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「いい子」を脱せない私と、それを愛したい私

「手のかからないいい子」、脱したい。
脱し方、わからん。

仕事の先輩に、どんなに忙しそうでも遠慮せず分からないことは聞いてくれていいから、と言われ。
笑顔で「はい!ありがとうございます!」
といいつつも、内心では
「遠慮をしないというのはかなり難しい要求ですね…」
と思っていたりする。

下の子を育てるのもその人の仕事のうちだとか、
私1人が遠慮したところで特に何も変わらないとか、
全くもってわかっているのだが。
それこそ私が先輩だったらいっぱい頼って欲しいと思うのだが。
どうしてか、頼るということが苦手。
1人で何でもできるもん!になっちゃう。

これは勝手に長女あるあるだと思っているのだが、妹や弟ができると、あからさまではないにしろ、「手がかからない」ことが、良しとされる空気ができる。
大人しく親の言うことを聞くのがいい子だし、親が妹や弟に注意を払っている間は邪魔しないのがいい子だ。
泣いて自分の存在を主張しようものなら、お姉ちゃん/お兄ちゃんなんだから、と怒られる。

下の子の場合は、既に親と長子との関係が出来上がっているところに生まれてくるので、それはまたそれで大変だろうと思うのだけど。

それから上の子は、1人でできる、ことに重きを置かれる部分がある。先にも出てきた、お姉ちゃん/お兄ちゃんなんだから、というあれである。

下の子はどちらかというと、親だけでなく、兄や姉に助けてもらってなんぼである。
時に面倒くさそうに対応されとも、結局聞き入れられるのであり、生きるために必要な能力なのだから、という経験を積む。

子供の頃は、どれが自分だけでできるべきで、どれが助けてもらってもいいものか、なんて分別は出来ないから、かたや全部できなきゃ、になるし、かたや全部やってもらえる、になる。

もちろん、家族の関係なんて人それぞれで、全く当てはまらないというケースもあるんだろうけどね。

そして冒頭に戻る。
どうやら私はまだそれを引きずっているらしい。
ということに気がついてしまった。

まず先に挙げた通り、周りの人間に甘えるのが異常に下手。
たいていのことは、(それを共有しないことで問題が生じるようなことは除いて)、自分でなんとかしなければと思っている節がある。

占い師に、あなたにはサポートしてくれる人はたくさん現れるんだけど、結局人に頼るのが下手だから自分で全部やるわね、と言われたことがある。
そこであまり悪い気はしないところが、私の性質を物語っているのである。

それから、どう見られているか、をいささか気にする。
自覚はないが、おそらく八方美人に分類されるのだろう。
何を言われようと私は私がやりたいことをやればいいのに、と自分でも思う。
人に嫌われない、敵を作らない、に重きがあるの、わりと面倒臭い。

これらには多分、もう一つ要因があって。
それは昔通っていた体操クラブの話。
メインで教えてくれる先生がいたのだが、この人。ニコニコと楽しく練習している最中に電話が鳴り、事務室に10分入って出てきたら別人のようにイライラして当たり散らす、というようなことがよくある人だったのだ。

これが続くと我々子供達は、当然のように相手の顔色を見ることを覚える。なぜなら、機嫌を損ねると練習させてもらえないから。
今思えばクソ野郎である。

ここまで、めちゃくちゃ環境要因のせいにしてるけど、多分自分の性格によるところもきっとあるんだろうなと思う。

色々書いていたら、手のかからないいい子で何が悪いんだ、と思えてきた (急展開、一周まわったな)。
生まれ持った性格と私の生きてきた日々がこの私を作っているなら、これこそが私ではないか。
いろんな人間がいて当然なんだから私は私の性質を愛するぞ (何だったんだここまでの話)。

同じような仲間がきっといるだろうと思うし、その人たちが、生きづらくなかったらいいな、とも思います。

長々うだうだと失礼しました。

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