近況報告<考禍―SilentThinkingSinking―降下>
前回のあらすじが ↑ です
さて。
近況報告ですね。
生きがたいです。息苦しくて生き苦しいです。
新しい職場に入って、かれこれちょうど2ヶ月が経ちました。
役立たずぶりは日々心身に染み、暗澹とした気分は脳に満ちていきます。
朝が来なければいいのに。
さいきんのこと
死にそうな顔をしています。
最近気づいたんですけど(ずっと見ないようにしてきた現実を直視したんですけど)、ロングスリーパーって現代社会に生きるの不可能じゃないですか?
おかしくないですかこれ。
おかしいですよねこれ。
でも日中寝ないで労役するためにはこうしないといけないんですよ。
オカシイでしょう!?!??!?10時間寝ないと日中活動できない人間に8(9)時間+α労働+往復合計1時間通勤+三食に身支度だって!!?!?
しかもこれ、ほぼ定時退社の計算してるからね。
これからクソ雑魚新人から、半人前に格上げされたらどうなるかわかったもんじゃない。マジで。マジで。
この恨み言書いてる時点で22時11分なので、実はかなりヤバいんですよ。
「死にたくなければ命を削れ」とか「限界は超えるためにある」とかいろんな言葉はありますけど、いやそれ理想論ッスから。無理。
一日10時間強胃痛なのに10時間寝てたら話になんないもの。
むりだよ。
社会人も、オタクも、創作者も、無理。
びょうきのはなし
かれこれ一年半前にapartment houseの階段を転げ落ち、軽度鬱及び適応障害の診断を受け、あと知能検査で上位5%のIQという嘘を信じ込まされた経歴を持つわたくし、最近仕事がしんどすぎるので今の居住地&勤務先での精神科探したんですよね。
ない。
全然、退勤後に行ける病院、ない。
いや、よく考えたらそうなんだよな。一般的な病院の最終時間って、一般的な会社の定時とだいたい同じなんだよな。
どうしようもないな。
普通の精神科でこれだよ。睡眠障害の診断とかいつうければいいんだ。
歯医者は今週末、土曜日の一番乗りです。親知らず抜きます。下の二本は神経に接触してる可能性があるらしいので、とりあえず上の二本だけだそうです。
こわいよー
しごとのはなし
最近気づいたんですけど(これは本当に天啓だったんですけど)、もしかしたら「はたらきたくない」んじゃなくて「会社に行きたくない」のかもしれない。
誰ともわからない人のために毎朝スーツ着て、怒られないかビクビクしながら、だけど怒られないための努力をする気も湧くことなく、ただただ明日に怯える。楽しいわけないじゃん。起きた瞬間投げだしたくなるに決まってるじゃないか。
あと、フリーターやってた時に感じてた「ぼくはこのままホールバイトをするとして、それで30になれるわけがないだろう?」という漠然とした不安、正社員になった今も一切解消されてないんですよね。「このまま【___】をやって、30になるまで続いていないんじゃないか?」と。
一切皆苦。
愛別離苦。
明日のことすら考えられないと言ったら、元・鬼の少女は笑うだろうか、嘆くだろうか。
仕事が辛いからと言ってサボるのは簡単だけれど、後始末が非常に大変だ。それこそ、精神科に行ったらきっと退職するか休職するか――だ。
一度会社を辞めることで、「会社というもの」なんて自分一人如きいなくても回ることがよくわかったつもり。辞めらば辞めろ。
だけれど、そのあと自分が面倒になることも知っている。今は割と地元から遠く、二度目の退職は流石に親に心配をかけるどころではなく、何より、欠片ほどの自信が全て吹き飛んでしまう。
そういう理屈を全て超えて、こんな笑顔の見えない仕事なんてやってられるかと叫んで、職場の窓ガラスを蹴破ってしまいたい。
しごととにんげんせいのこと
なんでみんな「仕事のストレス」を「趣味」で洗い流せるんですか?
まるで同じバケツに入ってるみたいに言いますよね。
趣味を楽しんだところで、脳みそのどっかに泥はこびりついてて、趣味が終わった瞬間に暗黒に飲まれるに決まってるじゃないですか。
仕事で苦しむ俺は、ある意味で、趣味の楽しみを知らないペルソナで、楽しみの俺は苦しみの感染で息が詰まることはあっても、逆はない。
そういうものじゃないんですか?
しょくじのこと
現状一番時間とお金を削れるところなので、朝晩は食べてないです。
ていうか、包丁を持ったら何をするかわからないので平日の夜は自炊しません。たのしかったのになぁ、自炊。
空腹時に悩んでもロクなことはない。頭でわかっていても食欲は失せていて、200円の大袋キットカットを食べ終わったのが2時間前。空腹。だけど動きたくない。
涙も流れない。
まわりのみなさんのこと
上を見れば限りないというのに、ネットって、SNSって残酷で、恐ろしいまでに他人の才覚が見えてしまうのだよな。嫉妬って苦しいな。努力をしろ。
そして俺よりも厳しい場所で戦ってる人も、俺より傷だらけだろうに手を差し伸べてくれるひとも、いろんな人がいて、ありがたいけど、罪悪感も強くなる。はやく返せるようにならなきゃいけないのに、足踏みして沈み込んでいく。
なみだのこと
LuckyComesTrue!って曲が、とってもまえむきで、きれいで、意味と想いが詰まってて、新幹線で泣きました。
前向きなパワーにアテられて、「それに倣って闘うぞ!」と出来ない自分が嫌で嫌で(自我の第二層)、嫌なのに解決できなくて(自我第三層)、解決できないで蹲ってる自分が嫌なんですよ(自我第四層)。
泣きたくても泣けないし、泣いても解決しないから、ぼんやりとネクタイで首を括る夢を見る。だって今の部屋、飛び降りても怪我しなさそうなんだもの。
このnoteのこと
理性を感傷で踏みにじって―感情で踏みつけるほどに強くもない踏破をして―ここまで書いてきたけれど、なんて支離滅裂なんだろう。
こんな駄文に一時間半をかけ、明日はきっと使い物にならず、叱られて死にたくある。
これで「本当に文才というモノがあったなら」、人の心を突き刺す凄みがあったり、涙を誘う痛みを滲ませたりして、どっかんどっかん拡散でもされるんでしょうが、そうもいかないだろう。
こんな悩みは所詮ありふれていて、こんなダラダラしたものは遺書にも手記にも足りない。
だけれど、俺は書く。そういうカタチのナニカだから。
考えることが出来なくなってしまえば、楽なのだろうかな。
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