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好きが向こうからやってくれば良いのに
こぶしファクトリーの楽曲『好きかもしれない』は、恋が何かも分からない少女の葛藤を描いた、恋愛ソング。残念ながら、こんな恋愛経験はないが、曲中で繰り返される「ほんのちょっとだけ ちょっとだけ 好きかもしれない」という歌詞には、深く共感する。
なぜなら、何か物事を興味をもち始める時の心情と酷似しているからだ。
何かに対して、最初から直感的に”好き”と思うこともなくはないが、非常に稀なケースだ。
バドミントン。スポーツやっているって憧れるなぁ、可愛いイメージもあるし、いいなぁ。
ブログ。何か好きを体現している感じでいいなぁ。何より、ブロガーという響きが良い。
まりも。緑で丸くて、見てると落ち着くなぁ。
「好きぃぃぃぃ!!!」で始まることなんて、殆どなくて、大体がなんかいいなぁ、から始まる。
でもすぐに、
運動オンチだからスポーツなんて無理だな。やりたいなんて、自分から親に言い出せないし。タダでもないし。
ITオンチには無理無理。どこに文字を打てば、ブログの閲覧画面に反映されるかとか、仕組み謎だし。好きって言えるものもないし。私の文章なんて、誰の需要があるんだよ。
好きなのは今、店に展示されているから。買ってお家に置いたら、すぐに興味が失せ、汚い苔を見るような目で、私はこの麗しいまりもちゃんを見るようになるだろう。
という思考が脳を駆け巡る。
しかし、このマイナス思考は私を完全に諦めさせてくれるほどには強くなくて、再び、”いいなぁ”という感情が現れる。そしてまた、マイナス思考君が登場する。
この現象が「ほんのちょっとだけ ちょっとだけ 好きかもしれない」という揺らめく恋愛感情と似ている。好きかもよりも、ほんのちょっとだけ好きよりも、もっと曖昧で不安定な「ほんのちょっとだけ ちょっとだけ 好きかもしれない」。
向こう側から、「これが好きなことだよ!」「これが得意なことだよ!」「これ面白いって思うことだよ!」って、手を引いてくれれば、私も一緒にいくのに。笑顔を見せてくれることはあっても、決して、あなたからは手を差し出してくれない。
自分から手を伸ばさないと、”好き”が本物か確かめることができない。
残酷で優しい現実。F太さん風に言えば、「にじりよる一歩」。
“やりたいことがないと嘆いていた頃の自分に足りなかったのは、この「にじり寄る一歩」だった。手足を動かさず、知識や自己分析で自分のことを知ろうとしていた。”
にじり寄れるほど、私はまだ強くはないけれど。
「ほんのちょっとだけ ちょっとだけ 好きかもしれない。」
この気持ちは否定せずに素直に受け止めたいね。
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