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価値を提供するということ

とんとご無沙汰になってしまった。
忙しくしていたこともあり、また、物を書く気力体力を消耗していたこともある。

本を読むまとまった時間も最近は取れずにいたのだが、今日はたまたま少し時間ができたので、ちょこちょこ読み進めている本を読んでいた。

そこで違和感があったのが、
「なにがしかのお金を得ようと思うのなら、それに相当する価値をこちらから提示しなくてはなりません。」
という一文である。

一見、当たり前のことのように思える。
だが、裏を返せば「相当する価値」を与えられない人間はお金が得られない、ということになる。

僕も働いて「価値」を提供して、お金を得ている一人である。
この「価値」というのは誰が決めるのだろうか。

売り手が「こんなに素晴らしい機能があるんです!」と訴求したところで、買い手の納得が得られなければ「価値」にはならないのかもしれない。

また、売り手は自分なりにできることをやっているだけなのだが、買い手にすればものすごい「価値」を提供してもらっていると感じているかもしれない。

このように「価値」というのは売り手と買い手の相対的な関係性のなかで認識されるもののように思う。

僕は「価値を提供するためにがんばる」という考え方が苦手である。
というのも、人はそれぞれ、そもそも「価値」があると考えているからである。
なので、そのままで「価値」があるのだから、「がんばる」必要もない。

もちろん、自分なりにやるべきことをやることは必要である。
しかし、自分の能力を超えたことまでがんばってやろうとする必要はないと思う。
努力である程度まではカバーできるだろうが、いずれ無理なことが分かると思う。

どちらかと言えば、ありのままの自分に「価値」を感じてくれる人との出会いが重要なのである。

「この人と付き合っていると楽しい」とか、他人が自分のどこに価値を見いだすかは本当にわからない。
省みてほしいのだが、自分としては特別なことをしたわけでもないのに誰かからとても感謝されたことはないだろうか。
いつも通りの自分でいるだけなのに、ありがたがってくれる人はいる。
そういう人との出会いを求めて、その繋がりを大切にすることが重要なのだと思う。

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