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白い天使の休日 #同じテーマで小説を書こう

 雑味のない風に乗って、一頭の山羊の鳴き声が響いた。それを受けて一頭、また一頭と声を重ねていく。

「ねぇ、おじさま。こちらは?」
「あぁ、アラナ。それはいいんだよ」

 遠い東の海の向こうからやってきた少女は、その地理ほどに遠い親類に声をかける。親類夫婦はアラナを実の娘のように育て、またアラナも引き取られた一年で家族になった。
 アラナは、小柄な彼女にとっては大きなタンクを一旦地に置き、見慣れない机と器をまじまじと見る。家の前に設えられた簡素な木のテーブルに器が数枚と、上等な花瓶が並んでいる。
 この山の名産の山羊の乳から作られたヨーグルトが、薄いものは浅いスープ皿に、濃いものは深いサラダボウルに、それぞれ注がれている。
 この一年の間に山羊の世話から料理店への卸まで、アラナは一通りの仕事を行った。その中で、菓子にしたり、料理に使ったり、保存食としてもう一工夫を施したりと、様々な食べ方を見てきたものの、このような給し方は初めて目の当たりにした。いくらおじのヨーグルトが美味しいからと言って、ヨーグルトはあくまでデザートである。
 アラナは困惑し、おじはその姿に頬を緩めた。故郷を離れて、見た目も風習も言葉も違う家に預けられてなお利口なアラナが年齢相応に小首をかしげていることに安心したのだ。

「おじさま、今日はお客様が?」
「あぁ、来るよ」
「いつ頃いらっしゃるのですか?」
「……あぁ!」

 アラナは質問を重ねる。彼女にとっては真っ当な疑問だったけれど、おじは一瞬、そういえばそうかと虚を突かれた顔を晒してから、大きな腹と声を揺らして笑った。搾乳待ちの数頭の山羊が驚き、高原に駆け出して行った。
 あぁ、これは大変だなと呟きながら――けれど、焦る様子を見せずにゆっくりと――おじは立ち上がり、大きく伸びをしてから答えた。アラナは相変わらず怪訝な表情である。

「お客様は、もう来ているよ」
「なら、ご挨拶を」
「いやぁ、後ででいいよ。その辺にいるだろうし、一日中いるし」
「一日中ですか……?」
「あぁ」

 おじはアラナとは似ても似つかない金髪を掻きながら、にぃと笑い、麓の方を緩く指さして言った。

「今日は休日だからね」
「安息日は一昨日では?」
「いやいや。『シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムの休日』だよ」
「シュピ……え?」

 聞き慣れぬ言葉にアラナは問い、おじは一字一句間違えず繰り返す。

「シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタム……辞書を引いても出てくるか、どうか」
「……?」
「言葉としては出てくるかな……。しかし、ヨーグルタム様がな……」
「人なのですか……?」
「人というか、なんというか」

 困惑するアラナに、おじは鷹揚に笑って歩み寄った。
 その背には視界いっぱいの真っ白い大きな雲が、迫る音すら聞こえるほどにじわりじわりと流れていた。

「シュピナートヌィは『一式』とかの意味だな」
「そんな意味が?」
「このあたりの古い訛りさ」

 アラナは覚えがいい。シュピナートヌィの意味も発音も学んでいたが、おじはまた違う意味を教えた。
 どっこいしょと声に出しながら、アラナが置いたタンクに腰掛け、講座を続ける。

「サラート。アラナの故郷の古語のはず」
「日本語の……『皿』?」
「いや、『捧げる』だ」
「はぁ」
「『鞘当て』だったかな……?」
「えぇ……?」

 アラナはまるで真逆の言葉を並べられて、輪をかけて困惑する。おじはとぼけた顔をして、しばらく微笑んでいた。沈黙の中、山羊の声だけが響いていた。

「スは古代語の『to』『for』……わかる?」
「『何かへ』?」
「そうそう。勤勉だね」
「いえいえ。それで、ヨーグルタムは?」

 アラナは自分を誇らず問う。おじは立ち上がり、再び真っ白な世界を掌で示して、堂々と語った。

「ヨーグルトの天使のことさ」
「ヨーグルトの……」
「あぁ。このあたりの人は、心を痛めたミルクとヨーグルトの天使が人々のために救いを齎し、この白い世界を作った、と考えたんだ」

 アラナは、改めて世界と向き合った。白い雲、白い山林、街に流れ込む白い川……相変わらず、美しい世界だ。
 かつて、水は透明だったという。しかし、ある戦争を経て、水は全て乳白色になった。前人類はその対応に追われ、戦争をするリソースを失った。化学兵器か、天文学的な影響か、昔の人は研究を重ねたものの、現代までにそれらのどれでも説明がつかないことがわかっている。

「今日はその感謝の儀式の日というわけだ」
「なるほど……。私の故郷にも、似たようなものがありますね」
「へぇ。また後で、そちらの話も聞いてみようかな」
「はいっ」

 そのやりとりを最後に、二人は仕事に戻った。おじは散った山羊たちを集めに向かい、アラナはタンク運びを再開した。待ちくたびれた山羊が高らかに鳴いて、それから再び逃げ出した。
 アラナが雪の神の話を始めるころには、四つの皿は空になっていた。

なんですかこれは

こちらのイベントに合わせたものでした。本文文字数1993字なのでセーフ!セーフです!

シュピナートヌィ・サラート・ス・ヨーグルタムは投稿したら調べます。

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