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我が右腕は誰が為に(仮題)


これまでのあらすじ
要するに人のネタのバトンを勝手に受け取る回です

邂逅:Maestera/Fraulein

 からりからりと、軽いドアベルが鳴る。ゆったりとした歩調で入店したのは清楚なドレスと、それに釣り合うかドレスが負けるほどの美貌と、不釣り合いに大きな手荷物を携えた、一目で上流階級とわかる女だ。火と水と、鉄と木と、蒸気と油が交錯するこの工房街ではまず見かけないような、白と金を基調にした身なりをしている。
 店舗の奥の工房で道具を整備していた義肢職人の女は、まず手荷物を、続いて全体的な容貌を、最後に、それまでの倍の時間をかけて整った顔をきろきろと見定めて、カウンターにどかりと座った。

「いらっしゃいませ。見たところ五体満足ですけど、もしかして四本腕でもご希望ですか? ……天下の賞金首さん」

 凝視、雑な着席と無礼を重ねてもなお悪びれず、童顔に似合わない、己の城を持つ職人らしいふてぶてしさで冗談と挑発を飛ばす。対する令嬢はその態度をないものどころか、むしろ美点とさえ評して微笑んだ。

「ふふ、面白い冗談と度胸。ますます惚れ込みそう」
「ますますって……初対面ですよね?」
「えぇ、でも私は貴女を知っていますよ」
「……何の話です?」

 思わず無防備な問い返しをした職人に、令嬢は変わらない声色で、荷の中の絢爛な箱を取り出した。音を立てず、丁寧にそれをカウンターに置いて、ゆっくり何重もの錠前を解きつつ忠告する。その間も令嬢は相も変わらず、箱の装飾も相手にならない美しさで微笑んでいる。

「裏稼業の人間に付ける義肢に銘を彫るのは感心しない、という話ですよ」
「……何のことですか?」

 重々しく蓋を開けて、半回転。令嬢が職人に見せたのは、令嬢の上腕よりも少し長く、よく似た太さとシルエットを持つもの。けれども素材からして全く違うもの。すなわち『腕』――『義腕』だ。

(これ……最新の右腕だ)

 その義肢を見て、職人は声に出さずに息を呑んだ。それは確かに彼女が数ヵ月前、持てる技術の粋を尽くして組み上げた、現時点での最高傑作というべき作品だった。令嬢を狙う、どうしようもない賞金稼ぎの女にツケで装着してやった、ワンオフの逸品だった。
 人間で言うところの肩口、義腕と人体の接合部こそ神経線や排熱管の類が露出しているが、それ以外は全く以て綺麗な状態だ。恐らくは持ち主の――あの必要最低限の手入れしかしない無精者の――『腕』だったころよりも綺麗だろう、と職人の女が内心溜息をついてしまうほどに、錆も曇りもなく、黒鉄色に輝いていた。
 けれど、職人はその驚愕や感嘆を顔に出さない。何らかの企みのある客が、表向きは平凡な若い義肢職人である自身が製造した義腕を、自身の違法な武器・兵器製造の証拠品を突き付けてきたというのに、呑気に顔に出すほど職人は幼くはなかった。
 令嬢も令嬢で、その程度は織り込み済みといった風に平然ともう一押し問を重ねる。あら、ときょとんとした無邪気さで小首を傾げる所作は、よほど童顔の職人にこそ似合いそうなのに、令嬢のそれもまた一つの仕草で幾人も虜にしそうなほど絵になっていた。

「ご存じありませんでしたか?」
「……正直、何の話かすら」
「これは……失礼しました。では、最初からお話します」
「……よくわかんないけど、うちはバーじゃないんだよね」
「……では、この刀剣の研磨具一式を頂きましょうか」
「毎度あり」

 猫を思わせる瞳できろりと睨んで、職人はすんでのところで会話の主導権を奪い取られないよう抵抗したのだが、令嬢の沈黙はせいぜい品定めの数秒でしかなかった。彼女が白い指で選んだ研磨具は、この工房に置かれた中で最高の一品だった。
 値札を見ずに選んだそれの代金をまゆひとつ動かさずに支払われて、職人はいよいよ観念した。真っ当な勤め人どころか、中堅の賞金稼ぎでさえも躊躇うほどの代金を受け取って、ぶっきらぼうに商談用スペースのテーブルを指し示す。それから、「大したもんは出せないけど」と予防線を張りながら、工房の奥へ消えていった。

