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なぜキヨサキは最後の関カレで一本しか走れなかったのか

noteを日常的に書きたいと思いつつも、日常を文章にする能がなく、実行に至れていないキヨサキです。

今回は題の通り、人生最後の関カレを振り返って思うところを書き連ねようと思います。
漫然と書いてもまとまる気がしないので、自己啓発本チックにいきます。


はじめに

まずはじめに、今回の関カレでの事実の羅列をしたいと思います。
そこから、最後の関カレなのになぜたったの800m一本であっさりと幕を閉じてしまったのか、その理由を考えます。

今回は選手として臨む4回目の関カレでした。
つまり、2部では正真正銘最後の関カレで、これまでの集大成として「過去最高の成績」を目指していました。
1回目は予選通過、準決勝落ち
2回目は予選通過、4位入賞(参加者数激減)
3回目は予選通過、8位入賞(決勝最下位)
    +マイル予選通過、8位入賞(決勝最下位)
そんなこんなで、現実的には持ちタイム以上の4位、あわよくば表彰台を狙っていました。予選通過は言わずもがな…
ちなみに、今年はマイルメンバーとしてのエントリーや400m個人のエントリーはせず、個人の専門種目に専念させていただく予定でした。

マイルに出ないつもりだった理由は、「①決勝進出の場合は温存するため、②予選敗退の場合は不調で戦力にならないため」。
まああり得ないだろうと思いつつ、マイルメンバーには「800m予選落ち+マイル出場メンバーが足りなさそう」って場合の補欠として扱ってほしいと伝えていました。

そうした心構えで臨んだ今回、私は800m予選1/3組目に出場。
結果は1'52"24で組4着。ちなみに決勝進出は3-2+2。最低のプラスラインに乗るかどうかの瀬戸際でゴール。
実はこれ、2回目と3回目の関カレと全く同じ展開。
私は後の組の結果に全てを委ねるのが好きらしい。

結局、3組目がペースアップしたため、3着以下のタイムは3番目でプラスでは拾われませんでした。


関カレにて、初めて、ラウンドの駒を進められずに予選落ち。
初めて、関カレ800mを一本で終わらせてしまいました。

理由A. 仕上げきれなかったから

800mの今シーズン一本目は学生個人。
タイムは1'53の後半。覚えてないし、直視したくないくらい遅くて、未だに向き合えていません。
800mの二本目は5/3のwttk。能力不足とハムの不調を感じて600mDNF。

その後、なんとか動きは改善してポイント練習はこなせるほどになりましたが、万全とは言えないまま関カレを迎えてしまいました。
感覚としては、一年前の関カレと同じくらいの調子。余裕で決勝進出とは言えないが、油断せず出し切れば決勝には進めると思っていました。PBも一年前からは伸びていたので…

それでも負けてしまった原因、最大の誤算は他の選手の仕上がりでした。
これまでの自分の経験や他選手の持ち記録をもとに、少し楽観的なボーダーラインを想定してしまいました。
「1'52"1あればいける」と考えたので、今振り返ってみれば、そのための練習しかできていなかったなぁと感じます。

PBも狙えるほどに身体を研ぎ澄まして、絞り切る練習に取り組むことを怠っていたということ。
チャレンジャーとしてがむしゃらに決勝を狙う熱意や、決勝は当たり前で表彰台だけしか見ていないという豪快さを、持っていなかったということ。
大前提である『勝負に臨む身体・精神』が全く揃っていなかったのです。
勝敗を決めるのは過去の経験でも事前の想定力でもなく、ただ“どれだけそのレースに合わせて仕上げてきたか”というシンプルなものでした。

理由B. 400m用のスパイクを持っていなかったから

私はスパイクを400m/800〜1500mで分けて使っています。
国立競技場には800〜1500m用のスパイクしか持っていきませんでした。

少しでもマイルに出場する可能性があれば、走る準備をするのが補欠の役目。
その役目を放棄して、スパイクを持っていかなかったのはなぜでしょうか?
400m用のスパイクを持っていくということは、「800mで失敗しても、マイルで頑張ればいいや」という保険を自分自身にかけてしまうことになると感じたからです。

