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ギランバレー症候群覚書➂

週明けの見舞い

週明け月曜日に、父と見舞いに行きました。
週末には病院からの連絡はなかったということで、生きていることは分かっていました。
また、人工呼吸器につながれているのを見るんだ・・・と思いながら、ICUに行きました。

笑顔で手を振る母

重い足取りで、ICUに入ると、母が半身を起こして手を振っていました。
本当にびっくり、駆け寄って、お母さん!!!!!と泣いてしまいました。
まだ、呼吸を補助するものが気管に入っているので(意識があるのに、苦しくないのだろうか?)、声が出せないということで筆談です。
お父さんに洗濯の仕方教えてあげて、冷蔵庫と冷凍庫にあるものを自由に使って、生協は今週はヨーグルトと牛乳だけ来るけど、その後は止めて、ボランティアの〇〇さんに連絡をして、当面のお金は引き出しの・・・・・などと生活に関することがたくさん書いてありました。
看護師さんが、家の管理をしていたから、気になることがたくさんありますねとニコニコされていました。
字は、判読はできるものの、よれよれだったので手に麻痺かしびれがあるのかもしれず、それは呼吸停止の影響なのか、神経が傷んでいる影響なのかと感じました。いろいろな指示の内容や表情から、認知的な問題は全くなさそうに思いました。
後から聞くと、最初の病院で意識を失ってから、ICUで目を覚ますまでは全く苦しくなく、人工呼吸で、痰を吸引してもらう時が苦しくて、お腹に力が入ってしまい筋肉痛になったと言っていました。

ICUから一般病棟へ

入院した翌週の7月6日木曜日には、ICUから一般病棟に移りました。
健康な状態から突然心肺停止したトラウマで、ICUの厳重な呼吸管理等がなくなるのは心配という心境でしたが、その必要はなくなったということなんですね。ICUはそれを必要とする人のために、必要がなくなれば去らなければいけません。
7月10日からコロナ患者急増のため、面会は一切停止ということになったので、仕事を調整して7日に見舞いに行きました。
一般病棟の個室にいました。嚥下機能が弱いので、まだ栄養は点滴だけ、一人で歩行するのは禁止で、トイレはナースコールをして付き添ってもらう状態でした。スマホとiPadを持っていき、充電しておく?と聞くと、iPadはまだ疲れるからいいかな・・・と言っていました。ああ、嚥下機能は回復してなくて、やっぱり神経の損傷はすごいんだ。点滴だけだとかなり痩せてしまって心配、体力が低下して回復が遅れそうだなと感じました。

また、昨日、お腹を壊したところ、血圧がすごく低下して、気分が悪くなり、医師や看護師やいろいろ来てくれて、手厚く診てくださったと言っており、一般病棟でも安心だと思いました。

面会中も、リハビリの先生(別の方が二人)が入れ替わり立ち替わり来てくださり、急性期の治療→リハビリ病院に転院しての治療と当初は伺っていたので、急性期でもリハビリはしてくれるんだなと思いました。後にリハビリの先生は3人いらっしゃったことが分かりました。14時までは主治医やリハビリの先生がいらっしゃるので、忙しく、その後は暇だったと言っていました。

その後の経過

7月7日~28日までの経過
7月7日からはLINEが使えるようになったので、LINEで報告を受けていました。面会ができない中、LINEはありがたかったです。
7月9日 まだ一人では歩けない。普通に水を飲めない。実家で買っている 亀が心配で、亀の世話の方法を細かく父に指示(小さい方は、暑い方がすくだけど、暑すぎるのはだめで、30度くらいが好きとのこと、知らなかった。)
7月10日 先生が3週間後に免疫グロブリンの治療をもう一回しようかと考えているらしい。「ギランバレー症候群をはじめとする神経疾患における自己抗体の研究への協力の同意文書」に署名した。
7月11日 来週から少し固形が入ったご飯になると言われた。歩きのリハビリをしてきて、かなり歩ける。
7月15日 点滴が外れ、食事が完食できるようになる。
7月19日 食事のランクが上がる。とろみ付きおかゆに。来週から普通食になる予定。水にとろみをつけるのを買ってきてほしいというリクエスト
7月21日 動けるようになったので、退院前に病院にある美容室に行くことにする。退院の時に着る服を持ってきてほしい。
7月24日 来週に退院という話が出た。体に湿疹が出ているので、それを治してから帰りたい。