 振り子時計の長針が、ほんの少しばかり動いたころ。貧乏性の職人が滅多に客には出さない上質な紅茶を一口味わってから、令嬢は口を開いた。

「……では、改めて。私、ちょっとした賞金首でして」
「知ってます」

 職人の鋭い返答に、令嬢は特別のリアクションを見せなかった。合いの手程度に受け取って、淡々と続ける。

「賞金稼ぎの中に、いつもしつこい、本当にしつこい、最初の奇襲と最後の逃げ足程度しか評価するところのない子がいるのです。その子が不釣り合いな宝を持っているものだから、お仕置に毎度奪っているのだけれど」

 つらつらと続けられる内容は、その可憐な姿と気品とはかけ離れて異質な所業だった。いくら相手が己の命を狙っているからといえ、その四肢を奪うということは――命ではなく四肢だけを奪うということは滅多にない。てっきり、あの甲斐性なしの賞金稼ぎが、この規格外の賞金首からぎりぎりのところで敗走してくるための必要経費なのだと思っていた。
 けれど、真相は違った。全てが令嬢の意向通りだった。医者も兼任する仕事柄、凄惨な事故も陰惨な事件も耳にしてきた彼女でさえも、思わず呆気に取られてしまった。遠回しに自分の作品を「宝」とまで評された喜びも職人は感じられなかった。
 職人のぼうとした顔を一瞥して、くすりと笑ってから、令嬢は慣れた手つきで義腕の上腕部のパーツを外す。生身で言うところの上腕二頭筋、合法の義肢にはない発動機を巧妙に隠した骨組みにひっそりと描かれた刻印を指さして、打ち明けた。

「ある夜気付いたのです。この義肢の銘に」

 恍惚を隠さない令嬢と、冷静を取り繕った職人は、対照的だった。

「……型番みたく、管理のために必要ですからね」
「いえ……これ、まるで絵画のサインです。読みづらくて美しい。それに、あのような生業の人間に売るなら、脚がつかないように銘を彫らない。少なくとも、私の知る職人たちはみんなそう」
「ふぅん……」

 興味なさげに、初めて知ったように振舞う職人は、心が漣だっていることを悟られないようにするのに必死だった。令嬢の指摘した通り、これは自己顕示欲のための銘であり、裏社会の人間としてはセオリーを外れている行為だった。
 その目的は、たったひとつだった。けれど、その理由どころか事実を知る者さえ今までいなかった。

「この義肢たち、それほどに、大事な作なんでしょう?」
「……さぁ?あたしが作ったわけじゃないので」
「あら、失礼。大事な作なのでしょうね?きっと……」
「……それで、何の話です?」

 ゆったりと、けれど的確に、全てを見透かしているかのように、曖昧に誤魔化されつつも急所だけは突き刺して語る令嬢の言葉に、職人は努めて反応しないようにしていた。銘入りの義肢の持ち主以外にも、幾人かの違法武装義肢を求める客を相手取り、それでなくても海千山千の富豪や国家、組合や医師を相手に表の顔を保ちつつ良識派の若手職人として日々渡り歩いている彼女の自己制御は流石というべき出来栄えだった。
 けれど、それは「反応しないという反応」を以て令嬢にありありと内心を曝け出しているだけであることに、職人だけは気付いてなかった。

「えぇ、そうですね。もしも、もしもこのサインに心当たりがあるなら、伝えてほしいことがあるのです」

 そんな優位と確信を持って、それでもなお建前を崩さないまま、令嬢は切り出した。

「言うだけ、言ってみれば」

 対峙する職人は、同じく、最上級の一品を買ってもらった分のサービスだ、という体である。
 そのスタンス自体がもはや意味をなしていないことに気付いていないのですよ、と令嬢は告げることなく、紅茶をもう一口、それを淹れた令嬢の謙遜と真逆に満足げに楽しんでから、いよいよ伝言の内容を伝えた。

「ひとつ。これまでの全ての作は、私が預かっています」
「はぁ」

 ひとつめの伝言は、勿体つけて言う割には、拍子抜けの内容だった。

「ふたつ。私自身が、作品に惚れこんだから。もし手足を失えば『貴女』に頼みたいほどに」
「それはまた、熱烈で」
「流石に『今四本腕にしてほしい』とは、言えないのですけれどね」
「……はいはい、面白い」

