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鬱・怒・我

今週の一週間は早かった。業務時間中も特に何もせずに過ごしたからだろうか…
雨降りが続き、夕方以降毎日家にこもっていたからだろうか…

今の部署でやる業務の全体像がやっと掴めてきて、カオスで救いの手すら見当たらないという地獄のようなゾーンは抜け出した気がする。
もうちょいと、死なずに生きていけそうでヨカタよかた。


まだ一ヶ月半だが、会社は社員を駒として扱っている、という節をひしひしと感じる。
まあ、資本主義の権化“JTC”では当然、というより社会ってものがそもそもそういうものだとは思うけれど…
とりあえず業務にぶち込んで、自分で無理矢理でもこなしていけ、といったふうに。

学生の頃は、会社は「早く金稼げよ!オラ!!こうやるんだよ、ノロマ!!」ってスタンスであたってくると思ってた。鞭を持って叩いてくるイメェジ?
けれど実際は「これをやれ、できなければ帰れ」みたいな、放牧状態。勝手にデカくなって会社に還元しろ、のスタンスかしら。
個人商店の集まり、なるほどねぇって感よ。

なんだか腹が立ってきたな。圧倒的リスキリングでバリューをクリエイトしてコンピテンシーでwinしてやろうか??キェー‼️❣️‼️(躁鬱のソウ♡の部分)


将来何かしらの企画系の仕事に就くことを考えると、ITというかAIというか、その辺の知識が最低限の装備になるとわたしの直感が告げている。
というわけで、基本情報技術者試験の勉強でも始めようかな。資格マイスターの道に迷い込みそうになるが、あくまでも目的ありきなので、まだ大丈夫。と自分に言い聞かせています。


今のわたしの日々の楽しみは読書しかない。
福岡でいつも遊んでいた特に仲のよい友人たちは皆んな東京か大阪にいるので…悲しみのインドア。典型的鬱病コースを順調に突き進んでおります。

そんな時にわたしに寄り添ってくれるのは、春樹の小説。
気が向いたらnoteに感想をまとめて書いちゃおうかな。


誰かと話すとき、その人との会話の特性に合わせて活性化する脳の回路って、ありますよね。
まだ仲の良い人がこちらにはいないからなのか、雑談でも脳が表層の部分しか動いていない気がする。
大学の頃の友人たちと話すと脳の深くから語彙が現れる気がするので、最近は頭が物足りない。

これにはどう対処すれば良いのか、悩んでいます。順応すべきなのか…
わたしは話題を生み出す人というより、人の発言に上乗せして会話を加速させていく人だと自己認識にしているので、会話の主導権を握る感じじゃないんだよなぁ。良い流れが生まれていないとわたしのバリューが生まれない…(バリューとかいう語彙が自然と浮かんでくるの、自我の死滅を感じてすごく悲しい)
悲しい、無力な生き物だね。


後輩の関カレを観て、テンションが上がりました。
わたしももう一度、あの緊張感と興奮を味わいたいので、ちょっくら練習、頑張ってみっかなぁ。

でもこれって、あんまり良くない動機なのかもしれない。
わたしには、失われたものに固執しすぎるきらいがある。
手放すべきものを手放して、前に突き進んでいく強さがない。
わたしの芯の部分は、じっとりと粘り気のある素材でできているのだと思う。


頭に浮かんできたことを書き連ねてみると、暗いな。
まあ、春と梅雨の間ってだいたいこんな心持ちになるものだし。
そんなときは、とりあえず走り回るのが一番。

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