7月29日土曜日退院

最初は、7月28日(金)か31日(月)を打診されました。父と私に来てほしいということだったのですが、私にどちらの日も外せない用事があり、29日(土)に退院となりました。土日はリハビリがないので、早く帰りたいということでした。迎えの家族の都合で土曜日退院は多いそうです。ただ、土日だと先生のお話は伺えないので残念でした。お礼もお伝えしたかったのですが。
看護師さんからは、薬や次の通院の確認がありました。
リハビリについては、もう必要なく、日常生活を気を付けて行う事がリハビリになりますとのことでした。
母は、先生が「何人もギランバレー症候群の患者を診ているけれど、こんなに急に回復する人は初めて。」とおっしゃっていたということでした。
担当の看護師さんにはとても優しくしていただいたようで、厚くお礼を申し上げて、病院を後にしました。
良く晴れた日で、大安で、とても良き日になりました。

退院時の状態

一人で何の支えもなく歩くことができています。若干ゆっくりかもしれません。母が言うには、リハビリをするとすぐ息が上がってしまっていたということでした。体力が低下しているようです。
足は、発症時から、もともとよく動いていたということでした。
手は当初は、上がらないとか、細かい作業ができない等はあったそうですが、退院時はそのようなことはありませんでした。ただ、握力が低下していて、ペットボトルのキャップが開けられないと言っていました。

何かと動く母

土曜日は、近くで盆踊り大会があり、4歳の孫が来ていて、みんなが実家に集まっていました。ウナギを解凍してウナギご飯にしようと言い出し、コメを研いだり、父がフリーダムな感じでしまった食器の位置をそっと変えたり、私の家の食器やタッパが混じっていたので分けたりしていました。
ほとんど座っておらず、退院したばっかりなのに、一番働いている!とみんな笑いました。
家の中にいないと思ったら。庭で水を撒いており、父が、少し怒っていました。庭は障害物が多くて危ないため・・・
家にいると何かと目についてしまうのだと思います。早速排水溝を掃除していましたし(私も排水溝の掃除のことを父に伝えるのを言うのを忘れていました。お風呂の掃除は出来ると言っていたのですが、排水溝の掃除は含まれていなかったようです。)・・・
そういう様子をみると、立ったりしゃがんだりすること、蛇口をひねる事等に特に支障はないのだなと思いました。

早速昼寝をする父

父は、早速昼寝をしていました。マイペースぶりが復活しました。一番ほっとしているのは父でしょう。
家は、できるだけ散らかさないように、服も洗って→着るということで、綺麗にたたんであるシャツ等はむやみに出さないようにしていたので、部屋はそんなに荒れていませんでした。
前日に頑張って掃除をしたとのことで、床やトイレなども綺麗でした。
母も、よくやってくれて・・・と言っていました。

退院後の生活

退院に備え、1階で生活できるように整えました。
実家は、2階建てで2階で寝起きしており、洗濯物を干すなどで2階に上がる必要があります。
階段が急なので、その上り下り(特に朝や、トイレに行きたい時など)が心配でした。

母に、1階にベッドを借りようと提案した時は、要らないよ~階段を、ゆっくり降りるからと言われましたが、3か月くらいからレンタルできるし、1か月1500円くらいあるからと言い、やや強引に借りました。

退院に間に合うようにレンタルできるところが一つしかなく、結局最安値のところではなかったのですが、3か月15000円くらい(送料設置料込み)で借りることができました。

母は、退院前日に階段昇降のリハビリをしたところ、たった三段だったのに降りるのが怖かったということで、ベッドを借りてくれて良かったと言っていました。

こんなに早く退院すると思っていなかったので、セブンミールを8月8日くらいまで1人分注文していたのですが、とりあえずそれは、2人分に変更したり、取り消さないで継続する事にしました。
母曰く、買い物は父に行ってもらって、セブンミールを副菜にすれば、良い感じの献立になりそうと言っていました。ベテラン主婦はすごいなぁと思いました。
本当に、家事がリハビリになりそうです。頑張り過ぎて疲れないようにしないといけませんが。


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