 ふたつめの伝言は、補足のようなものだった。けれど、真正面から改めて伝えられた評価と敬意に、職人は少しばかり満更でもない気分になった。
 ……浮足立ちそうになったところで、自分の冗談をふふんと鼻息でも鳴らしながら使われて、すっと地に足はついたのだけれど。存外、無邪気なところがあるのかもしれないな、と乱高下する令嬢への評価がまた少し、フラットに近づいた。上昇か下降かは、職人自身にもわからなかった。

「みっつ」

 みっつめの伝言は、それまでのようには告げられなかった。第三の言葉を口にしようとした瞬間に、令嬢は初めて眉間にしわを見せた。そのしわが一本入ってなお奇妙なバランスを保った美しい顔にさえも、職人は無意識に惹かれていたけれど、現実としては、かつりかつりと振り子時計から音が流れ、工房街の喧騒が少し遠くに聞こえていただけだった。

「……言わないの?」

 長い長い沈黙の先で、短針が頂点を指し、仕掛け時計が器用にオルゴールを鳴らした。それを機にようやく、職人は先を促した。令嬢は細く長くため息を吐いて、応じた。

「いえ……言います」

 その前置きに続く沈黙は、短かった。 

「みっつ……あの子は『貴女』を愛していない。私の方が『貴女』を愛せると思います。いつでも連絡を」
「……はぁ!?あんた、何をッ!」

 さらに続く本命の伝言は、すべてを述べることさえ許されなかった。いよいよ建前すら保つことができず、がたがたと椅子を蹴り飛ばすように立ち上がった。掴みかからなかったのは、商売人としての令嬢への矜持でも、生物としての令嬢への恐怖でもなく、ただ混乱していただけである。

「……落ち着いて、お嬢さん。……ううん、マエステラ」
「……」

 それに反して、令嬢は実に穏やかに、彼女に着席を促した。貴女は子供じゃあない。立派に工房を守る職人(マエステラ)なのです、とそっと浸み込むような声音で伝えて、優しくカップを口に運んだ。職人もまた、それを真似るように――真似させられている、ということに気付かないまま――自分の入れた紅茶を飲み、一息ついた。
 職人の童顔から強張りが薄れていくのを見届けて、令嬢は殊更に静かに伝えた。それは優しさ故というよりも厳しさ故で、ふと、工作機で指を失いかけて、師匠の妻に暖かく抱きしめられ、それから丁寧に叱られた夜を職人はぼんやりと思い出していた。

「だって、そうでしょう。銘を彫るほど特別な義肢を使い捨てて、あまつさえ職人の居場所が割れかねないそれを置いて逃げるのだもの、あの子」
「……」
「あの子は腕を信頼している。足を信用している。だけれど、その源の技術者の愛と誇りを、知りすらもしなかったのなら……そこに愛はない」
「それは……」

 諭された内容に、職人は反論のひとつも出来なかった。
 言われてみれば、確かに自分のやっていることは違法行為だ。賞金稼ぎ自体がグレーゾーンの職業であり、その上、文字通り規格の外の武器内蔵や発動機機構などを積んでいる義肢を作製し、販売することは明確な黒だ。こうして訪ねてきたのが、本人も黒い噂の絶えないご令嬢ではなく市警や良識派の親方筋だったら、今頃弁明の余地なく拘留されていただろう。今更実感するのも、遅蒔きで愚かしいけれど、きっとそうなのだ。
 そのくらいリスキーな銘入れをしていることを、けれど、きっと、あの甲斐性なしは気付いていない。破壊された四肢を回収しないのは、きっと、その銘や物証の重大さを理解していないからではなく、そもそもこの銘をまじまじと見たことがないのだろう。心が揺らぎ、信頼が揺らぎ、職人は年相応の弱った顔を見せてしまった。

「私のこの短剣、銃、その他諸々……もし砕かれても、私の息がある限りは回収するわ。そして誠心誠意償うし、二度がないように己を磨きます」

 少しの静寂の後で、令嬢は無造作にブーツの底から短剣を取り出し、宣言した。その刀身は銀色に輝いていて、御伽噺のゴブリン程度なら月光に照らしたそれを見せただけで骨も残さず消えるのだろう。
 職人は、その輝きに映る自分の瞳を見つめることができず、思わず視線を下に逃がして、短く称えた。逃げた先には、ティーカップの水面に揺れる自分の顔があった。

