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言葉のひとり歩き
昨日の記事に書いた、平川さんの著作が良かったので、自分の印象に残ったところをちょっと書きたい。
上記の本で三波春夫の言葉、「お客様は神様です」、について書かれている。
僕はこの「お客様は神様です」という言葉は正直嫌いだった。
同様に、あまりこの言葉にいいイメージを持っていない人も少なくないのではないだろうか。
というのも、カスタマーハラスメントという概念もある今日、「お客様は神様です」というと、「客は絶対」とか「買い手が上で売り手が下」ということを想起させるからである。
実際、様々な文脈でこの言葉はそうした意味を込めて使われてきたと思う。
ところが、上記の本を読むと、三波春夫本人はどうやらそういう意味で使っていたのではないようだ。
三波春夫という人は今では知っている人も少なくなったかもしれないが、1970年の大阪万博のテーマソング「世界の国からこんにちは」を歌った人である。
僕自身、80年代の生まれなので、リアルに三波春夫をよく知る世代ではない。
だが、この「お客様は神様です」という言葉はとても有名なので、知っている人も多いだろう。
三波春夫をWikipediaで調べると出てくるが、この人はシベリア抑留を経験している。平川さんの本を読むまでそんなことは全然知らなかった。
三波さんは約4年のシベリア抑留を経て帰国。大阪万博のテーマソングは300万枚を超える大ヒットとなり、国民的歌手となるわけだが、彼の「お客様は神様です」は「消費者は神様」という意味で使われていたわけではないらしい。
三波春夫にとってはこの「お客様」はちょっと違う意味を持っていたようだ。彼は、インタビューに応えて、ここで言う「神様」とは文字通り「神様」なんだ、農業の神様とか、技芸の神様とか、観音様と同じなんだという説明をするようになった。おそらく三波春夫にとっては、歌を唄うという行為は神様の面前で執り行う神事のようなものであり、雑念を祓い、虚心になって、誠心誠意その気持ちと声を届けるのだといった、技芸の発生史的な精神が込められていたのだろう。
同時にまた、そこには戦争で亡くなった同胞に対しての遥かな気持ちも込められていたはずだ。
このような三波春夫という人の歴史を知ると、彼の「お客様は神様です」という言葉も本来は今とは違った意味で発せられたのだなと感じる。
僕は、「お客様は神様です」という言葉は、三波春夫が、戦争で亡くなった仲間に対して、歌を唄うことで最大限の力で呼応する、というような意味に感じられた。
言葉はひとり歩きするものである。それは少なからず誰もが経験があるのではないか。そんなつもりで言ったわけじゃない、と。
僕は言葉がひとり歩きすること自体はいいも悪いもないと思う。同じ言葉でも昔と今とでは違う意味で使われているものが沢山ある。そういうものだと思う。
しかし、言葉はひとり歩きするということ自体は、言葉の持つ性質として認識しておくべきだと考える。
そして、言葉を発した人やその背景を知らなければもともとの言葉の意味を知ることはできないと思う。
歴史を知ることは重要である。2022年度から高校のカリキュラムで世界史は必修でなくなったらしい。
今の情報だけに振り回されないためにも、歴史を学ぶ必要があると思う。
余談であるが、僕が子供のころにメディアに出ていた人、いや、もっと身近な大人でも、戦争の経験がある人が少なくなかったのだなあ、と思う。
それは子供のころはわからなかったが、今になって思えば、もう少しその人の歴史について知るべきなのかもしれない、と思った。
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