもフラットに
この地と関わることはできないのか?
という問いが、今自分の中である。

この2日間をまとめるのには、
あまりに複雑な気持ちになってしまって、
全く言葉にできなかった。

あの日、その直後の記憶の薄い私が、
不自由なく暮らしてきた私が、
こんなにも震災に対して思いを強く感じる理由が
まだ言葉にできない。


これを書いていて思ったが、
私はいつ震災という言葉?記憶?から
距離ができたのだろう。

自分の目につく範囲の除染が終わった時か。
見慣れた場所の仮設住宅が撤去された時か。
空間線量がニュースで流れてくるのに慣れたのか。
時間と共になんだろうか。

ふと思った疑問。


さらに言語化できるように。
さらに問いを深められるように。



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