「……真面目ね」
「真面目じゃないと賞金稼ぎは出来ません。……義肢が馴染んだ途端、鍛錬もなく飛び出すような鉄砲玉には、出来ません」

 思い人へのアピールというよりも己自身への誓いめいて、甘さのない声色で厳然と語る令嬢は、同じか、それ以上の厳しさで義腕の元の持ち主を暗に指弾した。優雅に主導権を握り、職人を慮って伝言をためらった彼女をして、その言葉は無慈悲なほどに冷たく、軽蔑すら感じられた。

「…………」
「伝言は、みっつだけです。突然の訪問に、いろんな話に……すみませんでした」
「……いえ」

 令嬢の謝罪と、表面上の了解の後には、この日何度目かの、そしてこの日一番長い沈黙しかなかった。令嬢からの追撃も職人からの反撃もなかった。ただ、互いに血糊の一滴もなく磨かれた義腕と、ぶっきらぼうな言葉とは真逆に丁寧に入れられた紅茶を挟んで、しばしの時間を過ごした。

 ふたりのティーカップが空になって、それから秒針がもう一周か、二周ほどして、ようやく令嬢は立ち上がった。

「今日は、お騒がせしました。お詫びと言ってはなんですけれど……今度、こちらに大口の発注をさせてください」
「……それは、お好きに」

 なるべく明るく振舞う令嬢に対して、職人はなるべく明るく振舞おうとしても、振舞えなかった。令嬢は小さく、気付かれないように悲しみと自責に表情を歪めて、一瞬後には優雅さを取り戻していた。

「医療用の資料の冊子はこちらですね?何セットか頂いていきますわ」

 令嬢は商談スペースの片隅のラックから、紐閉じされた資料を手に取っては確認していく。ページを手繰る手先は淀みなく、瞳の色は愉快げだ。識字していることには今更驚かないが、それなりに専門用語も多いのだが理解してるのだろうか、あるいは理解しようとしているのだろうか、と職人は舌を巻いた。知識、教養、そして好奇心。ただの賞金首ではない、計り知れない人間的な底の深さや無垢なきらめきを感じて、職人はその姿に見惚れてしまっていた。
 数冊ほどキープの冊子が重ねられて、それからようやく、職人ははたと気付いて言った。

「……待って、大口用の冊子はこっち」
「あぁ、有難うございます」

 職人はするりと躍り出て、令嬢のかぶりつく薄い冊子用のラックの隣の本棚から分厚い冊子を一冊手に取り、差し出した。
 このままでは、恐らくは直接は関係のないものまで上から順に読み込んでしまうだろう。童顔の自覚のある自分よりもさらに幼い無邪気さを顔いっぱいに溢れさせた、恐らくは彼女を賞金首として睨む人間の知らない横顔を垣間見て、職人はその危うさと無垢さに惹かれてしまっていた。
 当然というべきか、その分厚い資料すら立ち読みを始めようとしたので、職人は着席を勧めて、紅茶のお代わりを淹れに席を外した。顔つきも体つきもよほどあちらの方が大人なのに、どっちが保護者かわからないな、と、職人は呆れつつも上機嫌だった。

「……何? 賞金首が病院でも建てる気?」
「ふふっ……そうですね。確かに、病院を建てる予定があります」
「正気? 恩赦で賞金帳消し狙いとか?」

 紅茶を淹れ直して、再びテーブルを囲んだ職人と令嬢は軽口を叩きながら大口用資料を読み込んでいた。令嬢の目が病院向けの案内でより鋭くなったことを見抜き、職人はあくまで気楽に冗談を飛ばした。

「……は? ……あぁ、違います、違います」
「何がよ」
「『私が出資して病院を建てる』んじゃありません。『近々抗争が起きて、病院を建てざるを得なくなる』予定があるんです」

 そんな職人への応えは、談笑と同じ暖かさでの凄惨な予告だった。
 ぞくり、と、全身が冷え切る感覚。職人は、中空でカップを持った手を停止させた。よく取り落とさなかったものだ、と彼女はこの夜、その偉業を自ら誇ることになるのだけれど、この瞬間は、そんな些末なことは頭の片隅にもなかった。
 目の前の美女は、確かに裏社会の住人である。表社会でも名が通っている社交的で気のいい人間である。けれど、命ひとつを獲った獲られたとは格の違う賞金首である。そんな大前提を、職人はようやく思い出した。

