毎日泣きながら職場を行ったり来たりしている。やっぱりおめでたい日が近づくと鬱が深く、そして冷たくなるのは変わらない。

昨日はいとこ夫婦の子どものお誕生日で、1階は賑やかだった(私はおばあちゃん家に住んでいる)。賑やかなお誕生日会場の上で、今日も仕事に行く支度をする。家を出るタイミングで台所に降りると、茶の間にいるいとこの真由と目が合った。
「どっか出かけるの?」
「仕事」
目の次に口角に明るさを付ける。
「お誕生日おめでとうねーー」
「いや、まーくんな笑」
真由は恥ずかしそうに笑った。化粧をしてない姿が一番綺麗だと、私は真由に会う度に思う。
「でもお母さんも誕生日おめでとうでしょ、6歳?」
「8歳だよ」
「えーーーーすご」「もう8歳かあ」
私と真由は大げさにおどろく。
「会わせてあげなきゃ」
そう言いながら真由は立ち上がり、真尋と妹の姫華がベットで跳ねている部屋に連れて行ってくれた。

「まーくんお誕生日おめでとうね」
そう言いながら真尋の頭をなでた。お誕生日に周りの大人が当たり前に、恥ずかしがらずにお誕生日おめでとうと口に出して伝えることは大切なことだ。まーくんは5歳や6歳の頃と変わらないように、ちょっぴりはずかしそうにふわふわの桃色の頬を膨らませた。

「姫ちゃんも会えて嬉しいよーーーやったーーまたね」
同じように頭と頬の下を撫でる。慣れない私にもようやく愛嬌を覚えたらしく、ちいさな口でばいばい、と手を振ってくれた。

小さな頃から毎日通った道を、今は通勤路として自分で運転している。私が最後に、両親揃ってお誕生日をお祝いしてもらったのは、考えてみれば6歳だったので、真尋が心底羨ましかった。
お母さんが亡くなってもうすぐ16年目になる。16年。16年も耐えてきたんだ。16年も、耐えて、それでも生きてきたんだ。
両親がよく流していたプレイリストを、同じように流す。この曲は、この曲は。1曲ずつに思い出が詰まりすぎている。両親はセリーヌ・ディオンが大好きで、2人で東京ドームの来日公演に行ったことがあった。その時に生でこの曲を、隣同士2人並んで聴いて、どんな気持ちになったかな。帰り道にどんな会話をしただろう。私は、この世界にほんのこれだけ残された2人の生きた証や、好きだったもの、2人の記憶を、忘れないことしかできない。想像することしかできない。16年前から同じことをしながら、16年前から思い出が更新されない、同じ曲を聴きながら、両親がいない世界を耐えてきた。

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