加えて、話は少し飛んでしまいますが…
僕にとって、マイルは甘い果実です。
勝てば喜びをチームで共有でき、負ければ悔しさを皆んなで噛み締めて次への原動力にできる。
どう転んでも次に繋がる、優しい包容力がある種目だと思っています。振り返ると、美味しい経験になるんです。
マイルの楽しさはもう何度も何度も経験させてもらった。留年した自分が、関カレという舞台でもそんな美味しい思いをしてはいけない。
そう感じていました。

後輩達が全力で臨んでいるマイルに、中途半端な気持ちで出てはいけない、今度は後輩達がマイルの楽しさを味わってほしいんだ、と思い、潔くマイルの出場権を放棄したつもりでした。
(冷静に振り返ると、800mに向けて100%の仕上げができていなかったのに何様だよって感じですが…)

しかし、その出場権の放棄は正しかったのでしょうか。
恐らく、主将を務めていた頃の自分であれば、こんなことはしません。
どんな不測の事態にも対応できるように、主将として部を活気づけるために、他部員の負担を少しでも和らげるために、胸を張ってマイルに出ると決断していたでしょう。

今年の自分の判断は、後輩達を立てるため、だと考えてしました。
小西のマイルに対する並ならぬ熱意は感じていたし、白川も麻婆もマイルへの意志の固さを見せてくれていました。
だからこそ、彼らに出場してほしいという思いがあって下した判断でした。

でも、ここにもひとつ大きな誤算がありました。
後輩達は関カレを走りたかったわけではなく、関カレで走りたかったんだと、気づきました。
「関カレのマイルに俺が出る!」ではなくて「関カレのマイルで、一橋大学としてチームで走る!」という意気込みだったのかなと、今では思っています。
彼らの視点は常に、外を向いていました。

それに気づかせてくれたのは、マイルメンバーを決める最後の話し合い。800m予選落ちの一時間後くらいでしょうか。
その一連の話し合いの中で特にハッとさせられたのは、800mの結果に落ち込んでマイルには出ないと言う堀内と僕に対して、涙を流した力の姿です。
「最後の関カレで、2人のかっこいい姿を見たかった」と、珍しく感情的になっている力を見て、自分が間違っていたことにやっと気づけたのです。

5年生だからと、自分は既にチームから外れた存在だと勝手に自分を部活から切り離して殻に篭っていたのは僕でした。
後輩を立てるため、なんて言葉は彼らの意志を全て蔑ろにした、勝手な僕の思い込み。
自分が思っているよりも、みんなは僕のことを見てくれていて、僕の走りに何かしらを感じてくれていました。

リレーに欠かせないチームの視点がいつの間にか消えていた自分が情けなくなり、自分の弱さを自覚してしまい、そこからは涙が止まりませんでした。
これまでの対校戦では、チームの想いを背負って勝ってきたという自負があります。そのたくさんのかけがえのない経験は、チームのみんなに支えられて生まれたものなのに、それを忘れていました。

結局、間違えていた弱い自分のままではマイルには出られないと思い、後輩達に全てを任せることになってしまいました。
一日に二度も負けるのが怖くて、期待に応えられない自分をこれ以上直視するのが怖くて、逃げました。

チームのことを一番に考えて走ってくれた4人には、申し訳ない気持ちと感謝の気持ちと頼もしい気持ちと…まとまりきらない感情があります。
マイルに向かう4人の姿は逞しく、その背中には自分が失った『応援してくれる人の期待に応える・自分に対する自分自身の期待に応える強さ』がありました。

結論

思うところを書いていると、まとまりがなく長い文章になってしまいました。
あまりよろしくはないのですが、端的に今回の大会で感じたところを整理してみます。

どうやら僕は5年生になってから、色々なものを失くしていたようです。

・がむしゃらに上を狙う姿勢
・積み上げた経験を自信に変える豪快さ
・応援/期待を正しく背負う気概
・全ての期待に応える勇気

スマートに生きられるほど、僕は器用じゃないのかもしれません。
等身大で、体当たりで、今ここにある自分と周囲の人に向き合うことで、やっと少しずつ強くなれていただけでした。
常に支えられて生きていた。

いつか、また部員のみんなに強い自分を見せられるように
今回強さを見せてくれたみんなに恩返しができるように
ゼロから、素直に積み上げていきたいです。

最後こそ、貰っていた分に応えるための、人に勇気を与える走りを目指したい。

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