「…………は?」

 絞り出した声と、呑み込んだ息。そのふたつで、自分の首が繋がっていることを自覚した。不用意な発言をした数秒前の自分を責めながら、ゆっくりとティーカップをソーサーに降ろす。血を連想するには少し遠い暗い赤色の水面が揺れ、それが流れ込むはずだった喉には不快な渇きが訪れた。
 けれど、そんな秘かなパニックには気付くことなく、令嬢は変わらぬテンションで念を押すだけだった。

「ひ・み・つ、ですよ?」
「…………は、はぁ」
「正直、あなた一人で賄えない量が発注されますね……。もしその時が来たら、同業会にもお伝えください」

 童女のような言葉から、現実的な想定へと、令嬢の言葉は継ぎ目無く連続した。職人は、手元のメモに殴り書くことも出来ず、ただただ力なく頷くだけだった。

 そうして、またしばらくの無音の先で、彼女が分厚い冊子を閉じた。今日のところは一度資料を持ち帰るとのことを告げ、いそいそと義腕と冊子を鞄に詰めた。彼女の一存では何かを決められるわけではないらしいことを、職人はゆっくりと理解した。
 大きな手荷物の口を静かに留め、最後の鍵を引き抜いて、小さく息をついてから、令嬢はふと、一人の女としての顔を見せた。

「まぁ、そういうことですので、義腕の銘を彫った『彼女』には、よく考えるようお伝えください」
「……えぇ」

 あくまで、あなた自身は無関係ということにしておきますから、安心してください、と。代名詞が言外に意図するところを職人は直感的に理解し、神妙に受け止めた。

「では、正式な発注は代理人が伺いますので、よろしく。ごきげんよう、マエステラ」
「……はいはい」

 扉を前に、最後にもう一度令嬢は振り返って、初対面のときのよりも気取った風に微笑んだ。上品なカーテシーと内心の子どもっぽさが滲む笑顔のバランスがどこか可笑しくて、童顔の、けれど確かに一人前の大人の職人は呆れを混じらせて、けれど確かに笑ったのだった。

 こつこつと、よく磨かれたブーツ……同じくよく磨かれたナイフを潜ませたブーツが、上品な足音と共に去っていった。強い風が吹き、豊かなウェーブの金の髪が靡いたけれど、その後ろ姿は僅かも揺らがなかった。

† † †

 令嬢と職人が邂逅を果たした夜、彼女はひとり、作業机に向かっていた。目の前には、賞金稼ぎが次に手足を奪われた時のための新しいギミックの草案が乱雑に書き込まれている。

「あたしは愛されてない。あたしは愛してるのに。あんたの手足はあたし、って証もつけてるのに、愛されてない」

 ぶつぶつと、誰に聞かせるでもなく職人は独白する。
 令嬢はあの署名を……署銘を、職人ゆえの拘りだと判断したらしいが、実のところそうではない。職人の抱える、浅からぬ賞金稼ぎへの執着の念故だ。表の稼業の医療用義肢には、責任の所在を明示するための読みやすい書体での銘を入れ、あの女以外へ仕立てた戦闘用の義肢は、たとえワンオフ品だとしても無銘だ。
 そんな危険な行為をしているのに、なるほど、あの女が言うようにあたしは愛されていないのだろう。職人は昼間の指摘を反芻し、それに納得した自分の心を分解した。

「だけど、それでもぎらぎらしてるあの子は輝いてて、ぎらぎらしてるくせにあたしがいないと何も出来ない。作ってあげたい」

 じじ、と不安定な灯りが揺れる。そろそろこの電球も買い替え時かもしれない。令嬢が買っていった研磨具の儲けを思い出して、一瞬だけ心が和らぐけれど、即座に気を引き締める。またいつ甲斐性なしが回収できないツケ払いを申し出てくるのかわからないのだから。
 ギリギリの経営を分かっているのか、いないのか。甲斐性なしの賞金稼ぎは、歴代最高額を誇る賞金首にご執心だ。それで首級を手にするどころか手傷ひとつ負わせることもなく、奇襲と撤退と義肢の性能だけを褒められて遊ばれているだけでは目も当てられない。望み薄であることは察していたが、それでももう少しはマシなものだと思っていたのに。
 賞金首の令嬢について、存在と顔は知っていたが、職人自身が会うことは初めてであった。賞金稼ぎも多くは語らない。少なくとも、賞金とは別の事情で狙っているらしいことは知っていて、その標的を語るぎらぎらした横顔の獰猛な目つきを知っている。
 それだけだ。

「……あたしがいても、あたしのために何もしてくれないけど」

 腕と脚。人間が十全に生活するための四本の道具。あの賞金稼ぎがかつて失ったもの。今は職人が補い、武器とさえ昇華しているもの。
 職人がいなければ、賞金稼ぎは生活すらままならない。それでもなおぎらぎらと瞳の奥に危険な火を灯しているあの女に、精いっぱい尽くしている。
 義肢職人としての域を超えた執着を自覚したのは、いつだっただろうか。遠い修業時代のこと、職人は師匠に「義肢職人たるもの、決して驕るな」と教わり、今でも彼女は医療用義肢は誠心誠意「捧げる」想いで作っている。「授ける」つもりで作ったことなど一度たりともない。信じていない神の前でだって、師匠の墓の前でだって誓える。

 あの賞金稼ぎのことさえ、隠していいならば。

 あの不安定な心と体を支え、危険なほど真っ直ぐな野望に触れ、幾度もの敗走を経ても揺るがない姿勢に狂わされて、職人は今の有り様になってしまった。あの女の四肢は己の作品であると、あの女の生き様は己ありきであると、いつしか職人は思うようになってしまった。その見返りさえ、求めるようになってしまった。

 彼女の目の前に散らかったアイディアの内、表の社会に流用できる発明が半分、法と倫理に反する武器・兵器としての発明が半分といったところだ。表の半分だけでも、十二分に革新的かつ実益の伴うものなのだが、今の職人にとっては全て、賞金首の腕と脚を円滑に動かすための道具にして、愛でしかない。彼女はその才覚を、賞金稼ぎに捧げているし、それを籠めた手足を授けている。
 けれど、賞金稼ぎからはせいぜい、小さな賞金首を狩った分で工面した義肢の分割払いの返済と、日々向上していく義肢の性能への称賛しか返ってこない。本当に欲しい言葉はもらっていない。
 そこまで考えて、本当に欲しい言葉が、心が何なのかは、職人自身分かっていないことに気が付いた。令嬢を相手にあれだけ心を乱したあたり、やはり愛が欲しいのだろうか。師匠夫妻からは愛されていたと思うけれど、あのような愛がいいのだろうか? 思い付きに従って、感情と見た目をコラージュしてみると、ちぐはぐな賞金稼ぎの像が脳内で結ばれしまった。案の定、あの路地裏に潜む狼みたいな女には似合わないか、と職人は力なく笑った。
 それから、職人はしばらくの間、頭の中の賞金稼ぎで遊んだ。自身が本当に賞金稼ぎに望んでいる姿を探して、あれも違う、これも違うと考え、時に昼間のやり取りを思い出し、怒ったり虚脱したり、納得したりした。
 けれど、結局、彼女は自分の求めているものが分からなかった。どれも、彼女の心の穴にぴたりと嵌ることはなかったのだ。呆れと諦めと共にマグカップを手にして、コーヒーが冷めきっていることにようやく気付いて、駄目押しのため息を吐いた。

「……ま、どんだけイライラしたって、モヤモヤしたって、整備道具の手入れはするんだよね……」

 職人は図面を仕舞い込み、手袋をして、道具箱を開けた。
 過去も未来もない、ただ無心の時間が、酷く心地よかった。

† † †

補足:これは何なのさ

これは一週間前TLで見かけた強いやつに即座に飛びついて、勢いだけでワンシーン書いちゃったやつです。対バンというか、殴り込みですね。
台詞だけで書いたものに地の文を練り練りしましたが、ライブ感を最優先にするため、台詞の修正はほとんどしてません。

橘こっとんさんと「殺伐百合ってそもそもなんだ?」についてはこれ!

自分では扱ったことのない題材だったから色々考えたけど、ちょっと書き始めると長くなりそうだから詳しい話は別のところでね。

ではでは。

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